33.降臨
私はその日、昼間は笑顔で、夜はメソメソして過ごした。最悪な日だった。
次の日の朝、泣きすぎて腫れあがった目を冷やしながら考える。仕方じゃないじゃないか、どうせ仕事だろう。クマはまだ平民だし、貴族になにか言われたら断れないんだろう。教会の将来もあるし、仕方ないじゃないか。
自室のソファーで濡れタオルを目に当てたまま考える。自分で出した水で作った濡れタオルなのであまり冷たくない。鼻をかもうと顔を上げると、いつの間にかテーブルの隅に氷の入った器があった。うちの使用人はなんて気が利くんだろう。
鼻をかみ、氷で目元を冷やしながら考える。さすがにもうクマを追いかけて王都に戻るなんてできない。かといってクマが戻ってくるかもわからない。仕事も始まるし戻ってこなさそうだ。
このままだと家族で王都に戻る秋まで会えない。いや会ってどうする? 置手紙すら残さない男に。
一晩中考えたことをまた考えるだけで涙が出てくる。
「バカみたい」
呟くと腹が立ってきた。立ち上がり鏡を見る。目の腫れは少し引いたが、酷い顔の女が映っている。ブサイクだ、こんなんだから逃げられるんだ。
私は大きく深呼吸をした。止めだ止めだ。考えたって泣いたってわからない。クマの気持ちや考えが知りたいなら本人に聞くべきだ。
なるべく淡々と身だしなみを整える。瞼を氷で冷やし続けるといつもより少し浮腫んでいるぐらいに収まった。ちょっと寝不足だからね、仕方ない。
いつもより遅い時間だったので、叔父とダリッチはすでに仕事に出かけていた。一人で朝食を取っていると遠くで誰かの大声が聞こえた。護衛隊だろうか。
「何かあったの?」
傍にいた執事に聞くとやや困った顔で耳打ちされた。
「北のほうが何やら騒がしいようです。」
周りに誰もいないのに耳打ちとは、公には言えない話なんだろう。私は頷いて食事に専念することにした。食べながら考える。
うちの領地は国の北のほうにあり、これより上はすべて山だ。険しい山が続き、誰もその向こう側を見たことがないとされている。山は王国領だが、その管理をドーナー家が任されているので何かあったらうちの責任になる。しかしあの山に何が起こるというのだろう。
食事を終え腹ごなしに庭に出ようとして、ここが王都ではないことに気づき急いで宅内に引き返した。この屋敷には小さな中庭しかない。あのベンチは今見たくない。
仕方なく屋敷内に引き返し、図書室へ行った。図書室といっても昔の領主の日記とか歴代の帳簿とかしかない。本の倉庫みたいなもんだ。私は図書室には似つかわしくない豪華なソファに腰かけた。我が国の王は定期的に山を視察に来られる。その際に宿泊されるのがこの屋敷だ。ここは国王を泊める迎賓館も兼ねている。だからここは何もかも重厚で豪華でレトロだ。
「山ねぇ・・・」
この国の上限である山の中には、大きな湖がある。そこから流れる川は王都やその先まで続き、国全体の水源となっている、ことになっている。実際に流れている川はあまり大きなものではなく、どう考えても国全体の水源とはほど遠い。まあそこは、魔法的なアレで何とかしているのだろう。知らんけど。
山にでる異変で考えられるのは、やはり怪物・魔物系だろうか。
「魔物なんていたっけ・・・」
ゲームのことを思い出してみるが、主人公が戦う相手はならず者や野犬等ばかりだった気がする。大きな敵はおらず、勉強や魅力なんかのステータスを上げる方が大事だったはずだ。学園ものだったし。ただ、前任者が書いたシナリオには冒険者エンド的なものもあった気がする。噂でしか聞いたことないけど。なんせマルチシナリオだし、量が膨大で全部は読む気がしなかった。うん、何の役にも立たないな私。
あとは・・・天変地異か。地震雷火事親父、地震と雷はなかったはずだ。山火事だったとしたらかなり厄介だ。規模によるがうちの領地へのダメージは計り知れない。
不安になり窓の外へ顔を出してみる。山全体が見えるわけではないが、煙が上がっているようには見えなかった。あとは何だろう・・・
窓辺で考えていると王都の方から馬がやってくるのが見えた。三頭いる・・・スピード早いなぁと思いながらじっと見ていると、先頭の赤髪はどうやら父のようだった。
慌てて玄関ホールに降りると執事やメイドなんかも慌てていた。やはりあれはお父様のようだ。執事と目配せだけをして静かに待つ。ほどなくして父が入ってきた。
「お帰りなさませ」
「おや、ミツコ。どうしたんだい?」
すっとぼけた顔で父は言った。息が乱れてもいない。馬車も使わずここまで馬できたんだろうか、すごい体力だ。
「お父様が来られるのが見えましたので。お疲れでしょう? お茶でも飲まれますか?」
