41.兄弟の話②
当時私は兄の片腕となるべく、領主補佐の勉強を始めたばかりだった。来年には兄が領主になり、父は引退し王都に隠居。兄夫婦が領地を切り盛りし、自分がその補佐をするつもりだった。
ちなみに母は私が王立学園に入園する直前に流行り病で亡くなっている。少し気が弱い所があったが優しい人だった。父はやや独善的で豪快な人だった。どちらも兄の得体の知れなさに気が付きながら何もしなかった。親だからと言ってどうにかなるものでもなかったのだろう。
ではこの人はどんなんだろう。私は興味を覚えて図書室で一人で本を読んでいる兄嫁予定の人に近づいた。
「あらハジム。ごきげんよう。」
兄の婚約者はこちらが声をかける前に気が付いてにっこりと微笑んだ。確か22歳、軍人として国中を飛び回る兄を待ち続けた為結婚が遅くなったとされている。先ほどの兄の話と合わせると兄が結婚から逃げ回っていたようだが。
「なにか御用かしら?」
彼女が読んでいるのはドーナー家の資料のようだ。
「なにかお役に立てるかと思って。」
そう言いながら私は彼女の正面に座った。部屋の隅にはメイドが静かに待機している。
「そうね・・・こちらでは随分とクリスマスのお祝いを盛大にされるのね?」
よく見ると彼女が見ているのは古い帳簿だった。確か少し前に帳簿のつけ方を統一すべしとのお達しが国から出された。その立案者が彼女だと聞いている。
「ええ、この辺りの冬は寒いので。長い冬に気が滅入らないように盛大に祝うんですよ。」
「少し前に秋祭りもあるのに、随分とお祝い好きの領民なのね?」
「・・・多少は父の趣味も入ってますね。」
来たばかりなのに随分とずけずけ言う人だ。
「なるほど。お義父様は楽しいことがお好きなのね。勉強になります、ありがとう。」
義姉はにっこりと笑った。前から思っていたが、義姉の笑顔は少し嘘くさい。
「他にも何か質問はありますか?」
「いいえ。・・・あなたにはあるんじゃないかしら?」
義姉が上目遣いで私を見た。「家族になるんだもの、遠慮なくどうぞ。」
挑発されているようで私は目を反らした。だがここで黙るのも癪だ。
「マリアさんは・・・兄と学園で一緒だったんですよね?」
「ええ、学年は一つ違うけど。」
「馴れ初めをお聞かせください。」
義姉はくすくすと笑った。
「対外的には”在園中に惹かれあったが彼は国のために何年も王都を留守にした、私は健気にそれを待ち続けやっと結婚することになった。”って言われてるわ。」
「本当は?」
「私が一方的に追いかけまわしたのよ。」
義姉は人差し指を立て自分の唇に当てて言った。「内緒よ」
悪戯っぽく笑う義姉を見て私は初めて好感を抱いた。
「兄はモテましたか?」
「ええ、とても。いつも皆の輪の中心にいたけれど、ただ笑顔を振りまくだけで誰かと付き合ったりはしなかった。たくさんの女の子が泣いてたわね。」
「あなたもその一人ですか?」
「まさか! 私が泣かしてやりたくて追いかけたのよ。」
それは好きで追いかけたのと同義だろう。
「泣かせましたか?」
「残念ながらまだね・・・。」
義姉は遠い目で呟いた。「でも絶対泣かす。」
それを聞いて私はこの結婚を心の底から祝福する気になった。この人なら兄とも上手くやっていけるだろう。たとえ兄が彼女を愛していなくても、彼女と過ごす毎日は楽しそうだ。
「・・・兄をよろしくお願いしますね。」
ありがとうと彼女は微笑んだ。
「ところであなたは結婚しないの? もう王立学園は卒業したんでしょう? 学園にはいい人いなかったの?」
「・・・あまりピンとくる人がいなくて。」
「贅沢ね」
