89.奈津子の話㉗
ルビーは本当に読み書きが苦手だった。
全く読めない訳ではなかったが、かなり時間がかかる。勉強用に絵本でもと思ったが、この世界の絵本は一冊一冊手書きでとても高価なので、私が前世の昔話を思い出しながら手書きで書いた。最初は桃太郎で考えたがこの世界に猿がいるかどうかわからずやめて、結局シンデレラにした。細部は覚えてないので内容は適当だったが、ルビーは喜んでくれた。
「なんでこのシンデレラって子、そんなに足が小さいんでしょうね?」
「虐められてたから小さい木靴しか与えられなかったせいとか聞いた気がする。足変形しちゃったのかも。」
「足が変形するほどの虐め・・・苦労したんですねこの子。」
ルビーはしみじみと言って本を撫でた。さすがに挿絵はないが奇麗な字で書いたので結構それっぽくできたと思う。
「時間がある時にこれをそのまま書き写してみて。やっぱり書いた方が覚えやすいから。この寮にいれば紙もペンも使い放題だし、今後どんな人生を送ることになっても読み書きはできた方がいいと思うから。」
ルビーは素直に頷いた。それは彼女が初めて見せた素の部分だったのかもしれない。
授業が本格的に始まっても、ルビーは学園には通わず毎日何かのレッスンをして過ごしているらしかった。
「今日は朝から一日お茶してました・・・カップの持ち方が違うとか、クッキーの齧り方とか嚙み方とか全部ダメだしされて、もう死にそう・・・」
夕方寮に帰ってくるなり食堂の机にうつ伏してルビーが呻いた。
「お気の毒に。夕飯食べられそう?」
「なんか胃が気持ち悪いので止めときます・・・」
「大変だね。学園には全然行ってないように見えるけど毎日そんなことしてるの?」
「学園にはたまに行ってますよ。授業は数回しか受けてないけど。カフェテリアとか、建物の感じとか、知らないと話合わせられないし・・・」
ルビーはそこで体を起こした。
「あ、お姉さまからもらった本の写しはやってますよ。少しずつですけど。あれは私の宝物です。」
澄んだ笑顔で言われて照れてしまった。
「お姉さまって本当に天才ですよね。私本当はあの本のことみんなに自慢したいんです。でも見せてって言われるのが嫌だから言わないんです。あれは私とお姉さまだけの秘密です。」
嬉しそうな顔に私が慌てた。
「ええっと、申し訳ないんだけど、あれ私の故郷に昔から伝わるお話だから・・・知ってる人は他にもいるかもよ?」
「なんだそっか・・・でもいいんです! お姉さまが私のために書いてくれた本はあれ一冊でしょ。墓まで持っていきますよ。」
笑っているがちょっと目が怖い。だが喜んでいるようなのでヨシとした。
一方、二年目の私の学園生活はゆるゆると進んだ。今年も同じメンバーで生徒会をやるので前期は特にすることはなかったし、ローズは今年は勉強系の授業を減らして芸術系の授業を取り始めたので会う回数が少なくなっていた。忙しそうに動き回っているのを遠目から見るだけにして、私は現状を詳しく尋ねるのを止めた。
クロも何もしなくていいって言ってたし・・・もっともクロ自体が本当に存在しているのか私にはわからなくなっていたけれど。
そろそろ前期試験に向けて本格的に勉強を始めなければという夏の初め、ヒイロから声をかけられた。ローズと一緒に領地にこないかという誘いだった。
「なぜ私を? 目当てはローズでしょ?」
「いや、ローズも来て欲しいけどナツコにも来て欲しいんだ。例の印刷の件で。」
どうやら試作品ができたので見せたいらしい。ローズも行くというし王都より涼しいというのを聞いて頷いてしまった。去年過ごした王都の夏は故郷の夏より暑く参ってしまったので。
試験の最終日、久しぶりにローズとゆっくり話すことができた。
「なんで私植物学なんか今年も取っちゃったんだろう・・・絶対赤点だぁ。」
