最後の魔剣(ラスト・ソード)
この小説は初めて日本語で書いた少し長めの小説で、たくさんの人からアドバイスを頂いて完成しました。まだ少し日本語がおかしいなところもあるかと思いますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
高校に入った初めての夏休み、少年は家でお昼寝をしている。
……のはずだったが、いつのまに森の中で狼と鬼ごっこをし始めた。追いつかれた命の保証はないけれど。
「なんでこうなったぁ!!!」
時間は数分前に遡る。
目を開けば、木漏れ日が少し眩しい。
耳を澄ませば、名の知らない鳥のさえずりに、微かに揺れる木々の葉っぱの音が心を癒してくれる。
そして、その中に挟んだ狼の吠え声も聞こえてくる。
その時、あれは侵入者を排除するサインだったと、彼はまだ知らなかった。
「何なんだよこれ!!」段々と近づく茂みの擦れる音に、少年はようやく自分の状況を理解し、渾身の力を足に預け、体育祭の走りに負けないスピードを出し――逃げる。
動物園で見た狼は、あんなに大人しかったのに。
森の地形を上手く利用してなんとか距離を保っていた少年だったが、数分間も走ると、流石に疲れてスピードが落ちていく。
昼寝をしていたら急に狼に襲われ食われる。そんな理不尽な死に方、ないと思いたい。
周りすら見ずに逃げ回っていた少年は突然、足を止めた。だがそれも無理からぬことである。急に狼に襲われると思ったら、また現実離れな光景が目の前に現れるのだから。
「エクスカリバー……実在するんだ……」
木々の消えた小さな空間に、約1メートルの石碑がに立っていた。石碑の元に、一本の剣が突き刺さっている。それを目にした少年は感動すら覚えた。
「抜かせてくれよ……!」伝説の影響か、大きな賭けに出る気持ちで、少年は剣を握り、深呼吸をした。もちろん、使ったことはないが、それを気にする余裕が今の場面にはない。
「抜けた!!」武器を手にした少年は気分が高まり、漫画で読んだものを思い出しながら、後ろに振り向く。
しかし、目の前まで追ってきてもおかしくないはずの狼だが、さっきまでのが嘘のように、姿がどこにもなかった。少年は震えながらも、油断せずに慎重に周囲を見渡す。
「はぁ……助かった……」
どうやら本当に姿を消したようで、少年は疲れ切って、ぺたんと尻が床に落ちた。深くため息をつき、落ち着いて現状を整理しようと思ったら、誰かの声に遮られた。
「お主何者じゃ!わらわの眠りを邪魔したのう」
「ん?今何か声がしたような……」
声の主を探そうと周りを見ると、いつの間にか少年の前に巫女姿の少女が立っている。両手を腰に当て、頬を膨らませた。剣光を思わせる白銀の長髪と、黄昏色の瞳が印象的である。
「うわっ……!」
突然現れた少女に驚かされ、少年は少し距離を取り、立ち上がる余裕もなく、そのまま剣を構えた。手がまた震え出している。この少女はただ者ではないと、本能が怯えている。
「こやつがわらわを抜き出した者じゃと?その剣をわらわに向けるとは、良い度胸じゃのう」
そんな少年の姿を目にして、拗ねた少女は急に真剣の表情に変わった。
「ち、違うんだ!こ、これは無意識の反射だ!」その目を恐れ、少年は慌てて説明しようと、剣を握ったまま両手を振った。「いや待て、今、『抜き出した』とか言ってなかった?」
そんな少年の仕草に、少女はくすくすと笑った。
「えっ?」あまりにも思考が読めず、少年は困惑した。とりあえず敵意はないようだ。
「お主、異世界の者じゃろう」
「は……」
「わらわはその剣、<最後の魔剣>の剣精霊スレアじゃ。お主も名乗れ」
「け、剣精霊!?このファンタジーな設定はなんだ!?」
「そんなことで驚くでない!ふぁんとか何とかではないわ!お主もさっさと名乗らんか!」
「よ、夜月……雪野夜月だ……」急に怒り出す少女の声にビクッとした少年は機嫌を直そうと、おそるおそる自分の名前を囁くように告げた。
「ヨツキ?変な名じゃのう。まあよかろう、来てしもうた以上、わらわと遊ぶが良いぞ」
「……は?」話が全く見えないような顔で、少年はまた困惑した声を上げた。
「まずは状況を知りたいんだが……」
