57.兄弟の話⑱
戻ってきたダリッチは相変わらずニコニコと上機嫌だった。それなりに長い付き合いにはなってきたが、こんなダリッチは見たことがない。あの薬は精神にも作用するんだろうか、気分が高揚するような・・・そう言えば不安にも効くとか言ってたな。
ダリッチは楽しそうに、夜中に目が覚めてビックリしたこと、夢か現実かわからず混乱していると知り合いのメイドがきて助けてくれたことなどを話している。
「痛いけど眠いって変な感じだね。手洗いに行こうとしたけど上手く歩けなくて、ナカさんに掴まったら二人で倒れちゃってさ。結局男の人呼んでもらってその人に掴まって行ったんだ。一人でトイレ行けないって赤ん坊だよなぁ。」
ダリッチはずっと一人で笑ってる。
「赤ん坊といえばさあ、あんたはどんな赤ん坊だった?」
「はい?」
「覚えてる? あんたなら覚えてるんじゃねーの?」
「流石に覚えてないよ・・・」
「そうなの? 記憶力いいから覚えてるのかと思った。近所に住んでるガキがさぁ、赤ん坊の頃俺に叩かれたこと覚えてるとか言うんだけど・・・」
うん、これは酔っ払いだな。明らかにおかしい。酒は飲まなかった筈だが。
「ねえ、聞いてる?」
ダリッチが勢いよく私の隣に座った。やわらかいベッドが揺れる。
「うん?」
「なんで俺ばっかり喋ってんの? あんたも喋ってよ。」
何を喋れと言うのか。昼食にあの薬を少量混ぜて眠らせようと決意する。
「そうだね・・・何を話そうか。」
部屋の隅には何冊か子供用の本が置いてある。読み聞かせでもしてみようか。
「あんたはどんな子どもだった? 初恋はいつ?」
予想外の言葉に横にいるダリッチを見た。顔が赤く目が少し潤んでいる。なんだ熱があるんじゃないか。これはあれだな、子どもが熱をだすとはしゃぐやつだ。
「初恋ねぇ・・・」
言いながらダリッチを穏便に寝かせる方法を考える。熱があると指摘しても今のダリッチだと余計に暴れそうな気がする。疲れて眠るのを待つしかないのか・・・
「いつ? ひょっとしてマリアさんが初恋なの?」
「マリア? どこのマリアさん?」
「あんたの兄さんのお嫁さん。」
義姉? 何を言ってるんだこいつは。
「義姉は・・・別に嫌いじゃないけど、恋はしてないよ。」
「いやしてたでしょ。」
妙な断定口調にダリッチの顔を眺めた。真顔だった。
「してないと思うけどなぁ・・・」
確かに結婚前の義姉は輝かんばかりに奇麗だった。眩しかった。あの輝きは恋をしていたせいで見えた幻だったんだろうか。私は首を捻った。
「・・・まあいいけど。あんたはアダール様の方が好きだもんな。」
「それはまあ、そうだね。」
「そこは否定しないんだ?」
「兄弟だからね。普通でしょ?」
「いや、普通じゃないよ?」
そうかな? 親よりも妻よりも長い間を共に過ごすのが兄弟だ。それを好きになれないなんて辛そうだな。
「ダリッチ兄弟いたっけ?」
「いない・・・弟が欲しかったけど、貧乏だからダメなんだって。でも、ここに来てからはみんな優しくて・・・兄ちゃんや姉ちゃんみたいな人とか、弟とか妹みたいなやつとか色々いて楽しいよ。前の所は親父が嫌われてたから。」
「そうなんだ。」
「うん、賭博にはまって、酒飲んで暴れて。もうあんまり覚えてないけど、完全に夜逃げしてここに来たんだ。母ちゃんがここは賭博禁止の領だって聞いて、ここ以外ならもうついていかないって言ったんだって。・・・まあ色々あったけど、ここに来て良かったよ。まさか俺が役人になれるなんて思ってもみなかったしな!」
ダリッチはへらっと笑った。喉乾いたーと言いながら立ち上がりソファーに座って水を飲んでいる。顔はまだ赤いが顔つきはすこし普段に戻ったようだ。
ダリッチの父は王都の端でパン屋を営んでいた。腕は悪くなかったらしいが、賭場による借金、浮気、酒癖の悪さ等でダリッチが8歳の時に逃げるようにうちの領地に移住してきた。ダリッチが役人として働き始める際、警備隊が調べたところによると借金自体は少額だった為それ以降の取り立てはなかったらしい。それぞれの実家とも縁を切られたらしく交流はないようだ。
