二章②
トムラウシ山内部は光に満ちていた。ケカバ車が通ることを想定された通路に、一定間隔毎に置かれたフロギストン鉱が優しい灯りを放っているのだ。何故フロギストンが人の意思に反応し、光や熱を放つのかは未だに定かではないが、それでもこの石はエゾの生活に欠かせない最重要物質である。思いで造られた光に満ちている通路は、雪と分厚い灰色の雲に満ちた世界よりも正しい世界の有り方に見えた。
そんな理想のような明るい通路に、人間の悲鳴が幾つも木霊する。間延びした、短く途切れた、声なき、様々に形容できる断末魔の叫びが通路を支配し、それぞれは違う声色で同じ意味だけを示していた。それは、誰もが持つ根本的な根源的な恐怖であり、死と呼ばれていた。
ミカミ・アマミチ=トライは、その最先端で槍を振るっていた。悲鳴の間を縫って進み、死の源泉のようにそれを振り撒く姿は、正に超えてはならぬ死線の名にふさわしい。
倉庫の通路を駆け抜ける彼の目の前には、お粗末な陣形を組んで道を塞ぐ男達。手には剣やら槍やら弓やらが握り締めてはいるが、その腰は引けていて瞳は濁っていて闘志が一切感じられない。震える得物からわかるように、誰もがアマミチを恐怖していた。
「と、止まれ!」
歯の根を鳴らしながら、骨製の棍を持った男がそんな言葉を口にした。その返事にと、アマミチは十文字の穂先で相手の得物を跳ねあげると、がら空きになった胴体にそのまま槍を突き刺した。
「っぐぁ……」
「弱い」
まだ何か言おうと宙に手を伸ばした男から槍を引き抜くと同時、足を止めて腰を落としたアマミチが身体を左に捩じる。その動きに合わせて槍は唸りを上げてしなり、恐怖に打ち勝って攻撃に移った男の胴を打つ。時を戻したように男の身体はそのまま後ろに吹き飛び、弓を持っていた男を巻き込んで壁に叩きつけられた。彼等の悲鳴を微塵も気にすることもなく、十文字槍は次の獲物を求めて白銀の軌跡を描いた。
「遅い」
返り血で既に真っ赤になった顔面を不機嫌そうに歪めて正面へと突きを繰り出す。瞬きの間に繰り出された槍は、赤い残光を残し、二人の男の胸に穴を開けた。
リベリオン達は目の前で起きた惨劇を理解することもなく、その場に蹲り痛みを訴え、通路の死を一層濃くした。
それらに一瞥もくれることなく、アマミチはコートの袖で顔の血を拭うと、拠点の中心部を目指して再び駆けだした。
「燃えて」
颯爽とした血風のようなアマミチを体験した男達を襲ったのは、燃え盛る灼熱の風。有無を言わせぬフロギストンが燃え上がる音と同時に、閃光とナナセイが走り抜けて行く。それは男達の衣服や頭皮に添加し、容赦なく身体の上を広がっていた。動ける者はその場で激しく転がり、動けなかった者は反射的に体を動かして鎮火を試みるが、アサヒ凍川拠点が誇る魔女の炎がその程度で消えるわけでもなく、更なる悲鳴が響いた。
火達磨になった男達の生死を確認することもなく、ナナセイはアマミチの背中を喰いつくように追った。槍を振っているとは思えない速度で駆けるアマミチは、三叉路に差し掛かろうとしていた。
「アマミチ! 右よ!」
通路の左側に寄っていたアマミチは「知ってる!」そう答えた。
「それと、微弱な導術反応が複数有る! クラスはカットロ!」
「そいつは知らなかった!」
右側の通路に飛び込むと、次の交差点の前に四人の男が並んで立っているのが見える。拳大のフロギストン石が取り付けられた木製の杖を持っていて、導術を行使すると言うことを隠す気がない。
彼等はアマミチが通路に入るや否や、呼吸を揃えた導術を放った。それはナナセイが突入の合図とした『火球』と種類こそ同じではあったが、爪先程の大きさもなかった。しかし四つの火球は真っ直ぐに飛びながら空中で互いに混ざり合い、そのサイズは人間の頭部程までに急成長を果たした。導術師はカットロが四人だとはナナセイは言ったが、この大きさであればトライクラスと遜色ない。
「ナナセイ! 任せた」
当初は対導術導術で対抗しようと考えていたアマミチであったが、前方に転がりながらの回避を選ぶ。防御に自信はあったが、相棒に任せた方が確実だし早いと判断したのだろう。
「任せて!」
そう言って、ナナセイはナイフを持った手を前に突き出す。それだけで、更に巨大になった火球は水に溶けるように輪郭を失って行った。
フトギストン感応力ドゥース。エゾの人口の僅か二パーセントにも満たない、その類稀なる力の前には、四人のカットロが造り出した火球など無に等しい。ちゃちな努力や作戦等、本物の暴力の前に何の意味があろうか。
「馬鹿な」
自信があったのであろう。男達は声を揃えて現実を否定する言葉を呟くが、圧倒的な力による格差の社会こそがこのエゾの全てである。
「まったくだ。馬鹿馬鹿しいよな」目の前で起きた現象に未だ驚き目を剥く導術師達の嘆きに、アマミチが彼等の後ろで相槌を打つ。「でも、あれがエゾの秩序だ」
雪と薄暗い雲に対抗する最高の手段。フロギストン。それを最も上手く扱える人間がエゾを支配する。氷点下と暗闇が蔓延るこの世界で、それは何よりも明確な道理であった。
「あばよ」
世界の理に背いた男達が振り向くよりも早く、アマミチが十文字槍を振り回す。
男達の四肢が切断され、
「火球はこうやるのよ」