いつの間にか上機嫌になって、ぐるっと体を回した少女に、夜月は諦めたようにため息をついた。この子の機嫌は、山の天気よりも変わるのが早いかもしれない。
それを聞いた少女は動きを止め、ぐるっと体の向きを夜月の方へと変え、いたずらっぽい笑顔でこう答えた。
「心配するでない、お主はわらわが守ろうぞ」
結局夜月は何もかもわからないまま、少女と森を回ることとなった。唯一わかったのは、この子はスレア、剣に眠ってもうすぐ千年になる剣精霊だけだった。しかし、キラキラした目ではしゃぐ剣精霊を見ていると、夜月は顔を緩め、不安の感情も少し薄まった。
その温かな時間に終わりを告げたのは、近づいてくる蹄の音だった。
「来おったか」
「この音の主、知ってるの?」
急に真剣な顔に戻ったスレアを見て、こちらに向かっているのは何者なのか、彼女はわかっていたようだった。しかし、彼女は何も答えなかった。
数秒も経たず、馬に乗る数人の姿が確認できた。全身の鎧に手の槍、間違いなく兵士である。その姿を確認した途端、夜月は剣を構え、彼女の方を一瞥する。
彼女の目は敵意かなんだろうか、彼にはわからない。が、友好的ではないことだけはわかる。また何かとんでもないことに巻き込まれそうな予感をした夜月は無力に笑う。が、すぐにそんなことを考える場合ではないと言わんばかりに頭を強く振り、集中するよう剣を握る両手にさらに力を入れた。
下手は打てない。まずは相手の思惑を知ることから。
夜月は警戒しながら囲んでくる兵士たちを見回す。そして、真ん中にいる、周りを圧倒する威厳を放つ者に剣先を向けた。
「君が結界を破った者か。さてはそれが伝説の『剣』というものだな」
剣を向けられた将軍らしき者は軽く笑った。戦うどころか、武器を握ることすら初めてだろうと、一目で見抜いたのだろう。
「武器を収めろ、君たちに害意はない。大祭司様の命で迎えに来ただけだ」
「大祭司……」
その名を呟き、スレアの目は明確な敵意に染まった。今その剣を離したら、彼女と共に暴れてしまう気がした夜月は、左手に力いっぱい入れて、剣を握る右手の手首を押さえ、剣先を地面に向かせ――
「スレア!」と、少女の名前を呼んだ。
彼女にとってそれは初めて、彼に名前を呼ばれた瞬間だった。狂ってしまいそうな感情を抑えるために、スレアは深く深呼吸をした。
「……よかろう。案内せい」
「よくぞいらっしゃいました、スレア様、勇者様」
大きすぎる祭殿に、大祭司とスレアと夜月三人しかいなかった。大祭司を務めるには若すぎるに見える男は、優しそうな笑顔でお辞儀をしたが、祭殿の静謐を割ることを恐れたか、夜月は息を吞み、何も言葉を返せなかった。
大祭司の役目は神様に祈りを捧げ、国のために加護をいただくことである。遠い昔は神様の神託を受けることもあったようだが、この千年間、一度も受けたことがなかったらしい。
「そんなに敵視しないでください、スレア様。確かに千年前は大祭司のせいで魔剣を生み出してしまいましたが、無力なわたくしではどうも国に逆らうことはできませんでした。今のわたくしは、最後の役目を果たすべく、スレア様の『転生』を導いてまいりましたのに過ぎません」
「お主、自らの魂をこの世に移ったようじゃのう……その軟弱な神楽、今度は誰のために舞うのじゃ?」
そんな皮肉に気にもせず、大祭司は変わらぬ笑みで話を進めた。
†
千年前、「剣」という武器が初めて作られた。新しい武器の実験として、極少数人の精鋭部隊へ渡された。その部隊にいた者は全て武技が優れている者たちで、槍や弓など、現存の武器を全て使いこなしている。今まで触ったこともない武器でも、すぐに使いこなして見せた。
その実績により、量産と兵士たちへの配備が検討されている噂、彼らは既に聞いている。勿論、その実験用のラットに過ぎない身分も、彼らは知っている。
平和な国ではあるが、時折魔物が人間を襲う。そのため、町を守る守備以外に、魔物討伐を仕事とする部隊もある。精鋭部隊の多くは、その討伐部隊から選ばれた。魔物と戦うことを前提に作られた武器たる剣の実験場は言うまでもない――魔物が多数潜伏している森深部である。
ところが、当時、水晶玉という物が祭殿にあった。この水晶玉は神様からの神託を受けることができると言われていたが、百年以上もただの飾りとして祭殿の真ん中に置かれていた。