「まあ兄が家を継ぐんだから自分はどうでもいいかなと思ってます。」
「あなたもたくさんの女の子を泣かせてきたタイプね。」
義姉は苦笑した。「まあ運命の人に会えてないなら仕方ないわ。」
「運命ですか?」
「そうよ」
「兄はあなたの運命の人だと?」
もちろん、と彼女は微笑んだ。両想いでない運命もあるんだろうかと頭の片隅で考えたが、羨ましいと述べるに留まった。人生は長いのだ。
その後も他愛のない話を続けていると、兄が部屋に入ってきた。三人でお茶を片手に長い間語り合った。兄がいかにモテていたかということ、義姉が学園の教師を理詰めで言い負かし最終的には有識者を集める大討論会が開催されたこと。最終的には義姉の主張が正しいとなり、この間の帳簿様式の全国統一に繋がったこと・・・。
私はその時初めて兄が数年領地に帰ってこなかった理由も聞いた。なんと国中を回って軍事指導をしていたらしい。
「それ、軍の仕事なの? 各領地の指導者がやればいいんじゃない?」
義姉の意見に私も頷いた。領地を治めるのは領主の仕事だ。領主の手に負えなくなった時は国に助けを求めることができるが、基本は自治だ。
「領地によるね。うちや君のところなんかはキッチリやってる方だけど、農作業ばっかりやってて長い間剣も握ってない人は沢山いたよ。」
「警備隊でも?」
「別に誰も攻めてこないからね。」
兄の言葉にしばし考える。王都には治安が悪いとされる場所があって、実際目つきのおかしな男たちも見たことがあるがひょっとして王都が一番治安が悪いんだろうか。
「・・・私のところは鉱山があるからか、血の気の多い武闘派が多いのよね。柄が悪いというか・・・なるほど、どうりで他の貴族のお嬢さんと話が合わない筈だわ。」
義姉が一人頷いている。彼女も貴族のお嬢さんのはずだが。
「うちは代々軍に関わってるしから稽古は厳しくやってるけど、意外と他はそうでもないんだよ。」
兄が私を見て言った。私は領地と王都以外ほとんど出たことがない。この先もきっとそうだろうと思う。私は黙って頷いた。
「ハジムは知らない世界を見てみたくない?」
兄が悪戯っぽく言う。私は苦笑して言った。
「あまり興味はないかな。」
「でも君が見たこともない世界が沢山あるんだよ?」
「何もかもを知りたいとは思ってないから。・・・気が付いてないことに、気付きたいけど。」
義姉が首を傾げた。
「どういう意味?」
「遠いところまでいかなくても・・・大事なものはすぐそばにある気がして。」
言ってからなんだか恥ずかしいことを言った気がして顔が赤くなった。
「そんなことより、兄さんももう国中回ったんなら領地に帰ってきてもいいんじゃない? 父さんを引退させてあげなよ。」
「戻らないよ。結婚に関するあれやこれやが終わったらまた出かけるよ。まだ行ってない場所もあるしね。」
兄の言葉に場の空気が少し重くなる。義姉は目を伏せて笑っていた。代わりに私が口を開く。
「・・・いつから?」
「来年の春には。」
「いつ帰ってくるの?」
「気が済んだらかな。」
新妻をほったらかして緊急性のない長い旅にでかけるのか。本当に”周りがうるさいから”結婚するんだな。
「・・・さすがに外聞が悪いのでは?」
「気にしなきゃいい。」
兄は肩をすくめた。そうだ、気にするのは兄以外の人間だ。
和やかだった空気が重くなっていく。タイミングよく執事が昼食を呼びに来て私はホッとした。随分と長く話し込んだものだ。
それぞれ立ち上がって移動する際に、兄は私にだけ聞こえるように耳元でこっそり囁いた。
「僕の運命の人はまだ見つかってないからね。」
私は曖昧に笑って返事をしなかった。
本当に兄は、酷い人だ。