「・・・そういえばダリッチの初恋はミカさんなんだっけ?」
ダリッチが飲んでいた水を噴き出した。
「あ、やべ。ソファーにこぼれた。これ高いやつ? 怒られるかな。」
着ているシャツの袖口で一生懸命ソファーを拭いている。
「高いし怒られるよ。」
マジかっと叫ぶとダリッチはシャツを脱いでソファーを拭き始めた。なかなかいい筋肉がついている。
「水だから! すぐ拭いたし大丈夫! ねっ?」
必死なダリッチの顔に思わず笑みが零れた。
「そうだね・・・新しい服貸そうか?」
「あ、そういえばこれ俺の服じゃない・・・ひょっとしてこの服も高いの? なんの罠だよこれ!」
ハハハッと笑ってしまってから思わず口を押さえた。だが押さえきれない笑いが漏れ出る。
「その服は・・・たぶんメイドか誰かが用意してくれたんじゃないかな・・・なんなら私の服取ってこようか・・・」
「普通に笑いたきゃ笑えよ!」
その言葉に遠慮なく笑った。
「泣くほど面白いか・・・?」
ダリッチは完全に呆れていたが私の笑いはしばらく収まらなかった。
「あー面白かった。服取ってくるからちょっと待ってて。」
自室から白いシャツを持って返ると、ダリッチが部屋の中をうろうろしていた。
「ねえ、俺の服どこ? 見当たらないんだけど。」
「さあ。誰かが着替えさせて洗濯でもしてくれてるんじゃない?」
「俺そんなに汚れてたの? 血まみれ?」
「違うと思うけど・・・」
夜中に鼻血でもだしたのか? とりあえず服を着ろとシャツを手渡した。
「・・・なんかデカいんだけど。」
私のシャツを着たダリッチが憮然とした顔で言った。
「体格の差だね。」
「俺、あんたとほとんど身長変わんないのに。」
「筋肉でしょ。訓練の量と食事の量の差だね。」
「・・・あんただってあんまり訓練してないじゃん。」
「失礼だな。陰でしてるよ。まあ元々筋肉がつきやすい体質みたいだけど。」
でも見た目だけ大きくてもしょうがない。私は目立ちたくないのに。
ダリッチは納得できないという顔をしてソファーで黙り込んだ。
「・・・ところでミカさんの話だけど。」
「戻んのかよっ!」
ダリッチが赤い顔で叫ぶ。
「子どもの頃の話しろっていったじゃない。」
「俺のはいいんだよ!」
「私の子どもの頃の話でもあるよ。ミカさんってあれでしょ・・・赤髪でポニーテールして、いつも兄に向かってキャーキャー言ってた子でしょ?」
「・・・よく覚えてんな。」
「うん、思い出した。ダリッチがその横ですごい顔でこっちを睨んでたのも。」
「・・・そうだっけ?」
「当時いくつだったかなあ・・・ちょっと覚えてないけど、何年か続いたよね。当時は私も子どもだったから、なんで話したこともない子に睨まれてるのか不思議だったけど、あれ、ミカさんが他の男にキャーキャー言ってたからヤキモチ焼いてたんだよね?」
「・・・領主様一家は平民のことなんて見てないと思ってたよ。」
「見てるに決まってるじゃない。兄さんは当時、領民のほとんどの顔と名前を覚えてたよ。」
「そんな奴いるわけ・・・」
「いるんだよ。それがうちの兄。」
断言するとダリッチが黙った。どうやらおかしなテンションも落ち着いたようだ。熱が下がったんだろうか。
「・・・ミカは当時本気でアダール様と結婚するって言ってたからな。」
そういう女の子が当時沢山いた。むしろそういう女の子を上手にかわす為に私を連れて歩いてたのではないかと今でも思っている。断り文句は「今日は弟がいるからゴメンね。」だ。
「アダール様が結婚して流石に諦めたみたいだけど、今でもアダール様以外の男とは一緒になる気にならないって言ってる。」
「・・・今もミカさんが好きなの?」
「まさか。・・・本気で言ってる?」
ハハッとダリッチが乾いた声で笑った。そしてそれきり俯いて動かなくなった。