だからこそ、混乱をもたらし、大騒ぎになった。
「へ、陛下!大変……大変です!」
「なんのことだ、これほど慌てるとは。らしくないぞ」
王座に座る国王は宴に突っ込む無礼者に目をやらず、左手で頬を支え、右手で弄っているグラスのワインを眺めたままだった。
「大祭司殿、ずいぶんと様になっておらぬな」
誰かのその言葉を聞き、場にいる大臣たちはくすくすと笑った。
そう、ここは宴を開いている宮殿である。だが息を切らした大祭司は、その皮肉にも、場所にも構う余裕もなく、言葉を続けた。
「す、水晶玉が……神託が下されました……!」
その一言で、宴が凍り付いた。さっきまで笑っていた大臣たちもすぐ真剣な顔に変わった。
水晶玉の伝説、大臣として知らないわけがない。だからこそ、その言葉の重さがわかる。
――事の重大さがわかる。
水晶玉に映ったのは壊滅した町である。建物の風格は少し異なるが、中央広場のシンボルである大きな噴水を間違えるわけあるまい――王都の中心地帯だ。
夜を照らしたのは噴水の灯りと、燃え盛る炎だった。
夜空は光っている。銀色の、星ではない光が閃いている。あまりにもあり得ない光景ではあるが、それは空を舞う数多の剣の光だと、目がそう伝えている。
「大祭司よ、そなたはどう思う」
先程と雰囲気が変わっていないはずの国王だったが、その視線を浴びた大祭司は分厚く積もった雪にでも投げ出されたような錯覚で、思わず体を震わせた。
「はい……風景が王都とは少し異なりますが、あるはずがない光景でございます。きっと何か深い意味があるかと。解読のために時間を頂きたいところでございます」
「何が深い意味なのだ!見てもわからないのか!剣なんぞ作るんじゃなかったのだ!これがバツなのだ!!」
「あの忌々しい銀光を見なかったか!」
「あれは国に災いをもたらす忌々しい存在に違いありません!」
「陛下、今すぐでも『剣』を消さねばならないのです!」
「あれは災いを呼ぶ存在ですぞ!」
「国民のためにも、後顧の憂いのないように!」
パニックに陥った大臣たちに、大祭司の言葉に耳を貸す余裕はなかった。
その中の多数は、『剣』という未知な存在に恐怖を抱き、生産を反対していた者ばかりだった。
先までこの魔物討伐の勝利を祝う宴で、可笑しな人形のように、剣の活躍を賞賛したというのに。
それを目にした国王は眉をひそめ、グラスのワインを飲み干した。
あくまでも実験中の武器だ。それで大臣どもが落ち着くのならば、なんてこともない。
そんなことを考えながら、国王は極めて冷静で、威厳に満ちた声で命令を下した。
「精鋭部隊に伝えろ、実験はおしまいだ。即座に剣を回収しろ」
その夜、全ての剣が回収された。この一ヶ月間、その使いやすさと攻防一体の優れた性能で素晴らしい戦果を残した。これが量産できれば、魔物討伐も苦戦することは確実に減るのだろう。
その結末、くだらない神託と大臣どもの煽りで、全ての剣は溶断を待ち受ける運命になった。
「我が国に安泰を」
鍛冶の場に、大臣の祈りと共に、剣は一本一本、炉に捨てられていく。遠くで眺めているのは、気になって見に来た精鋭部隊の数人だった。
「隊長、先に帰らせてもらうぞ」同行した隊員は、あくびをした。もう真夜中だ。
「ああ……疲れただろ?先に休んでろ。俺はあとで帰る」
時はどれほど進んだかもわからなかった。槍では決してできなかった防御姿勢でピンチに落ちた自分の命を救ってくれた相棒は、そこにいる。しかし、自分の手に帰ってくることはない。隊長は、共に戦う相棒として、何もしてやれなかったという悔しさと、自分でも上手く言えない感情で炉を見つめていた。
呆然としている隊長の意識を呼び戻したのは、鍛冶屋のおじさんだった。
「なんじゃこりゃ!折れねぇじゃねぇかよ」
最後の一本、いくら炉で高熱を浴びせても、その誇り高き銀光に紅き一つ染めることすらできなかった。
あれは、隊長の剣だった。
――嗚呼、俺の相棒は生きている。
今までの武器と全く異なる感覚、槍に比べて手頃な長さ、防御にも回せる鉄製のボディー、芸術にも負けない優雅な動き……
俺の最高の相棒が、国に災いを呼ぶなど、そんなわけあるか!
