94.奈津子の話 32
次の日、朝から私はヒイロとその父の誘われて町に出かけた。ローズはマダムの所でまた服の寸法合わせをするらしい。パプルが何をしているのかは知らない。
「なかなかいい試作品ができたんだ。」
馬車の中でヒイロ父ことミスタが言った。マダムと対にするならムッシュだが、なんとなく言い辛くてミスタと呼んでいる。誰も突っこまないのでいいんだろう。
「拝見するのが楽しみです。」
よそ行きの笑顔で言うとミスタは嬉しそうに頷いた。
「僕も一番新しいのは見てないから楽しみだなぁ。」
ヒイロもご機嫌に窓の外を見ている。その横顔にふと弟を思い出して聞いてみた。
「あの、タロって昨日から姿を見てないんですけど、帰ってきてないんですか?」
ミスタの表情が途端に曇った。
「すまないね・・・お客様が来ているというのに。あいつはちょっと目を離すとすぐどこかへ行ってしまうんだ。」
「いえいえ、気にしないでください。私たち別に貴族って訳でもないですし、客ってほどのもんじゃないですよ。」
言いながらパプルは貴族だったなと思い返したが、まあいいか。
「それなんだがね。」
ミスタが座りなおして言った。
「私は君を貴族扱いするように学園に言おうかと思ってる。」
急な話に頭の中がハテナで一杯になった。なぜ? なんの為に? どうしてあなたが?
「はあ・・・」
「そうすれば定期試験を気にせずに済むだろう? よければこのまま新しい印刷技術について一緒に研究する気はないかね。」
「・・・いやいやいや! 私別に印刷に詳しいわけでもないですし。ちょっと思いついたことを話しただけですし。そんな、買いかぶりですよ。」
手をぶんぶん降って私は何も知らないとアピールしてみる。
「だが君はかなりの博識だと聞いているよ。それに誰も思いつかないようなアイデアが次々でてくる天才だと。」
思わず横に座っているヒイロを睨んでしまった。なに勝手に人のハードルを上げてるんだ。
「いえいえ、たまたまです・・・それに私都会に憧れて出てきた田舎者なんで。できれば王都で暮らしたいんですよねー。」
なるべく馬鹿っぽく見えるようにへらへら笑ってみた。ミスタは鷹揚に頷くと考えてみてくれとだけ言った。
静かになった車内でこの旅の旅費について考える。往復の交通費、馬と御者の警備の代金、宿の宿泊費、この屋敷に泊まる宿泊費、三食お茶付きの食費にプレゼントされた服と靴と・・・考えると結構な金額だ。相手が貴族だからと言って簡単に受け取っていいものではなかったかのかもしれない。
暗澹たる気持ちで馬車を下りると大きな工房の前だった。ここに印刷機の試作品があるらしい。
中で案内された機械は思ったより小さかった。腰の高さに字をセットできる場所があり、すでに三行ほどの文字が置かれていた。その横にはレバーがありそれを押すと上から紙がついた板が下りてきて印字するようだ。
「まず字にインクを塗って、このレバーを押すと紙にインクがつくってわけだ。」
ミスタの合図で職人が刷毛で文字にインクを塗った。そして上の板に紙を挟みレバーを押すときれいに印字された紙ができた。なかなか美しい。
「最初は字を上、紙を下にしてたんだがね、インク量の調整が難しいから逆にしたんだ。逆転の発想ってやつだよ。」
ミスタが少し自慢げに言った。
「刷毛よりもローラーを使った方がインク量は調整しやすいかもしれませんね。あと小説とかの長い文章を印字するなら、文字を置く部分を輪っかにして長い紙に転がして印刷した後、紙を切り離したら効率いいかもしれません。」
何気なく言ってみるとその後引くぐらい質問攻めにあった。だが私も別に印刷に詳しいわけではない。ああググりたいと思いながら必死で前世の記憶を手繰り寄せた。確か輪転機というのがあったはずだ。仕組みなんて知らないけど。
「流石ナツコ嬢でございますな。」
工房長がいくつものスケッチを見ながら言った。最初の内は私が下手糞な絵で説明していたが、一度納得するとすごい勢いで新しい機械の案を書き始めた。たぶんこの人が一番詳しいんだと思う、私よりも。
「いえいえ素人の思い付きですので・・・」
私の言葉は謙遜と受け取られ散々誉めそやされた後にやっと解放された。とっくにお昼の時間は過ぎていた。
「おなか空いた・・・」
帰りの馬車の中で呟くとヒイロが申し訳なさそうに言った。
「ごめんね、ちょっと白熱し過ぎたね。」
「私もこれほどとは思わなかったよ。ナツコくん・・・君、ヒイロと結婚する気はないかい?」
ミスタの提案に思わず仰け反ってしまった。
「ない! ないです!」
大声で言ってしまった後慌てて口を押えた。ヒイロは苦笑していた。
「まあ・・・僕たちは友人だからね。あんまりそういう感じじゃないよね。」
ヒイロの言葉にうんうんと頷いた。ヒイロとくっついて欲しいのは私じゃなくローズだ。
「それにしても短期間でよくあそこまで仕上げましたね。特に細かい字も潰れずに印刷できるなんて素晴らしいです。確か鉄の加工が得意とヒイロに聞きましたがこれ程とは。」
話を逸らそうと褒めてみたらミスタは途端に嬉しそうな顔をした。
「我が領は元々武具を作るのに長けていてね、今も国中の武具のほとんどはうちの領製だ。だが近頃平和な時間が長すぎてね・・・今じゃ戦いには適さない美しい装飾のついた剣が主流になってしまった。今回の活字もその細工の技術で作ったんだ。これからは武器武具印刷を主流にできたらいいんだが。」
ミスタの顔が途中から曇った。
「なるほど。・・・ちょうどいいじゃないですか。既に今ある機械で招待状と当日の演目を100枚ぐらい作れそうですし。」
同意を求めてヒイロを見るとキョトンとしていた。
「え、何のこと?」
「秋の演奏会、文化祭でしたっけ? 今年もやるんでしょ?」
こちらで作ってくれれば私が楽を出来て良い。
「王立学園で配布すれば色々な貴族の目に留まるってことです。是非今の内から準備を始めてください。」
その後馬車の中で詳しい打ち合わせが始まった。貴族にアピールする為には紙とインク、デザインにもこだわりたい。印刷機械の改良は一先ず置いておいてまずはそちらを優先させることになった。そしてなぜか私がデザインを受け持つことになった。まあ旅費代のことを考えればこれぐらいは妥当だろう。




