59.兄弟の話⑳
大雨の翌日ダリッチは屋敷を出て、その二日後には業務に復帰した。だが私の執務室にやってくることはなくなった。代わりに書類の記載で疑問に思ったことは丁寧な質問書が来るようになった。これを書く時間で他のことができるだろうとも思ったが、黙認することにした。私に会いたくないという事だろう。私も書面で返事をすることにした。なんとも効率が悪いことだ。
そのまま3年が過ぎた。
私とダリッチが話す必要など元々ない。日々は変わりなくと過ぎ、姪だけが会うたびに大きくなった。
月曜から金曜は朝警備隊の訓練を見た後役場に行き仕事をする、土曜日は家で仕事をして日曜日は休む。そんな淡々とした毎日がこれからも、死ぬまで続くのだろうと思っていた。
兄夫婦からは年寄みたい・枯れすぎ等言われ、たまには王都でデートでもしろとけしかけられたがそんな気にもならなかった。もうあまり人の泣き顔は見たくない。
少し前から警備隊の朝練にダリッチが参加しているのは気が付いていた。いつの間にかメキメキと剣の腕が上達し、領地の警備隊の中では副隊長に次ぐらいに強くなっていた。
役人を辞めて警備隊に入るつもりなのか?とは思いつつも、特に話すこともなかった。そんな五月のある日。
「稽古お願いします!」
やけに緊張した面持ちのダリッチが木刀を手に私の前に立った。後ろで他の警備隊の面々が見守っている。副隊長はニヤニヤしていた。自分の育てた弟子の成果を見せたいのだろう。私も木刀を構えた。
ダリッチの剣は速かった。特に剣先が無軌道に動く、これは他の警備隊には見られないからダリッチ独自のセンスだろう。感心しながら剣を躱していると、当たらない攻撃に焦れたダリッチが剣を振り回してきた。力任せに振ったらよけい当たらないだろうと思いながら身を躱す、相手の重心がぶれた所に剣を当てるとダリッチはその場にしりもちをついた。
だがすぐに剣を掴み立ち上がろうとするので、剣を大きく振りかぶり首に打ち下ろした。私はいつも通り寸止めするつもりだったが、目を見開いたリッチが剣を離し、広げた右手を私に向けて突き出した。
ダリッチ! そう叫んだのはたぶん副隊長だ。彼がこちらへ向かってくる様子、周りの人間の叫び声、瞳孔の開いたダリッチの顔を見て、私はとっさに腕で目と首を守った。
次の瞬間ダリッチの手から放たれた風魔法に身を切り刻まれた。
周りの怒号や混乱の声の中腕を下す。着ていた服は破れ、中の傷からは血が出ている。上半身のみ、十数か所の切り傷だ。傷の深さは大したことがなさそうだが、目に当たっていたら危なかっただろう。実際庇った腕には大きめの傷がついている。
ダリッチは副隊長に胸倉を掴まれ、怒鳴られながら呆然としていた。
「ダリッチってさあ」
私が話し出すとその場が急激にしんとなった。
「ダリッチって風魔法使えたんだ?」
「い、いえ・・・使えないと、思ってました。」
隣で副隊長が跪いて言った。
「私はこいつを子どもの頃から知っていますが、こんな魔法を使えるのを初めて見ました。人に殴りかかるのは見たことがありますが、魔法を使えるとは本人も知らなかったんだろうと思います!」
知っていようと知らなかろうと、剣の稽古で相手の承諾もなく魔法を使うのはルール違反だ。しかも相手は領主代理だ。領地によっては切り捨てられてもおかしくはない。
ダリッチは頭を副隊長に押さえられて地面に平伏している。周りの警備隊は状況を受け止められず戸惑っていた。私は面倒くさいことになったとため息をついた。
「・・・とりあえず、今日は解散。ダリッチはしばらく謹慎、処分は追って知らせる。」
傷がヒリヒリする。風魔法の傷に消毒はいるんだったかと思いながら屋敷の入口まで戻ると、後ろから足音が聞こえた。
「待ってください! あの、手当させて下さい!」
振り返ると必死な顔をしたダリッチがいた。
「・・・加害者が被害者を? いいから戻りなさい。」
「違うんです! ワザとじゃなかったんです! あの」
面倒になって話しているダリッチを無視して屋敷に入ったが、ダリッチも後からついてきた。私を見たメイドの目が大きく開かれる。
「救急箱持ってきて。」
私はそれだけ言って自室へと向かった。ダリッチがワーワー言いながらついてくる。私は部屋の前で足をとめた。
「あのさぁ、ここもう自室の前なんだけど、いつまでついてくるつもり?」
「手当させて下さい!」
手にはいつのまにか救急箱を持っていた。廊下の隅にさっきのメイドが去っていくのが見えた。
メイドもグルか。ますます面倒になって私は扉をあけて部屋に入った。ダリッチも当然のようについてくる。
破れた服を脱ぎ捨てて部屋の鏡で上半身を確認した。一番深い傷は右腕だった。腕で庇っていなければ首が切れていたかもしれない。痛みに顔を顰めながら右手を動かしてみた。血が床に落ちる。
「あの、お願いだから手当させて下さい。」
今にも泣きだしそうなダリッチの顔を見て私はため息をついた。確かに利き腕である右に包帯を巻くのは大変そうだし、これ以上床に血を落としても掃除が大変だろう。
「じゃ、止血して。」
ソファーに座って腕を差し出すとダリッチは割と手際よく包帯を巻き始めた。他の傷は浅くすでに血は止まっている。
「とりあえず止血しました。血が止まったら消毒しますね。では他の所を消毒します。」
「いやいいよ。」
「え? でも消毒しないと。」