その剣のことはすぐに国王に報告され、数日かけて考え出せる全ての手を使っても折れることなく、<最後の魔剣>と名付けられ、封印されることになった。
それでいいと、影の中で呟く隊長の姿がいた。
「愚か者よ……」
巫女服の少女――消えていく運命から意識を託されて生まれた剣精霊――は無表情のまま大祭司を見下ろし、その言葉だけ残し、長らく眠りに落ちた。
封印の地は王都のすぐ外にある森。随行することができない隊長であったが、最後に相棒の声が聞こえたことに、少しでも救われた気分になった――惨めな結末を見届けることしかできなかった罪から。
「わらわを大事にしたお主には感謝しておる。こうしたから、わらわはようやくこの気持ちをお主に伝えることができたのじゃ。自分を責めなくて良いぞ」
†
「で?俺がここにいるのと何か関係が?」
何の説明もせずにわけのわからない話を聞かされたからか、あるいは祭殿の雰囲気に慣れてきたか、夜月の不満がついに限界に達し、爆発した。ちなみに、当の本人であるスレアは聞く耳を持たず、剣に戻っていたらしい。
「勇者様は、わたくしがお呼びした助っ人でございます。スレア様の転生の儀を行うための」大祭司は突然、勇者に敬意を示すかのように片膝を床についた。
「愚か者よ、それでそやつらを許そうと?」
スレアはいつの間にか現れ、冷たい視線で大祭司の可笑しな姿を見つめる。
「滅相もありません!これはただ、大祭司の贖罪に過ぎません。どうか、あの頃無力だったわたくしをお許しください……」
大祭司は顔を伏せたまま、<最後の魔剣>を封印するまでの、大祭司の感情を再度紡ぎ出した。
何故自分はもっと時間を稼ぐことができなかったか。
何故自分はその場で拒否することができなかったか。
何故自分は無謀に大臣たちのいる場で神託のことを話してしまったか。
もっと冷静に行動できたら、こんな冷たく、悲しい黄昏も生まれなかったのに。
「ふん、さようか」
スレアは不機嫌な声を上げ、目を祭殿の周りに移した。
「で?勇者って何のことだ?俺はどうすりゃ帰れるかを知りたいんだが」
夜月は答えを引き出せない焦りを抑えきれないようで、そんな大祭司の姿さえもまともに見ずに問い詰めた。
「勇者様と、スレア様の力を、お貸しいただきたいのです」
「は?」
また質問が無視され、夜月は不快な声を出し、スレアも眉をひそめた。
「スレア様が生まれたことを耳にしたあと、わたくしはあることに気づきました。そして検証の結果は正しかった。しかしその頃はもう、スレア様を封印するしか、王宮の混乱を抑えることができなかったのです。故にわたくしは、封印に仕掛けをしたのです」
「その神託の真意は、千年後の王都に、剣を扱う魔人が襲ってくるということです」
その言葉と同時に、大祭司はもう一度、頭を下げた。
「勇者様、スレア様、どうか……どうかわたくしたちの町をお守りください!そうしたら、スレア様の転生も導かれることになるでしょう」
「おいおい、ちょっと待ってくれよ……魔人ってなんだよ……まさか俺に戦えとか言うんじゃねぇよな!?」
男であれば誰もが憧れていたシーンに、夜月は今立っている。が、戦うことも知らない人間に戦えと言われたら誰だって困るだろう。憧れとかそういう話をする場合ではない。
しかし彼が断ろうとした時――
「心配するでない、お主はわらわが守ろうぞ」
同じ言葉なのに、その低めな声からも、スレアの真剣さが伝わってくる。そんな風に、しかも二度も言われたら、夜月も黙って使命を受け入れるしかなかった。
魔人、魔物から進化した、人間に似た存在だと噂されている。そんな魔人が何故武器を、しかも剣を扱っているのか、どうやって剣を作ったのかは、不明だった。今まで何度も目撃情報があったが、その姿をはっかりと見えた者はいなかった。その影を目撃した者の書いた絵が大祭司の下まで流れてきたため、剣を扱っているとわかったが、世間では「形の変わった武器を持っている」という認識だった。
