44.兄弟の話⑤
夏の終わり、義姉の妊娠が発覚した。つわりがあるとのことで、義姉は教会にほとんどこなくなった。元々字を教えるクラスは私が受け持っていたが、これを機に教える側を増やすことにした。簡単な計算から帳簿づけを役所の人間が、字を教えるクラスは私とダリッチが受け持つことになった。ダリッチはまだ主な仕事が決まっていないドーナー家の使用人だったからだ。
幸いなことに文字を習いたいという人間は子供から大人まで徐々に増えていった。それに伴い私の交流関係も劇的に豊かになった。これまで私は領地の人間と関わることがなかったが、今では町を歩けば沢山の人に声を掛けられるようになった。役所の人間とも気安く話すようになり、仕事も少しづつ関わらせてもらえるようになった。楽しい夏だった。
「ダリッチ随分と字がきれいになったね。」
生徒が帰り二人きりになった教会の一室で、私たちは文字見本を書くことに追われていた。
「見本だからな。前に俺の字の癖をそのまんま書いたヤツいたし・・・やっぱ見本は綺麗に書かないと。」
意外と生真面目な一面を見て笑ってしまう。口は悪いままだが面倒見がよい彼は年下の子供たちからも慕われていた。
「・・・このままこんな感じが続くのかなあ。」
今ままで私は積極的に人と関わるということをしてこなかった。私に積極的に関わってこようとする人もいなかった。今の子供たちや町の人から先生と呼ばれる状態は嬉しいが、自分はそんなに大した人間ではないという思いもあった。兄に比べたら自分は・・・
「何が? 先生辞めたいの?」
ダリッチが不機嫌な顔で言った。
「いやそういうことじゃないよ。でもこの辺りの人が字を覚え終わったらどうしようかなと思って。」
「は? まだお坊ちゃんに字を教わるなんてーとか言って来ないババアもいるし、親に赤ん坊が生まれたばかりだから来れないってヤツもいるし。・・・ここが終わっても別の地区の教会に行けば、まだ教わりたい奴はいっぱいいると思うけど。」
「・・・それをダリッチと二人で教えるのは大変そうだね。」
「嫌なの?」
「嫌じゃないけど・・・ちゃんと学校を作った方がいいような気がしてきた。」
「俺は・・・」
ダリッチが何かを言いかけてやめた。
「何?」
「俺は・・・別にいいけど。」
熱心だなぁ。私も別に教えるのは嫌いじゃないんだけど、何十年もかかるならちゃんと組織を立ち上げた方がいいような気がする。
ダリッチは他の教会と言っていたが公的にはうちの領地の教会は今いるここだけだ。だがいくつか教会のような役割をしている場所があるらしい。まずはそちらに公的支援をするのが先だろうか。教会というとややこしいから、役所の分所的な感じにすれば・・・
「俺と二人じゃ、嫌なの?」
ダリッチは妙に真面目な顔で言った。
「うん? 人数が多いなら手分けした方が効率的だと思って。」
首を傾げるとダリッチは俯いて言った。
「俺は、このままがいい。」
私は苦笑した。随分と懐かれたものだ。
「当分はこのままだよ。でも識字率を上げることはきっと領地を豊かにする。なら私はドーナー家の人間としてやるべきことをやらないと。」
「・・・あっそ。」
ダリッチはまた文字見本を書き始めた。拗ねたんだろうか。
「今度その、ここ以外の教会へ連れて行ってよ。管理者がいるなら会ってみたい。」
機嫌を取るように言うとダリッチは頷いた。なんだか弟ができたようで可愛かった。