「・・・痛いからいい。」
強張っていたダリッチの顔が少し緩んだ。笑うところじゃないぞ。
「いえ、砂埃が舞ってましたから。消毒します。」
有無を言わさずダリッチは消毒した布で傷口を拭き始めた。
「・・・痛い。」
「すみません。・・・すみません。」
傷はほとんどが腕だったが、腹や耳にも切り傷があった。冬だったらもっと軽症で済んだだろうに。それともそれを狙ったのか。
「ダリッチは・・・前は魔法使えなかったの?」
「はい。ごくたまに弱い風は出せましたけど、意識的にやろうとすると全然。」
「まあそういう人がほとんどだよね。・・・で、誰に習ったの?」
ダリッチはぶんぶんと首を振った。
「誰にも習ってません!」
「・・・普通生まれ持った魔力は変わらない、でも何らかの方法で人の魔力を増幅させられる人間がいるみたいなんだよね。是非紹介してほしいな。」
ダリッチが目を見開いたまま黙った。
「どうやったの? 私も実態を掴めてないんだ。術者の魔力でも流し込むの? それともなにか道具でも使うの?」
「違います! 何もしてません!」
ダリッチが叫んで立ち上がった。膝に置いていた消毒液が床に転がってまき散らされた。ダリッチが急いで床に這いつくばり拭こうとしている。もういい、ここの絨毯は張り替えよう。
「・・・殺意がなかったとは言わせない。」
私がダリッチを睨みつけると、ダリッチは床に座ったまま俯いた。その姿をみて蹴り飛ばしたくなる。だが心の片隅では、なぜここまで怒っているのか不思議でもあった。別に命を狙われることが初めてでもないのに。
「で、誰に頼まれたの?」
「頼まれてません・・・」
ダリッチが力なく言った。
「うちでも掴めていない幻の術者に単独で接触したの? どうやって?」
「そんなことしてません・・・」
ガッ
私は怒りに任せて横にあった低いテーブルを蹴り飛ばした。ダリッチがすくみ上る。
「尋問は警備隊の仕事だけど、今いるメンバーじゃ無理だろうな・・・」
副隊長からして昔からの知り合いらしいし、小さな町だから他も顔見知りばかりだろう。
「あの、警備隊のみんなは全然関係ありません! 本当に・・・出来心なんです。」
「・・・出来心で殺されてたまるかよ。」
つい本音が零れた。
「すみません! なんでもしますので許してください!」
ダリッチが床に這いつくばる。こんな姿が見たい訳じゃない。私は腕を伸ばしダリッチの顎を掴んで上を向かせた。
「・・・昔、私のこと好きって言ってたよね。まだ好きなの?」
「ち、ちがっ」
手から逃れようともがいたので、一層手に力を入れて顔を固定した。
「答えてよ。どうなの?」
「今・・・関係ないっ」
「関係あるでしょ。・・・むしろ私たちの関係なんて君が一方的に私に懸想してるってだけの関係でしょ? それ以外ある?」
見開いたダリッチの目に涙が浮かんだ。泣くまいとしてか顔が歪んでいる。
「離せっ」
ダリッチはそう言って再びもがいたが、私は離す気はなかった。
「答えたら離すよ。」
「好きだよっ!」
ダリッチが叫んだので私は手を離した。
「好きだよ、ずっと好きだよ。だけどもう嫌なんだ。こんなの・・・なんの意味もない。」
ダリッチはソファーに顔をうずめた。
「人の命を意味がないとは言ってくれるじゃないか。」
「あんたの命じゃなくて、俺が・・・もう終わらせたかったんだ。」
なんとなく馬鹿馬鹿しくなって私は組んだ足に頬杖をついた。
「・・・きみってよく泣くよね。」
「泣いてない・・・めったに泣かねえよ。」
計画的な犯行ではなかったと思う。他の警備隊もグルではないと思う。ただ、魔法を放つ瞬間のダリッチには強い殺意があった。そして魔力は急に上がらない。私にわかるのはそれだけだ。
「つまり殺したいほど私は愛されてるってことでいいのかな。」
私が投げやりに言うとダリッチは顔を上げた。目と鼻が赤い。
「違う・・・と思います。」
「もういいよ、二度と会わないかもしれないから言葉遣いは。」
ダリッチは痛みをこらえるような顔をした。
「確かに・・・ここ数年は憎んでるに近かったかもしれない。さっきの打ち合いでもあんたは涼しい顔でこっちの攻撃がまるで効かなくて・・・ずっと俺たちはこんななのかと思ったら無性に腹が立って・・・すみませんでした。」
頭を下げられても私が得るものはない。
「あと、本当に警備隊のみんなは関係ないんで・・・処刑なら私だけにしてください。みんなは私を元気づけようとしただけなんです。あの、春頃に母親が死んだので・・・」
「父親は他の女と駆け落ちしたし?」
「よく知ってますね。」
ダリッチは苦笑した。
「ええ、クソ親父が最近越してきた若い女と駆け落ちして消えまして。そのちょっと前から母親は具合悪くて寝込むことが多かったんです。なんかもう・・・親父に殺されたようなもんですよね。」
自嘲気味に笑うダリッチの顔には、先程私がつけた指の跡が残っている。
「それで自棄になって殺そうとしたの?」
「違います! そんなつもりは・・・でも、あったかも・・・」
どっちだよと言うとダリッチは乾いた声で笑った。
「あ、血止まったみたいだから、包帯巻いて。」
ハイと返事をしてダリッチが跪いて止血の包帯をほどき始めた。残りがほとんどない消毒液で傷周りの血を拭う。
「傷口は消毒しなくていいから。」
「はい」
ダリッチが少し笑った。