しかし、数百年前初めて進化を成し遂げたとしたら、何故それを千年前の、剣が初めて作られた時代の人に告げようとしたのだろうか。
神託の日までは、まだ三週間もある。
三週間の間、スレアはずっと夜月の傍にいた。剣の訓練をしたり、一緒にこの国を回ったり、下町の美食を食べ尽くしたり……夜月もスレアも、自分にとって全く知らない国を楽しむことにした。
そんなある日の夜、星をちりばめる夜空を眺め、夜月はスレアに問いかけた。
「なぁ、勇者って、何をどうすりゃいいんだ?」
「わらわを使って、魔人を倒す話じゃろう?そのために剣の扱い方を覚えるのじゃ」夜月のすぐ隣に、スレアも同じ星空を眺めていた。
「そうだけどさ……お前の転生と、何か関係あんの?」
「……あやつの封印は、わらわをそやつに対抗させるためじゃ、愚か者どもを騙してのう。魔人を倒したら、生まれるべきではないわらわも、正しい世界に行くことができるのじゃ」
「お前、最初からもう知ってんのか?」
その言葉に、スレアは顔を伏せて、何も答えなかった。
「なぁ、お前は、この世に生まれて、嬉しかったか?」
さらに長い沈黙。やがて、スレアは唇を動かした。
「わらわは……ただの武具じゃ。使命を果たせばよかろう」
「じゃ質問を変えよう。お前は生まれて、悲しいか?大祭司は、お前のことを悲しい黄昏だとか、言ってたな」
「……」
スレアは顔を伏せたまま唇を噛み、やはり何も答えなかった。
そんな会話も挟みながら、三週間が経った。
†
「スレア様、あなたは魔剣であることをお忘れにならないでください。あなたは全ての剣の意志を継ぐ者です。魔人など、ただの言い訳に過ぎません」
影の中、いつも優しそうに笑む大祭司は何の表情もなく、誰かに話かけているように呟いた。
そうだ、あいつらが悪いんだ。
影の向こうに、その誰かの声が聞こえたような気がする。しかし大祭司はそれを構わず、ただ言葉を続けるだけだった。
「魔人などいませんよ、スレア様。もしや既にその正体に気づいていらっしゃるでしょう。あれは、剣の影ですよ。勝手に作り出して、真実を都合よく解釈して、また勝手に捨てようとする人間への報復です」
そうだ、神様の真意を歪めるまで、命を惜しむやつらが悪いんだ。
「その悲しい黄昏は、この腐った世界を壊すための存在ですよ」
そうだ、これこそがバツだ。
「己自身を信じろ。何も、間違っていない。正義なんて、ないんだ!」
影にいる誰かが、相槌を打つのではなく、大祭司に声をかけた。
その言葉を聞いた大祭司は、安堵したようで、祈るように目を瞑って、手を組んだ。
「あなたの選んだ結末を成し遂げれば、お望みの世界へ行くことになるのでしょう」
そのために、勇者様を召喚したのだから。
大祭司は目を開き、誰もいない暗闇を仰ぎ、ただ祈るばかり。
「勇者様、どうか、どうか……スレア様をお導きください……」
†
静かな夜。中央広場の大きな噴水の光が、夜空を照らした。少し離れた所から、街灯の光は道に沿って、遠く遠くの暗闇へと伸びていく。一時混乱が起きたが、なんとか辺りの住民の避難を完成させた。
普段人が集まるこの広場に、今夜は三人しかいなかった。巫女の少女と剣を腰に差す少年、それと、黒き鎧を纏うもうひとりの少女。よく見ると、スレアによく似ている。この町を見下ろすかのように空を浮く彼女は、夜色の髪を風になびかせ、スレアに似た声で挨拶する。
「ごきげんよう、我が半身」
「お主が例の魔人かのう」戦いを前に、スレアは余裕ぶって言葉を返した。
「魔人?何をとぼけている」夜色の少女は彼女の隣にいる少年を睨み、
「まだ人間を味方にしているのか」
「それがどうしたのじゃ?」スレアは軽く笑い、夜色の少女と同じ高さまで体を浮かせた。
