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罪喰い -Revenge-  作者: あじろ けい
第2章 ボストン
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2-5 悪魔の暗躍

 音をたてぬよう細心の注意を払い、アルは病室のドアを開けた。体を横にすれば通り抜けられるほどの隙間を開けて部屋の中へとすべりこむ。

 ジョンストンは深い眠りについていた。ドイル医師に処方された鎮静剤が効いているらしい。この分だと邪魔されずに仕事が出来そうだ。

 アルは、ジョンストンが見たと主張した地獄の入り口が気にかかっていた。ドイル医師は幻覚だと一蹴したが、幻覚などではない。アルの他に目撃者がいない理由は、みな怖がって部屋の中へは入ろうとしなかったからなのと、地獄の入り口が天井にあって、見上げなければ見えなかったからだ。その入り口とやらも、アルが目を向けたとたん、掻き消えてしまった。

 一度開いた地獄の入り口は、罪人を飲み込まずして閉じることはない。その地獄の入り口が消えた。果たして本物の地獄の入り口であったのか、アルは疑問を抱いた。「地獄の入り口」とやらの正体を確かめるため、アルは夜を待ってジョンストンの病室に忍び込んだ。

 誰かが毒を盛っているというドイル医師の告発により、ジョンストンの病室への出入りは厳しくなった。出入りを許されている人物は、ドイル医師、パメラ看護師、いざという時に罪喰いを行うよう依頼されているアルだけだ。

 もともと客間だったため、病室に鍵はついていない。翌日に取りつける予定で、その夜は入り口脇に見張りがたてられていた。

 夜を徹して病室を監視し続けるはずの見張り役は、椅子に腰かけてすやすやと寝息をたてていた。見張り役は老執事のローソンだった。昼間の騒ぎで、心身ともに疲れてしまったのだろう。

 アルはジョンストンのベッドの下をのぞきこんだ。暗闇の中、そこにあるはずのものを手探りで求める。

 昼間、天井に現れた地獄の入り口は本物ではなかった。本物ならジョンストンを飲み込んでしまうまで消えるはずがない。かといって偽物でもない。地獄の入り口には違いなかったが、ジョンストンの病室の天井に出現したものではない。

 別の場所で開いた入り口を撮影した映像だったのではないかとアルは推理した。映像なのだとしたら、突如として搔き消えた理由にも納得がいく。

 地獄の入り口の映像を映し出してみせた犯人の目的は、ジョンストンを怯えさせ、罪喰いをしたいと言わせるためだろう。犯人の思惑通り、ジョンストンはアルに罪喰いを依頼した。

 昼間の騒ぎ以来、病室への出入りは厳しく制限されている。病室への出入りが出来ずにいる犯人はプロジェクタを回収できずにいるはずだ。

「探しものはこれかな?」

 闇の奥から低い声がした。

 部屋にはジョンストンしかいない。そのジョンストンは鎮静剤が効いてよく眠っているはずだ。

 警戒しながら、アルはゆっくりとベッドの下から顔をあげた。声が聞こえてきた方向を振り返る。部屋の片隅にじっと動かずにいる人影が見えた。昼間、ジョンストンの車椅子が置かれてあった場所だ。車椅子に誰かが腰かけている。

 暗闇に慣れた目は、その人物がドイル医師だと見分けた。車椅子に座ったドイル医師は足を組み、その膝の上に小さな箱を抱えていた。

「手段はどうとでも――どうやってもお前に罪喰いをやらせたい人間がいるようだな。お前も見当はついているのだろう」

 ドイル医師は、膝の上に乗った猫を愛撫するかのような仕草で小箱を撫でた。

 天井に、昼間見たものと同じ地獄の入り口が現れた。黒い洞穴の表面が次第にざわめきはじめ、どろりとしたものがのたうちまわり始める。トムじいを飲み込もうと開いた地獄の入り口だ。

