9話 手遅れでござる
江戸を出て6日、ようやく京都に到着した。俺たちは観光も兼ね、それぞれ自由に町中を散策していた。
京都の町は、江戸に負けず劣らず栄えている。碁盤の目のように規則正しい町の作りはとても美しく、そして魅力的に見えた。
「ねえ、ヤス。あの大福美味しそうじゃない?」
「いいね。小腹もすいたし、食べようか」
俺は大福を2つ買ってきて、1つを綾に渡した。彼女はそれを大きな口で頬張ると、俺に砕けた笑顔を見せた。俺は自分の大福に手をつけることも忘れたまま、しばらくぼーっと彼女を見ていた。
俺の心の中では、今も複雑な感情が蠢きあっている。彼女とこうやってタイムスリップしてくる懐かしさや嬉しさもあれば、またこんな事態に巻き込んでしまい、彼女に対して申し訳ない気持ちもある。
彼女は俺と出会ってしまったばかりに、再びタイムスリップしてしまうことになったのだろうか。もしそうであれば、俺は自分の存在さえも否定しかねない。
「ちょっとヤス、食べないの?」
「あ、いや、食べる」
彼女の一言が、俺を現実に引き戻した。俺は彼女に優しく微笑んで、そのまま大福を食べた。確かにそれはとても美味しいが、おそらく綾と一緒に食べているからだろう。
「……」
「あなたどうかした?浮かない顔してるけど」
「あ、ごめん、すごい美味しいよ」
「そういうことじゃないよ。何かあった?」
綾は俺の顔を覗き込んで、俺の口の周りについた粉を紙で拭いてくれた。
「私は幸せだよ。タイムスリップする前だって、今だって」
「え……?」
「あなたのことが好き。今までもこれからも、それはずっと変わらない。だからもっと笑ってよ。もっと楽しんでよ」
「綾……」
「ほら!せっかくタイムスリップできたんだから、長期休暇だと思って全力で楽しもうよ!」
「うん。そうだな、綾。ありがとう」
俺は綾を軽く抱きしめた。彼女は少し驚いた様子だったが、やがて俺の背中に手を伸ばしてくれた。
彼女の言葉に勇気づけられた、とは何か違う。しかし、彼女の一言が俺の胸に引っかかっていた何かを取り払ってくれたことは紛れもない事実だ。
「なんだか、出会った頃の私たちみたい」
彼女はそんな冗談を口にしたが、実は俺もまさに同じことを思っていた。この初々しくも温かな思いを抱きしめる感覚を、結婚してからは感じることもなくなっていた。それを俺は今、ようやく思い出したのだ。
太陽も沈んですっかり辺りが暗くなった頃、俺たちはマサとタケと合流した。それぞれ満足のいく京都旅行を楽しめたようだったが、御目当ての龍馬の情報は得られなかった。
「とりあえず、今日は宿に泊まろう。龍馬の情報はまた明日集めよう」
「なあ、あそこ宿屋じゃないか?」
「ちょうどいいな。そこにしよう」
宿の名前も確認することなく、俺たちは流れるように入っていった。長旅に疲れていた俺たちにとって、寝れる場所さえ確保できれば大きな問題はない。
その宿屋は2階建だった。2階では大勢の人が宴会を楽しんでいるのか、大きな声で騒いでいるのが聞こえた。
「すいませんね、上のお客様がうるさくて」
「いえいえ。大丈夫です」
俺たちは1階の奥の部屋に通された。襖を全て閉じれば、宴会の声もあまり気にはならなかった。
「お食事、すぐにご用意いたしますね」
「ありがとうございます」
女性の店員さんは深々と頭を下げて、部屋を後にした。随分と若い人だったが、しっかりした礼儀作法で少し驚いた。
「よし。ご飯の前に、今後の作戦会議をしよう」
「わかった。そうしよう」
タケの一言で、俺たちは囲炉裏を中心に丸くなって座った。
「坂本龍馬は土佐藩の出身なんだけど、確か脱藩してる期間が長いんだ。もちろん土佐にいる可能性も考えられるが、ここ京都に彼がいてもおかしくはないはずだ」
「坂本龍馬がこの町にいるかもしれないのか?」
「わからない。だからこそ情報を集める必要がある」
その後、俺たちは坂本龍馬の目撃情報を片っ端からかき集める作戦を実行することで同意した。地道で時間のかかる作業には変わりないだろうが、綾がタイムスリップしてきてしまった以上、現世に急いで戻る必要性も俺はあまり感じなかった。
しかし、江戸時代をエンジョイしたいタケや俺とは対照的に、マサは奥さんと子供のことが気がかりな様子だった。
「なあ、あと1週間にしてくれないか?それ以上はもうこの時代にいられない」
「……わかった。じゃあ坂本龍馬探しの旅の期限は1週間。それでも見つからなかったら、潔くみんなで未来に戻ろう」
「ありがとう、みんな」
それでうまく話はまとまった。そして間もなく、待ちに待った料理が俺たちの部屋に運ばれてきた。
お米とお味噌汁、魚の煮付けと小鉢がお盆に載せられ、畳の上に綺麗に並べられた。若い店員さんは深々とお辞儀をしてから、料理の説明を始める。
「こちらは新潟県産のお米でございます。そしてこちらがほうれん草のお味噌汁、小鉢はごぼうの煮物でございます」
俺たちは店員さんの聞き耳を立てる。こんなにしっかりとした食事は、タイムスリップして以来初めてだった。
「そしてこちら、カレイの煮付けが本日の主菜でございます。使用している醤油は我が寺田屋で代々受け継がれてきたもので、独特の風味が……」
「え?今なんとおっしゃいました?」
「ど、どうされましたかお客さま」
店員さんが説明している最中にタケは突然表情を変えると、徐に彼女の言葉を遮った。明らかに彼は何かに気付いた様子だった。
「ここの宿屋の名前、なんて言うんですか?」
「寺田屋でございますが……」
「なるほど」
「それがどうかなさいました、お客様?」
「上に宿泊してる客って、どなたですか?」
「名前は存じ上げませんが、土佐弁を喋っておられました」
「……」
「お客様?大丈夫ですか?」
「大丈夫です。ありがとうございました」
店員さんは首を傾げながら、俺たちの部屋を出ていった。だが首を傾げたいのは俺たちも同じだ。俺はタケが何に気づいたのか、皆目見当もつかない。
「どうしたんだ、タケ。何か気づいたのか」
「いいニュースと悪い知らせがある。どちらから先に聞きたい?」
「じゃあ、いい知らせから」
「上の部屋に坂本龍馬がいる」
「マジか?それ、本当か!?」
「そして悪い知らせは、俺たちはここで死ぬかもしれない」
「な、なんだよそれ!」
タケが冗談を言っているようには見えない。だからこそ俺たちはその言葉を聞いてたじろいだ。
「どういうことだ、タケ。説明してくれ」
「寺田屋事件だ。坂本龍馬がここで何者かに襲われる」
「てことは、龍馬も俺たちもここで死ぬってことか?」
「史実通りになれば、龍馬はここでは死なない。だが俺たちはどうなるかな」
せっかく用意してもらった食事に手を出す人は誰もいなかった。俺たちは早急に次の策を練る必要があった。
「い、今すぐ龍馬に写真を撮ってもらおう。そして事件が起こる前にすぐに逃げる。これでどうだ?」
マサは震えた声でそう言った。だがそれとほぼ同時に、突然女の人の甲高い叫び声が聞こえてきた。
声の方向を咄嗟に振り向くと、襖に不審な人の影が浮かび上がっていた。
「……もう手遅れみたいだ」
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