◆ある処刑人の夫と、その妻の話◆
いつもの通り思いつきです(*´ω`*)
広い心で読んで頂ければ幸いです。
夫である私が思うのも何だが、私の妻は少し足りない。
そうでなければ今日民衆がヤジを飛ばす広場の真ん中で、盛大に赤い水を飛び散らせた私の帰宅に腕を広げて「おかえりなさい、あなた」と微笑みながら、口付けたりはできないだろう。
今日の仕事は聖女と奉り上げられていた少女の首を落とした。そこに一切疑問を挟む余地はない。相手が赤子であろうが、老人であろうが、女であろうが……仕事は仕事だ。目隠しをされたまま震えて膝をついていた少女は、妻と同じくらいの背格好だった。
仕事の汚れはすでに清めて帰ってきたが、それでも真っ白な服を身に纏った妻が赤く汚れる錯覚があり、やんわりと華奢な身体を引き離した。そのことを不満に感じたのか、妻は頬を膨らませて「さびしかったのよ」と言う。
そう言われてしまっては、再び抱き締めるしかなくて。隙間なく密着しようとすり寄ってくる妻に誘われるように細いうなじに顔を埋めた。
鉄錆色の私の髪を撫でる妻の指先は優しく、何も感じないはずの“死神”に何かを与えようとしてくる。心地好さに吐息を吐けば、妻が腕の中で「くすぐったいわ」と笑った。
長い長い時を処刑人の家系として受け継いできた私の家は、地位こそ伯爵家に匹敵するほど高位だが、その実、国の誰からも受け入れられることのない一族だ。血を繋ごうと妻を娶るにも、その都度その時の当主が頭を抱える。
人殺しを生業にしている家に娘や息子を差し出す貴族などいない。かといって平民にもそんな家はほとんどないだろう。従って自分達の一族のことであろうが、伴侶を選ぶのはいつでも国の中枢部。
一応いなくてはならない処刑人一族の機嫌を取るためか、これまでたったの一度も平民から伴侶を選出されたことはない。大抵は落ちぶれかけた爵位だけは高い貴族家から連れてこられる伴侶は、いつも憎しみの火をその瞳に宿していた。
伴侶が解放される方法はただ一つ。処刑人との間に子供を一人作ること。乳離れの時期まで面倒を見さえすれば、あとは多額の報酬と“自由”を手に入れられる。けれど血にまみれた一族の人間に抱かれた伴侶達は、大抵生家に引き取りを拒否されて自害する。
――私の母も、父の母も、祖父の父も、曾祖母の父もそうだったように。
ぼんやりと腕に抱き締めた妻もそうなのだろうかと考えていると、不意に爪先立って口付けてきた妻が「おふろにする? それともごはん?」と笑った。先日二十三歳の誕生日を祝ったはずの彼女は、まるでまだあどけない少女のようだ。
絶世の美女というよりはどちらかと言えば可憐な妻は、さる歴史ある伯爵家のご令嬢で、本来こんな一族に下げ渡される娘ではない。
瑠璃色の双眸は微笑みの形に細められ、濃い茶色の髪は絹のように滑らか。乳白色の肌にそこだけくっきりと紅を引いたような唇は、だんまりのこちらに追い打ちをかけるように「ねえ、どっち?」と動いた。
「風呂は後でいい。先に食事にする。君はもう食べたのか?」
「ううん、あなたとたべたかったから、まだなの。いっしょにたべましょう」
「……先に食べていても良かったんだぞ?」
「いっしょがいいわ。あなたといっしょがいいの」
そんな風に愛らしい声で囀り、柔らかな身体を押しつけてくる妻にこちらから屈んで口付けると、彼女は嬉しそうに「もっとして!」とねだってくる。
――……彼女は足りない。どうしようもなく。
生家に疎まれこんなところに棄てるように嫁がされても、気付くこともなく、逃げることも考えつかない。それでも結婚してからすでに四年。初夜以来一度も身体を重ねていない私と彼女の間には、当然子供などできるはずもなかった。
子を成して血を繋ぐことも私の一族の責務だ。四年も誤魔化し続けてはいるが、すでに中枢からは怪しまれている。抗ったところで無駄なことだろう。
この薄い腹に命が宿れば彼女も死ぬのだろうかと思うと割り切れない。そうでなくとも、無垢な彼女の産んだ子は必ず次の“死神”になる。どうしてだろうか。今まで何の疑問も抱かなかったその“当たり前”が、私は急に恐ろしくなった。
「ふふ……ねえ、だいすきよ、わたしのあなた」
眩しいほど慈愛をたたえた微笑みを向けてくれる彼女に返せるものを、私は持たない。いつものように曖昧に「そうか」と答えたその時だ。
「きょうはおとうさまがきたの。こどもはまだかって。だめなら、ほかにやらせるって。なんのことかしら」
クスクスとおかしそうに笑う彼女を抱き締めながら、身体の奥からスッと血の気が引いた。それは本来であれば父親が娘にかける言葉ではない。
私が義務を果たしていない疑いがあるからとて、国からの多額の報酬のために間男を雇って彼女に子供を作らせようなど……。その瞬間、私の中で何かが切れた。
「君は、私の子供が欲しいか?」
「ほしいわ。あなたのあかちゃん。たくさんかわいがるの。ほんとよ」
「私のような……人殺しの子供でもか?」
「あなたがなんでも、あなたがいい。あなたがいやなら、ほしくないわ」
「では、私が君の子供が欲しいと言ったら……どうする」
「それならほしいわ!」
腕の中で満面の笑みを浮かべる妻に「そうか」と返せば、彼女が「ねえ、もっとわらって」とはにかんだ。その瞳に映る私の表情は決して笑みと呼べるものではなかったが、妻がそう言うのならそうなのだろう。
ようやくこの身体に芽生えた感情。愛した妻との子供が欲しい私はその日の夜に、彼女と共に国を棄てた。
この闇夜の逃避行は妻の心に強く残ったらしく、彼女は子供を寝かしつける物語として飽きずに語り続け、そのたびに美化された自分の姿を聞かされる私を苦笑させたのだ。