 トムじいの罪喰いの様子をビデオに撮影されていたのだ。昼間、天井に出現した地獄の入り口はその時の映像を編集したものだ。アルは騙せないが、ジョンストンを怯えさせるには十分の迫力がある。撮影できた人間はひとりしかいない。

「ノーマン……」

 あの日、ノーマンは鍵のかかっていなかったアルの部屋でアルを待ち構えていた。その時に隠しカメラをしかけたか。

 ノーマンは、パメラ看護師が病室を空けた隙にプロジェクタを仕掛けた。そして騒ぎが起こると、今来たかのようなふりで病室にかけつけ、開かないドアを開けようとする芝居で誰も中に入れようとさせなかった。アルの到着を待っていたのだ。ドアが開かなかったのはノーマンの芝居だったからで、夫人が体当たりしただけで簡単にドアは開いた。アルが見た瞬間に、ノーマンはリモコンでプロジェクタのスイッチを切ったのだろう。アルには偽の地獄だとわかってしまうからで、実際アルはしかけだと見破った。

 ノーマンは、ジョンストンを怯えさせ、堕獄の恐怖を植え付けて罪喰いをしたいと思わせたかったのだろう。戻ってきたアルが罪喰いの儀式を行えば一石二鳥だったが、ジョンストンが罪喰いを拒絶した意思を翻しただけでも彼の目的は達せられたというわけだった。

「地獄の入り口を作り出してみせるとは、たいしたものだ」

 ドイル医師は皮肉な笑いを浮かべ、プロジェクタを撫でた。地獄の入り口はすっと掻き消え、病室は再び暗闇に包まれた。

 それはドイル医師であってドイル医師ではなかった。人は彼を悪魔(サタン)と呼ぶ。アルは悪魔(サタン)の正体を知らない。彼(あるいは彼女かもしれないが)は、地上では人の形をしている。

 年齢、性別、人種を問わず、ありとあらゆるものに化けるサタンの正体を見破るには手を見る。誰に化けようとも、両手だけは白いのだ。染みも皺もなく、節くれだってもいない艶々とした作り物のような白い手を隠すため、悪魔は手袋をしている。

 医者であるドイルが医療用の手袋をはめていても不思議はない。昼間の姿からはサタンと見破れなかったが、プロジェクタを愛撫するその手は暗闇の中でほんのり浮かびあがるほど白い。

「サタン……また罪喰いの邪魔をしに来たってわけですか」

 アルが罪喰いとして罪人の罪をその身に受け入れ、天国へ送り出してしまうので、地獄の主サタンはアルを忌み嫌っている。罪喰いの儀式の邪魔をするなどは日常茶飯事である。

「ジョンストンの魂は私がいただく。雑魚は見逃してやらないこともないが、ジョンストンは大物だからな」

「彼は何をしたんです?」

「自分の犯した罪を他人になすりつけて天国へ行ってはいけない人間だとだけ言っておこうか」

「天国の番人のような言い草じゃないですか」

「そうだな。罪人を天国へ送ってしまうお前の方がよほど悪魔だな」

 ドイル医師あらためサタンはにやりと皮肉な笑みを浮かべた。

「そうは思わないか? お前が罪喰いをしてやる人間は、心から懺悔しているわけではない。罪をお前に押し付けているだけだ。散々したい放題してきて、その結果の責任は取らない。犯した罪は他人に肩代わりさせるような人間がイノセントとは笑えるじゃないか。お前はどういうつもりで罪喰いをしているんだ。罪を赦しているわけではない。教会から見捨てられたような連中を気の毒に思っている様子もない。それでも罪を喰ってやっているのは、お前を断罪した神への復讐のつもりなのか? 罪びとをイノセントな人間として天国へ送りつけてやるという」

 サタンの鋭い洞察力にアルは舌を巻いた。金になる仕事だという現実の一方で、神への反逆心のような感情がある。サタンはアルの複雑な心情を見抜いていた。罪喰いの邪魔をするサタンだが、神よりもサタンにアルは親近感を覚える。

