85.奈津子の話㉓
三月に入ると三年生は順に寮を出た。一年間私を睨み続けていた先輩は、家族で住める家が見つかったと上機嫌出て行った。
もう一人の美人だけどいつも酔っぱらっていた先輩は「彼氏の家に住む」と言って寮母に挨拶をし、私に手を振って出て行った。酔っぱらっていない先輩はとても柔和な大人しそうな、小さな花のような人だった。
「あの先輩の彼氏って貴族ですよね。めでたしめでたしってことですか?」
寮母さんに聞くと少し顔を歪めて教えてくれた。
「・・・メイドとして住み込みで働くのよ。数年後に彼氏が婚約者と結婚して子どもができて落ち着いたら、あの子とも結婚するんですって。いつになると思ってるのかしら。」
寮母はそう言うとため息をついて二階に消えて行った。なかなか怖い話だ。でも普通の貴族と平民の恋物語の果てはこんなものかもしれない。でもローズは違うよね? だってあの子はヒロインだし。
ローズがメイドとして誰かの屋敷で働く想像をして慌てて頭を振った。そんなローズは見たくないし、何よりあの子にそんな姿は似合わない。よし、何が何でも誰かと結婚させてやる。
具体的に何をしていいのかはわからなかったが、とりあえずそう心に決めた。
卒業パーティの数日前、ヒイロからドレスと手紙が届いた。ドレスは私の注文以上に奇麗に出来上がっており、手紙には当日迎えに行くとあった。ドレスを部屋まで届けてくれた寮母は思いのほか喜んだ。
「ヒイロ・ソードって、軍の幹部を代々排出しているおうちじゃない! 一年生でドレスをもらうなんてあなたもやるわね!」
説明が面倒だったので私は曖昧に頷いた。
「でもちょっと地味なドレスねぇ・・・当日は私が髪とメイクのセットやってあげる。楽しみね。」
寮母は踊るような足取りで部屋を出て行った。どちらかと言うと嫌がるのではないかと思っていたので肩透かしだ。寮母のスタンスがよくわらかない。
当日は昼からシャワーを浴びるように言われ、寮母がああでもないこうでもないと髪を結ってくれた。
「うーん、やっぱりさっきの片側に髪を垂らしたスタイルの方がよかったかしら? もう一回戻してみる?」
「いえ、もう結構です! この髪最高です!」
途中から完全に自分だけ楽しんでいた寮母にこちらはぐったりだ。正直もうなんでもいい。
寮母は残念そうにしばらく私の髪を見ていたが、やがて諦めたように小さな容器を取り出した。
「着替える前にこれを首から肩、腕に塗るといいわ。着替えたら私の部屋まで来てね。」
渡された容器のふたをあけると、甘い良い匂いのするクリームが入っていた。ボディクリームということか。高そうだなと思いながら言われた箇所に塗ってドレスを着た。鏡の前に立つといつもと違う姿に気分が高揚する。なぜか流されるように出席することになっていたパーティだが、ひょっとしたら楽しいかもしれない、そんな期待に胸が膨らんだ。
寮母の部屋に入ると、ドレスは褒めてくれたが眼鏡をかけっぱなしなのを見て眉をひそめた。
「エスコートしてくれるんだから、別に多少見えなくたって大丈夫なのよ?」
「・・・見えないのは怖いから嫌です。」
アイメイクが出来ないじゃないと文句を言いながら、簡単な化粧をしてくれた。もっとコッテリ塗られるのかと思いきや意外と薄めの化粧だった。
「そろそろ迎えがくる時間だから私は様子を見てくるわ。呼びに来たらゆっくり出てくるのよ。」
寮母はそう言うと楽しそうに外に出て行った。正直昼から準備を始めた時はびっくりしたものだが、あっという間に夕方になっていた。パーティって大変なんだな。
やることもないのでぼんやりと待っていると、寮母が戻ってきた。
「てっきり紺か青い髪の子が来ると思ってたのに赤髪じゃない・・・あなたどういう基準でそのドレス選んだの?」