「・・・そうだね。弟を呼んでくれ。少し話がある。」
父の声に一斉に皆が頭を下げた。メイドはお茶の用意をしに行き、執事は叔父を呼びに行く人間を探している。年の半分もいない領主だが、やはり父がここの主だ。
私も頭を下げた後黙って父の後について談話室に入った。部屋に入るなり父は言った。
「で? ミツコはどこまで関わってるの?」
「えっと・・・すみません、何も知りません。」
「無関係なんだね?」
「はい」
何だか知らないが、無関係だと思う。たぶん。
「あっそう」父はため息をついた。「じゃあ黙って見てなさい。」
そういうと父はソファーに腰かけた。足を組み気だるげだ。私は迷って少し離れた場所に座った。どうやら私は部外者らしい。けれどドーナー家の一員ではあるので領地に何が起こっているのか知りたい。
父がお茶を飲み終わる前に叔父がやってきた。横にダリッチも連れている。
「お待たせしました。」
少し息が乱れたまま、二人は父の対面に座った。父がやはり気だるげで問う。
「見に行ったの?」
「昨日に。今日はまだこれから行くところでした。ただ見張りのものによると、益々水位が下がっているとのことです。」
「ふーん」
父はどこか心あらずだ。
「兄さん?」
叔父が心配そうな顔で父を見ている。確かに今の父はどこかおかしい。
「・・・まあなんとかなると思うよ。それより君たちいい加減結婚したら?」
叔父は目を丸くしてダリッチはみっともないぐらい目が泳がせた。
「養子を取るといいよ。優秀なら将来的にこの領地を継がせればいい。ひとまずは君が跡をついで、その後はミツコが継ぐのかな? マリアの役職は今のままで。再婚するなら出て行ってもらう。ミツコも早くクマンドと結婚してね。」
「お父様!?」
まだ何か喋ろうとするのを急いで遮る。これじゃまるで・・・
「兄さん、死ぬ気ですか?」
叔父が険しい顔で言った。これじゃまるで遺言だ。
「うーん、どうだろ。死ぬかどうかはわからないけど、戻ってくる気はないかな。」
父は軽くそう言った。
「すみません、我々はまだ湖の水が干上がりそうだということしかわかっていません。兄さんは何を知ってるんですか?」
叔父が父に詰め寄った。
「説明が難しいなぁ」
「兄さん!」
はぐらかすような父の言葉に叔父が苛立つ。父は困ったような顔で笑った。
「僕を迎えに来た人がいるんだ。・・・人かどうかまだわからないけど。だから僕が行くってだけだよ。」
「? 魔物ですか? そんなに強いなら我が家の総力を上げて討伐すべきでは。」
「倒しちゃダメだよ。僕の恋人なんだから。」
父の言葉に私は頭を抱えた。アレか、あの人か!!
父と叔父はまだ喋っているが私はもう聞いていなかった。どうりで父がおかしい筈だ。これはアレだ、恋愛モードだ。久しぶりに会える恋人を思ってうっとりしてる顔だ。人騒がせな人たちだなぁもう!
「お父様、私もその場にご一緒しても?」
「・・・ややこしいからダメ。」
どういう意味だ。存在的にだろうか。でも最早私とあの人は別人だと思う。現に近くにいるらしいのに知らなかったし。
「どうしてもですか?」
「ダメ。馬に蹴られちゃうよ?」
父は楽し気に言った。単にデートの邪魔されたくないだけっぽい。
「あの・・・話がよく見えないのですが・・・」
ダリッチが小声で切り出した。そういえばいたね。
「湖の水位と、その、誰か?は関係あるんでしょうか。」
「僕の気を引きたかっただけじゃないかなぁ。」
その答えでわかるのは私だけでは。
ダリッチも叔父も困っている。
「お父様が行けば、人身御供として湖の水位が元に戻るってことでいいのかしら?」
「そんなこと!」
叔父が立ち上がった。「そんなこと絶対にダメだ。やめてくれ兄さん。」
「ミツコはちょっと黙ってなさい。・・・まあ後世的にはそれでいいけど。もう、ミツコがややこしいこというから説明が面倒じゃないか。」
なぜ私が怒られるのか、解せぬ。
「僕は、僕の意思で最愛の恋人に会いに行くんだよ。生きててこんなに楽しいことはない。そうだろう?」
確かに一人だけ楽しそうだ。
「魔物が恋人ってこと・・・? よくわからないよ兄さん。もうよくわからないけど、ちゃんと帰ってきて説明してよ。」
「えー、めんどくさい。」
叔父は無言でうつむいた。
「・・・泣くなよ、ハジム。」
父が困った顔で言った。「お前とはどっかでまた会う気がするよ。」
「どっかって何だよ、いつだよ。」
叔父は鼻声だ。
「僕たちは大きなうねりの中にいるんだよ。出会いも別れも一瞬だ。」
父はそう言うと立ち上がった。
「じゃあね」
軽くそう言うと、父は部屋を出て行った。
それきり帰ってこなかった。