 罪人を地獄で永遠に苛め続けることが自分の悦びなのだから、その愉しみを奪うなと、サタンはアルに警告したことがあった。罪人は地獄へ堕ちるべきだともサタンは言った。内心はサタンと同じ考えでありながら、アルは罪喰いを続けた。金になるからというだけではないなといつしか悟るようになった。罪を他人になすりつけるだけで改心したわけではない人間が天国でどんな悪さをするのだろうと想像するとにやけてきた。死に及んでまで狡猾な人間が天国にあふれかえる。はたして神は彼らをも赦すのか。赦せるのか。罪喰いは、神への復讐でもあり、赦せるものなら赦してみろと叩きつける挑戦状でもあった。

「もしかしたら、お前はわざと天国に罪人を送り付けているのではないかと考えて、それも悪くないと思ったね。それなら、お前の罪喰いを邪魔しては悪いなとも」

「邪魔して悪いだなんて、そんなこと、これっぽっちも思っていないでしょうに」

 サタンは世界を震わせるほどの低い声で快活に笑った。

「罪人を苛め抜く愉しみを奪われたくはないもんだ。これからもお前の罪喰いの邪魔はしてやる。ただし、だ。邪魔するだけではつまらないではないか」

 サタンはくっくと喉を鳴らした。

「だから私は余興にデーモンを放ってやった」

「誰かがジョンストンを殺そうとしているという疑心……」

 サタンことドイル医師に毒を盛られていると知らされたジョンストン本人はノーマンと夫人を疑い始めた。ジョンストンの前妻の連れ子ライアンは夫人を疑っている。そのライアンも、夫人に濡れ衣を着せようとしている疑いがある。サタンの思惑通り、暗鬼はすでに誰の心にも憑りついていた。

「ライアンとやらの小僧が私の掌の上でうまいこと踊ってくれてな。手段はあるが動機のない人間に動機が与えられた」

「ジョンストン夫人……」

 ジョンストンを殺す手段をもつが動機をもっていなかった夫人は、しかしライアンの暴露によってジョンストンが死亡すれば遺産が自分のものになると知ってしまった。

「彼女はどんな踊りを踊ってみせてくれるかな? ノーマンもライアンもお前も、せいぜい私を愉しませてくれ。これは記念にもらっていく」

 夜の闇をも震わせるほどの気味悪い高笑いを残し、プロジェクタごとサタンは闇に姿を消してしまった。

 


 二階にある寝室に急いで戻ろうとすると、廊下に明かりが流れ出ていた。明かりは夫人の寝室から漏れ出ていた。ドアがきちんと閉め切られていないのだ。

 まだ起きているだろう夫人に気づかれないよう、アルは息をひそめ、寝室の前を通りすぎようとした。ドアの前を通りかかった時だった。隙間から話し声が漏れ聞こえてきた。声の主は邸を立ち去ったはずのノーマンだった。

 “ファイン”“エル”と、聞き覚えのある単語が聞こえてきたので、アルは思わず足を止めた。ノーマンの押し殺した低い声にまじって別の人間の声もかすかに聞き取れた。

大丈夫(ファイン)、エル。きっとうまくいく」

 わずかに開いたドアの隙間から水色のワンピースを着た女の後ろ姿が見えた。見事なブロンドの髪を背中までおろしているが、夕食時と同じその装いはジョンストン夫人だった。

 アルの視線に気づいたように、夫人はドアの方をふりかえった。夫人が腰をひねった瞬間、部屋の中にいたノーマンの姿が目に飛び込んできた。上着を脱いでネクタイを外したうちとけた格好で、ホルターと銃がはっきりと見えた。ノーマンはドアがきちんとしまっていないと気づいたらしく、足早にむかってきた。アルは慌ててその場を後にした。

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