怪訝な顔をする寮母に短い説明が思い浮かばず、適当にごまかし寮の外に出た。通りに停めた馬車の前にヒイロが立っている。近づくと手を差し出して馬車に乗るのを手伝ってくれた。人がやっているのは何度も見たことがあるが、いざ手を差し出されてみると思いの外恥ずかしかった。
「ドレスよく似合ってるね。」
走り出した馬車の中でヒイロが言った。
「ありがとう。ヒイロも似合ってる。」
社交辞令の返礼として返事したが、実際ヒイロはタキシードがよく似合っていた。背後から後光が見える。
馬車は途中まで順調に走っていたが、途中からぐっと速度が落ちた。どうしたのかと思っているとヒイロが説明してくれた。
「王城が近いから渋滞してるんだよ。ちょっと早めに来たんだけど・・・しばらくかかると思うよ。」
馬車の窓からチラリと覗くと長い馬車の渋滞が出来ていた。進む速度はもはや歩いたほうが早いぐらいだ。
「・・・これ、歩いて行っちゃいけないんだよね?」
「流石にね。王城に徒歩で入るのは難しいかな。」
ヒイロが苦笑した。つまりしばらくこの狭い空間でヒイロと二人きりという訳だ。窓は開いているがなんだか息苦しい。
「いい機会だから少し話をしたいんだけど。」
ヒイロが切り出した。
「以前言っていた新しい印刷方法のことなんだけど、父に相談したらやってみようということになったんだ。うちは金属加工が得意だから今金属で文字を作っている所。」
お、いつの間にか木から金属に変わっている。もう完全に活版印刷だな。
「へー、ちゃんと出来るようになったら大量印刷が可能になるね。」
ヒイロが居住まいを正した。
「それなんだけど、父が調べたところ以前も同じようなことを考えた人がいたらしいんだ。ただ商売にしようとしたところ、あちこちから反対や嫌がらせがあって頓挫したみたいなんだ。」
「・・・確かに今字を書いたり写したりしている人は、仕事が減っちゃうもんね。」
「そっちもそんなんだけど、どうやら一番反対したのは役所の重役だったみたい。本とは神聖なものであり、手書きでなくてはいけないっていう考え方だったらしい、もう死んでるけど。」
図書館に置いてある数々の手書きの本を思い出した。神聖かどうかはわからないが、とりあえず全部念はこもっている気がする。邪念とか。
「なるほどねえ・・・」
「とりあえずその人の息子は大量印刷に抵抗がないことは確認した。たとえ抵抗があってもその人は別に偉くないから放っておいてもいいけど。まあ、そんな感じで進んでるってことを言っておきたくて。」
思った以上の本気度合いに驚いた。
「つまり、ヒイロの家は本気で商売にするつもりってこと?」
ヒイロは頷いた、
「そう。僕たちは本気で新しい事業を立ち上げようと思ってる。そこで、ナツコの取り分なんだけど・・・」
「私の取り分?」
「うん。元々はナツコの発案だし本来なら何某かの取り分があってしかるべきだと思う。ただこの事業で収益が入るのは随分と先になりそうで・・・申し訳ないけどそれまで待ってくれないかな。」
「いいよいいよ、そんなの!」
私は両手をぶんぶんと振って拒否した。ちょっとした思い付きを話しただけで金銭が発生するとは思っていない。そもそもは前世で活版印刷を発明した人が偉いんだし。
「別に私だけが思いついたって訳でもないし、実際過去にはやろうとした人もいたんだし、気にしなくていいよ。」
ヒイロは少し困ったように笑った。
「今はそう言ってくれると正直ありがたいけど、でも、必ずなんらかの形で恩を返すよ。ヒイロ・ソードの名に誓ってね。・・・ひとまずはそのドレスってことにしといてくれると嬉しい。」
恩って程のこともないけどなと思いながら私は頷いた。でもまあこのドレスもローズのついでにプレゼントされたんだと思っているし、気軽に考えてもいいのかもしれない。
話しているうちにやっと馬車は王城のエントランスに入った。