「そうか。ならば貴様を滅ぼす以外に道はあるまい!」
話と同時に、彼女は手を上げた。それに応えたか、空に十本の剣が彼女の周りに現れた。魔剣と言うべきか、剣身は光を失ったようで、一本一本禍々しいオーラが纏っている。
「あいにく、わらわも同感じゃ!」
スレアが両手を広げた途端、後ろに同じ数の剣が広がった。二人の少女は姿だけでなく、剣の形まで似ている。が、二人と剣の放つオーラから見れば、まるで光と闇の対立のようだ。
その光景に飲み込まれそうな夜月は我に返り、剣を構える。だがそれが夜色の少女の気に触ったようだった。
「人間風情が、我に歯向かうと?」
十本の魔剣が突然向きを変え、凄まじいスピードで夜月にかかってくる。恐怖と威圧に圧倒された夜月は思わず目を閉じ、全身の力を使って剣を振るった。剣と剣のぶつかる音が聞こえたが、手応えもなければ、痛みもなかった。
目を開くと、前にあるのは、白き剣たちによる盾だった。
「わらわの剣はお主に従うのじゃ。心配するでない」
なんて無様な……三週間も特訓していたというのに、圧一つすら勝てない自分はなんて弱いんだ……
自分の弱さをいきなり感じさせられ、やがてその悔しさが死の恐怖を超える。夜月は力の全てを握力に集中させ、必死にこの三週間の修行を思い出そうとする。
「俺は……俺だって、お前を救いたいんだ!」
「え……?」
初めて見る少年の表情に、予想外の言葉。スレアは一瞬言葉が見つからなかった。数瞬経って、彼女は安堵のため息を漏らした。
「……やはりあやつに似ておるのう」
「今なんて?」スレアの呟きに、夜月は聞こえなかったようだった。
「心強いと、言っておるじゃ!」
右手を掲げるスレアに応じ、夜月を守っていた剣たちは次々とスレアの上に並び、剣先を一斉に敵に向けた。
「滑稽」夜色の少女は不敵に笑い、スレアと同じよう右手を掲げると、白き剣のさっきまでの動きを、黒き剣は再現して見せた。「この茶番、終わらせてくれる!」
「「行け!」」
振り下ろした手に合わせ、二十本の剣がぶつかり合う。その中に紛れた一本の夜色の閃電が、夜月に襲い掛かる。
「くっ……!」あまりにも強い衝撃で、夜月は1メートル近く押されていたが、なんとか攻撃を受け止めた。夜色の少女はいつのまに、十一本目の黒い剣を手にした。そのデザインは、夜月が手にしている剣と同じだった。
「ほう、この一撃を受け止めたか」少し意外だったか、少女は夜月に睨み付け、「いいや、これは貴様の力ではないな?まぁいい、これで刻んでやる!」
話と同時に、黒き剣は白き剣を振り落とし、一斉に夜月の方向へと飛んでいく。
「させぬ!」振り落とされた白き剣は一拍遅れで黒き剣を追いかけたが、数本しか落とせなかった。
「俺を、舐めるな!!!」屈辱が怒りへと変わり、きれいにとは言い難いが、残った剣を夜月は捌いて見せた。
「はははは!実に面白い!どれだけ耐えられるか見せてもらおう!」そう言って、夜色の少女は再び襲い掛かる。
そう、夜月は、ただの平和時代に生きる普通の高校生に過ぎなかった。それを例えると、初心者がチュートリアルをしていただけでいきなり最高難易度に挑戦するのと同じだろう。十数分も持ったのはもはや上等だ。所々傷を負った夜月は、ついにその場に倒れ込んでしまった。
「これで、おしまいだ!」
夜色の少女は冷たい視線で夜月を見下ろし、手を上げる。それに応え、十本の魔剣が一本の大剣となり、夜月に飛んでいく。
「まだじゃよ!」
スレアは夜月を庇うよう前に立ち、剣で盾を作った。ぶつかり合った大剣と盾は相打ちでバラバラになり、爆発の衝撃波で三人が吹き飛ばされた。
「ちっ!」夜色の少女はすぐにバランスを取り、そのまま空中に止まる。「なぜまだ人間の肩を持つ!貴様はやつらのしたことを忘れたのか!?」と、辛うじて立ち上がった少年と少女に叫ぶ。怒りに染まる黄昏色の瞳は、燃え上がろうとする。