ローズは試験が終わってもしばらくうだうだと机から離れなかった。
「暗記しなきゃいけない量がすごいよね・・・って言うかよく授業受ける気になったね。去年も苦労してたのに。」
「なんか植物学って地に足が付いた感じするじゃん。人の役に立ちそうって大事だと思うのよ。魔法系の授業取ってると余計にそう思って・・・でも人間向き不向きがあるよねー、私の頭じゃ無理だわ。」
「魔法も人の役に立つんじゃないの?」
「何の? 水魔法ならわかるよ、土も火もなんとなくわかる。でも風って日常生活でなんの役にも立たないよね?」
真顔で見つめられて困ってしまった。
「そう・・・かな? 私の中では風って癒しのイメージなんだけど。」
「風が癒し? どこが?」
どこがと言われて考えると前世でやったゲームの中の話だった。水や風が癒し系の魔法を使えることがあった気がする。白魔法として独立してるゲームも多かった気がするけど。ただ考えてみても風がどうやってHPを回復するのかはわからなかった。
「うーん、私魔法のことはわからないからできるんじゃないかなーって思っただけ。癒しの魔法が使える人っているの?」
「それこそ植物学から薬学に進んだ人はできるんじゃない? 魔法ではないだろうけど。大昔にいたっていうどうんな病気でも治せる人は、水魔法使いだったって話は聞いたことあるよ。体の中の血液とか体液とか操るんだって。でも真似しようとした人達は全員患者を殺しちゃったらしくて、今は禁止されてるね。」
怖い話になってきた。きっとここは乙女ゲームだから戦闘とかなくて、癒しも必要ないのだろう。
うだうだ話している間にどんどん他の人は帰って行って、いつの間にか教室は私とローズ二人になっていた。
「そういえば夏休みローズもヒイロの領地に行くんだよね。」
「うん、結局パプルも行くみたい。楽しみだね。」
「え、そうなの?」
「うん、パプルの親御さんがいい顔しなかったらしいけど、押し切って行くことにしたんだって。」
反対を押してまで行くのは・・・ローズとヒイロの邪魔をしに行くんじゃないだろうか。あれ、私+三角関係の四人で行くの? なんか嫌だな・・・
「私旅行って初めてなんだよね。父親は王都出身だし、母も王都から半日の所の出身だから里帰りとかちょっと憧れててさー、楽しみだよね。」
ローズはウキウキと体を揺らした。
「遠いんだっけ?」
「二日かかるってさ。でも途中ちゃんと宿に泊まれるし、疲れないように気を遣うって言ってくれたから大丈夫じゃない? なんてったってお貴族様の旅行だしね。・・・どうしたの?」
「いや、王都に出てきた時のこと思い出して・・・」
苦い思い出に顔をしかめてしまった。
「ナツコの出身てこの国の端っこだったっけ? 何日ぐらいかかるの?」
「真っすぐくれば五日ぐらいかなあ。でも私は商家の馬車に乗せてもらってたから八日かかった。無茶苦茶しんどかったよ。」
荷物の間でガタガタ揺られながら過ごした日々。なによりもしんどかったのは一日だけ乗り合わせたジジイに体を拭いているのをジロジロ見られたことだ。その日は暑く日中汗をかいたので誰もいないときにコソコソと荷台の端で服をはだけて拭いていた。それを見られてしまった。あの時のジジイのニヤニヤした顔を忘れられない。私はそれ以降服を着替えることも体をぬぐうこともやめた。お陰で王都に着いた時にはかなり臭っていたようだが。
「八日かー、それはよっぽどのことがないと帰る気にならないね。そっか・・・ナツコはそんな遠い所から一人でここまで来たんだね。偉いね。」
ニコニコと褒められてちょっと泣きたくなった。私は完全に自分のエゴの為に田舎から出てきたのだけれど、苦労したのは嘘じゃない。
出発は七月の末だ。それまで会う予定がない友人との会話をしばらくゆっくり楽しむことにした。




