5話 勝海舟でござる
「おい貴様ら!朝だと申すのにまだ寝ておるのか!」
誰かの大きな声がして目を覚ますと、牢屋の前に偉そうな人が1人立っていた。派手で立派な着物を着て、周りに従者のような人を従えている。
俺は警戒心を強く持った。温和な顔をしているが、何をしてくるかわからない。少なくともこんなところに俺たちを閉じ込めている以上、敵には違いないのだから。
俺はタケとマサを強く揺すってすぐに起こした。彼らは目を覚ますと、その状況をすぐに察して鉄格子の近くから離れた。
「お、お前らは何者だ」
「それは某の質問にござる。貴様らは何者であるか」
俺は黙ってタケを見た。こういった駆け引きはタケが1番優れている。タケはゆっくりと立ち上がると、鉄格子越しにその偉そうな人物を睨みつけた。
「勝手に捕まえたのはそっちだろ?名前を名乗るのはお前が先だ」
従者は鞘に手を当て刀を抜こうとしたが、偉そうな人がそれを手で制した。
「いいだろう。某は勝海舟にござる」
「……」
俺とマサは目を合わせ、その驚きを静かに共有した。まさかこの人物が、あの有名な勝海舟だったなんて。敵でなければ握手してサインも欲しいぐらいだ。
しかし、勝海舟を睨んでいるタケはその名を聞いても微動だにせず、フッと鼻で笑うだけだった。
「じゃあ俺たちの名前も教えてやる。俺たちはアメリカからやってきた。俺はダニエル。そこにいるのがマイケルとボブだ」
そうか、異国人だと思われているのならその設定を生かす他にない。恐らくこの現代の服と、現代の喋り方が異国人と間違われる理由に違いない。
だがそんなタケの名案をよそに、マサが心配そうな顔で俺に小声で喋りかける。
「おい、どっちがマイケルでどっちがボブだ」
「知るかよ。そんなことどうだっていいだろ!」
「決めとかないと設定だっていうのがバレるぞ」
「わかったわかった。じゃあ俺がマイケルでお前がボブだ」
「了解だ、マイケル」
英語の教科書に出てくるようなありふれた名前だが、この時代なら横文字であればどんな名前でも問題はないだろう。
「日本語が達者な様子でござるが」
「勉強したんだ」
「お主はどうやって江戸に来た?」
「夜中に船でだ」
「何をしにきた?」
「商売だ。アメリカから面白いものを持ってきたからな」
ここは江戸。タケの作戦によって勝海舟からここが江戸であるという情報を引っ張り出した。
「その面白い物とは何ぞ。某に見せてみよ」
タケはポケットをあさり、自分のスマホを取り出した。パスワードを解除して、鉄格子の隙間から勝海舟に手渡した。
「なな!?光る板ではござらんか」
「それを売りにきた。どうだ、それをタダでやるから、ここから出してくれ」
「むむ……」
タケの交渉は順調に進んでいるようだ。勝海舟はタケのスマホをじっくりと見つめ、やがて首を傾げた。
「これは光るだけか?」
「いいや、写真を取ることもできる」
「写真?こんな小さい板が写真を撮れると申すのか?」
勝海舟が写真を知っていることに、俺は驚きを隠せなかった。この時代から写真というものは存在していたというのか。
タケは勝海舟からスマホを返してもらうと、少し操作して適当な写真を1枚撮り、その画面を勝海舟に見せた。
「なな、なんということ!アメリカの文明はここまで進んでおるとな」
「ハハハ。どうだ?欲しいだろ?」
勝海舟は目をキラキラと輝かせている。その目はまるで夏休みを待ち侘びる少年のようで、その無邪気にスマホを眺める姿を見ていると、なぜか俺たちも童心に帰ったような気分だった。
「仕方あるまい。おい!錠を開けろ」
従者は勝海舟の命令通り、俺たちの牢屋の鍵を開けた。俺たちはようやく、この短くて長いような牢獄生活を終えた。勝海舟は、想像以上に話のわかる男だった。1つの危機を脱し、俺は胸を撫で下ろした。
「ありがとよ、おっさん」
「すぐ母国に帰られる予定であるか?」
「いや、観光してからにするよ。だからよ、新しい服と馬も譲ってくれねえか」
「むむむ……。よかろう」
タケは交渉を怠らなかった。勝海舟は渋々納得した。彼は大事そうに握るスマホに目を移して、自らを納得させるように小さく頷いた。
俺たちは閉じ込められていた部屋を出て、階段を登った。そこは長い廊下になっていて、左右には無数の部屋が用意されている。襖は閉じられているが、中から人の声が漏れて聞こえてくる。
「ささ、こちらです」
廊下の突き当たりの襖を開けると、鋭い太陽の光が俺の目に入ってきた。眩しくて思わず体を仰け反らせてしまった。
「そ、外だ!外の光だ!」
「服と馬は今お持ちしますので、少々お待ちください」
最後に陽の光を浴びたのが、遠い昔のように感じる。明るくなった空を見上げて、大きく伸びをした。体の疲れが浄化されていくような気がした。
「おい、お前ら!すげえぞ」
タケの大袈裟な叫び声を聞いて、俺はタケの指差す方角に目をやった。そこには感動的な景色が広がっていたのだ。
「な、なんだこれ……」
少し高台になっているこの場所からは、地平線の奥まで無限に続く広大な町が一望できた。これが恐らく、250年以上に渡って発展を遂げたあの江戸の町なのだろう。
その光景を目の当たりにした俺たちは、そこから一歩も動くことができなかった。この光景を1秒でも長く見ていたかった。言葉を失った俺たちは、時間を忘れて呆然と立ち尽くしていた。
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