「忘れてなどおらぬ……!忘れるわけなかろう!?わらわはそのためにおるのじゃから……」夜月の前に立つスレアは悔しそうに叫び返し、声も潤んできた。「それでも……それでも信じたいのじゃ!わらわが守ってきたこの国を……最後までわらわを味方するあやつをな!」
「……!」
その言葉に、夜色の少女は初めて動揺を見せた。
自我が目覚める前からずっと、かけがえのない相棒として接してくれた人。
滅びる運命を変えられない自分の弱さを悔む人。
「壊したら……全部消えてしまうではないか!」
叫びと共に、涙が溢れ出した。今まで抑えていた感情と共に、溢れ続けた。
剣の意志を継ぐ者として、夜色の少女も無論、剣としての記憶が残っている。影として生まれたとしても、ちゃんと覚えている。
神様が剣に与えてた感情、その具現化で、剣精霊が生み出された。
なのに何故、光と影を分けるのだろう……感情の具現化で生まれたとしたら、光も、影も、全部同じのはずだ。
光があれば影あり。二つ合わさってこそ、一つなのだ。
「こ、これは……」驚きのあまり、剣で体を支えていた夜月が息が詰まり、思わず剣をさらに強く握った。
夜色の少女を纏う黒きオーラと、その身に纏う鎧が淡く光り出し、夜空を照らした。不思議そうに自分の体を見る彼女は、何か確信を得たように呟く。
「そうか……これが、我の答えなのか……」
「スレア様、これがあなたの答えですね……」
祭殿の水晶玉で全てを見ていた大祭司は、吹っ切れたように、言葉がこぼれた。
「ただの『転生』の媒介として召喚した勇者様が、想定外の結果をもたらしてしまったようですね。やはり、あの時わたくしたちはもっと話をすべきでしたね、剣精霊様。そうしたら、わたくしも、考えを変えてしまうこともないでしょう……」
「それとも、隊長に似た人を召喚したのが間違ったのでしょうか」
大祭司はいつもの笑みを浮かべ、
「スレア様も、お望みの世界が見つかったでしょう。これで、わたくしの最後の役目も果たせました」
剣精霊とその影は、自分の本当の気持ちに気づいたか、一つとなったことで事が収まった。あの夜に破壊された中央広場もすぐ復旧作業に入り、いつも通りの風景に戻っていた。王宮の職人たちは大祭司の進言と王の命令を元に剣を作り、あっという間に広がり、今では戦闘に欠かせないポジションとなった。
そんなこと、勇者と剣精霊は知らない。
剣精霊は事が収まってすぐ、転生の儀を行い、別の世界へと転生した。勇者もまた、その役目を果たし、帰還したのだった。
「わらわは、お主と共に在ることを嬉しく思うのじゃ。また、会おうぞ」
「ああ、もちろんだ」
「巫女、神様に仕える少女……とおっしゃいましたね、勇者様は」
祭殿の塔のてっぺんから王都を眺める大祭司は、その言葉を思い出した。巫女など、そもそもこの世には存在しなかったものだ。
「もしや単に、神様は身勝手な我々にバツを与えるために、その神託を下したのかもしれません。わたくしも、まだまだのようです」
「わたくしも、もう少し信じてみましょう。スレア様が信じたこの世を」
†
「……つき、よーつき!」
教室、少女は少年に声をかけた。
「……ん?」
少年はやっと気づき、声の主に目をやる。
「どうしたの?ぼーっとして」
「別に。昔のことでも思い出したのかもな」黄昏色の瞳を持つ少女を見て、少年は軽く笑い、誤魔化そうとした。
「何それ?」少女も笑い出した。「そろそろ帰る時間よ」
「ああ、もうこんな時間か。じゃ、帰ろっか」
(終)
初稿:2020年1月。2年後の今見直し、大幅に修正しました。アナザーストーリーの鏡像編も合わせて大幅修正しました。そちらでは謎解き編的な感じとなっているので、興味がある方ぜひ読んでみてください。