萩山多喜子①
私は学校帰りの道の途中、トラックにはねられて死んだ。
その後私の魂はしばらくその場に残っていた。
無念だったのだ。高校生なのに、未来があるのに、死んでしまったことに。
特にやりたいこととかあったわけではなかったけれど、死ぬなんて思っていなかった。
何も考えずに過ごしていたのに、死んでから未練が出てきてしまった。
十五年間もその場にとどまり、後輩たちの学校の行き帰りを見送っていた。
私の姿が見えるわけもなく、ただ通り過ぎるだけの高校生たち。
十五年の歳月が、私を風化させ、誰も私が死んだことなんて忘れてしまった。
そんな中、佐井君だけが私を見つけてくれた。
私がそこで死んだことを知って、私に会釈をしてくれたり、手を合わせてくれたりした。
ただ通り過ぎるだけの高校生の中に佐井君がいないかと探す日々に変わった。
そして段々と未練が薄れ、死を受け入れ、次に進む気持ちが出てきた。
私は光に包まれ、温かい気持ちになり、意識が飛んでいった。
すぐにわかった。成仏だと。
新しい人生を歩むことに希望を見出し、この人生を終えることを受け入れることができたのだ。
光に包まれると、一瞬だった。
私は泣いていた。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
頭ではいろいろなことを考えているのに、言葉にすることができない。
泣くしかない。
泣くにしても、泣き方も知らない。
すぐにわかった、私は生まれ変わったのだ。
どこかの家庭に赤子として生まれ落ちたのだ。
人は死んだら三途の川に行ったり、閻魔様に会ったりすると言われてたけれど、一瞬だった。
ただの言い伝えなのだろう。
いや、本当は三途の川にも行ったし、閻魔様にも会ったのかもしれない。ただ忘れているだけなのかもしれない。
なんていうか、記憶があいまいだ。
生まれ変わって、前世の記憶があるのが驚きなのだから、忘れてしまっていてもおかしくない。
もしかしたら、佐井君への思いが強く、前世の記憶が残っているのだろうか。
ずっとそんなことを考えていた。
赤ちゃんの視力は悪い。
目から三十センチ程度の距離しかピントが合わない。
発達心理学の本に書いてあったけど、本当にそうだった。
ぼやけた世界だ。
不意に目の前に女性の顔が見えた。
「おとなしくてかわいいわね、樹里。お母さんでしゅよ」
なるほど、私は樹里という名前になったのか。
そしてこの人がお母さんか。
前世のお母さんとはやはり違う。
ん? 待てよ? 前世のお母さんってどんな顔だった? 思い出せない。
こうやって少しずつ忘れてしまうのだろうか。そして、次の、この人生を一から始めるのだろうか。
やっぱり佐井君の事も忘れてしまうのだろうか。
忘れたくない。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
気持ちがあふれ、表現しようとすると、泣くしかない。もどかしい。
「あらあら、お腹が空いているのかしら」
全然違う。
お腹は空いているけれど、それで泣いているわけではない。
意思の疎通ができず、それでまた私は泣く。
□◇■◆
数か月が経った。たぶん。
私は特にやることもないので、寝て過ごすしかない。
一日中寝ているので、時間の感覚がおかしい。
赤ちゃんに社会性は必要ないので、時間の感覚を持ち合わせていなくても何も問題はない。
問題があるのは、夜中に起こされてリズムの狂う、社会性を必要とする親という大人だ。
申し訳ないという気持ちももちろんあるけれど、泣く方法以外知らない私はそうするしかない。
何度かの注射もしたし、ベビーカーにも乗ってお出かけできるようになった。
前世の記憶はもうほとんどない。
そしてこうやって、赤ちゃんらしからぬ思考をするのも苦痛となってきた。
何も考えずに、与えられたミルクを飲み、与えられたぬいぐるみで遊んでいた方がずっと楽なのだ。
だけど、私は佐井君の事を忘れたくない。
その一心で、苦しいながらもこうやって前世の意識を少しでも長く継続できるようにしている。
眠ってしまったら、記憶が無くなってしまうのではないかと戦々恐々としても、やはり眠気には勝てず、起きた時にハッとして記憶を確認し、胸をなでおろす。
そんな苦しい日々だ。




