63.奈津子の話
生まれた場所を間違えたんだと思った。
毎日見る顔ぶれは変わらず、会話も愚痴と悪口、噂話ばかり。子どもがすでにうんざりしているのに、どうしてこの大人たちは毎日同じ話を続けるんだろう。
夏には家の外辺り一面が緑になる。その向こうから昇る朝日も、沈む夕日もとても奇麗だ。だけどここじゃない、私のいるべき場所はここじゃない。
拠り所となったのは遠い記憶だった。暑くも寒くもない場所で本に囲まれている自分、きれいな恰好をして町を歩く自分。足元を土で汚すこともなく、人が作った食べ物を食べていた自分。あれこそが私の本当の姿だ。こんな、髪の毛に動物の糞がついて、手も足も寒さとあかぎれで震えている自分ではなく。
それでも私は運が良かった。十歳の時に王都から新しい役人が派遣されてきたからだ。その人たちは夫婦で、文字と簡単な計算を教えてくれた。生まれた家がそれなりの規模の農家だったことも良かっただろう。両親は自分たちを”裕福で進歩的な農家”だと信じ、私が勉強したいといっても強く反対はしなかった。
私は必至でこの国の文字を覚え、夫妻が持っていた本を片端から読破した。夫妻は私を天才と誉めそやし、領主に私を王都の学園に入れるよう掛け合ってくれた。
14歳の春、私は王都に試験を受けに行くことを許された。母は泣いていたが、私はただ新しい生活への期待しか持っていなかった。長い旅路の最中それなりに不愉快なこともあったが、盗賊に襲われることもなく無事王都についた。だがそこでも私は打ちのめされた。
みんな奇麗な服を着ていた。
集まったのは私と同じように各地からきた子どもたちだったのに、みんな奇麗で新しい服を着ていた。私は破れていない繕った跡もない服を着ていたが、色褪せていていかにもみすぼらしかった。おまけに数日水浴びもしていなかったので臭かったらしい。惨めだった。
私が最初に参加したのは王都の大きな教会に間借りし、集団で試験準備をする集まりだった。だが私のいた所は王都から遠かった為すでに他の人たちは何日も前に到着し、試験の勉強を始めていた。
私も焦って追いつこうとしたが、まず初めて使うつけペンに手を焼いた。これまでずっと石板とチョークで勉強していたので慣れていなかったのだ。使おうとしても前世でシャーペンを使っていた記憶が邪魔をした。すぐに紙に引っかかる、急いで書くと字がかすれるし、乾いていなインクをつい触ってしまって字が読めなくなる、おまけに油断するとインクが雫となって落ちる、手がインクまみれになった。
私は泣きそうになりながら、まずつけペンの使い方を覚えなくてはいけなかった。他の人は勉強しているのに、私は書き取りばかりしていた。計算問題は暗算でできる問題ばかりだったのが救いだった。
試験前日、教会の人から紺の新しいワンピースをもらった。私には少し大きかったがとても嬉しく、当日はそのワンピースを着て試験に臨んだ。結果はトップ合格だった。私を臭いと言った男の子は落ちていた。喜んだ私は悪くないと思う。
試験の成績を見た貴族が、自分の屋敷から学園に通うよう勧めてくれた。学園には寮もあったが、それ以上の待遇を約束すると言ってくれたので、私は王立学園のすぐ近くにある貴族の屋敷から学園に通うことになった。
生まれて初めて与えられた個室の中で私は誓った。
二度と故郷には戻るまいと。