彼等が四人がかりで作り上げた大きさの火球を四つ造り出したナナセイが、それを痛みリベリオンの顔面に叩きつけた。口内に入った火炎は内側から男達を焼き殺し、廊下には一瞬の静寂が訪れた。
二人は無言で頷き合うと、再び走り始めた。
この殲滅船の火蓋が落とされて、どれ程の時間が経過しただろうか? まだ三十分も経っていない気がするし、三時間は死闘が継続しているとも思えた。しかし確実に言えることがあるとすれば、このトムラウシ山拠点は落ちたも同然だと言う事実だろう。
もう既に、二人は三十近いリベリオンを蹴散らした。その内の何人かはわざと止めを刺さず、呻き声や助けを呼べるように調整してある。
恐怖の色を濃く残し、平常心を削ろうと言うのは、強襲の常套手段である。
疾風の如く駆け抜け、怒涛の如く呑み込んでいく未知を相手に冷静を保てる人間の数など知れている。大抵の人間は恐怖を呑み込めず、自らその恐怖を大きくし、矮小な脳内をぐちゃぐちゃに掻き混ぜて冷静さを奪い取る。そうなれば、一騎当千とも言えるガードのペアに負ける道理などない。
さらにリベリオンに取って絶望的なことに、アマミチ達以外の四のペアと一つのトリオがこの山への侵攻を始めている。通路には何処からともなく木霊する悲鳴が満ちており、導術の使用に反応して照明用のフトギストン石が強くなったり弱くなったりを繰り返していて落ち着きがない。
これはもう殆ど勝利と呼べるだろうと、アマミチは周囲の情況から判断した。投降を許していないせいで、山の中の人間を皆殺しにする分、いつもよりも時間はかかるだろうが、時間さえかければ順調に終わってしまうだろう。
「って、わけだ。ちょっと休憩だ」
急ぐ必要がないとわかると、アマミチは右手を伸ばしてナナセイに合図を送る。
「賛成」はにかみながらアマミチの横まで走ると、大きく息をつくナナセイ。「流石に疲れたかも」
大男に部類されるアマミチに合わせて走ったナナセイの疲労は大きく、額には汗が浮かび、前髪がべったりと張り付いていた。山内での凍傷の心配はないだろうが、ナナセイはコートの内側で汗を拭った。
「悪いな」
「気にするんじゃあないの。あんたから体力と槍を取り上げたら何が残るの?」
「その時は、テントウでも探してみるさ」ナナセイのいつも通りの軽口に、肩を竦める。「でさ、次は何処へ行く? もう集合地点に行くか?」
呼吸を整え、二人は最低限の注意を忘れないように周囲を見渡す。敵の気配がないことを確認すると、明るい通路を堂々と進んでいく。
「そうね。メイン倉庫に言って見ましょうか」
頭の中に入れた地図を思い出して、ナナセイが「次は右ね」と進行方向の先にある丁字路を指さす。
「メイン倉庫か。信じられないくらい広い場所だったよな。天井なんか、二十メーターはあったぜ? よくもまあ、潰れないもんだよ」
トムラウシ山の中央部分に存在するメイン倉庫は、巨大な円錐状の広場を利用した物であった。アマミチが言ったようにかなり巨大な空間であり、恐らくあれ程までに巨大なスペースを造ることは現在の技術では不可能だろう。
「ええ。この山は前時代から存在するものだからね。前時代の技術なんでしょ? だからこそ、リベリオンは無理をしてでもここに居を構えたんじゃあないの? レベルの故郷とも言える場所だし」
アマミチの疑問に、ナナセイが唇の下に人差し指を当てて答える。
トムラウシ山の他にも、不可解な建築物はエゾ中に存在している。建築物に限らず、奇妙な箱や用途のわからない金属片など、そう言った『未知な道具』は多数発掘されていて、そこまで珍しくもない。勿論、その技術力は不可解なまでに解明できず、『遺物』は、全て前時代の物として片づけられている。
「まあ。人間一人がまるまる生き残っているくらいだから、凄い技術だよな」
前時代からどれだけの時間が過ぎているのかはわからないが、面影がなくなるまで荒廃した世界に人間を蘇らせる文明を持っていたのだから、山の中に穴を開けるくらいはなんてことないのだろう。
角を右に折れると、二人組の男が単槍を突き出してアマミチを襲った。
「ってか、異邦人って本当の話なのか? 流石に胡散臭くないか?」
しかしそんな襲撃など眠っていても避けられると言わんばかりに、アマミチは身体を横にして槍と槍の隙間に自分の身体を捻じ込む。そのまま肘と手を使って槍の柄を絡め取る。それだけで、男達の手の中の槍はピクリとも動かなくなった。
「拳銃がある以上、本物じゃあない? それに、あの二人が嘘を吐くとも思えないし」
槍を奪い返そうと手に力を籠める男達の口元に、ナナセイは一瞬で造り出した火球を放り投げる。息を吸うことを禁じられた二人は、槍から手を離して地面に転がったまま苦悶の舞をした。
「おっと、なまくらを返すぜ?」腕の中で槍を器用に回し、倒れてもがく男の胴体にそれぞれ槍を返す。「そうだな。じゃあ、この山に異邦人はいると思うか?」
地面に縫い付けられた男達の呪詛の言葉を無視して、ナナセイは肩を竦めた。
「さあ? 前時代とか拳銃とか、私の理解の外過ぎて……できれば会いたくないわね」
「そうか? 夢があって良いじゃあないか。俺は会いたいぜ」
「嫌よ。そんな面倒臭い事。って、アマミチ。休憩は終わりみたい」
苦笑いのような表情で会話をしていたナナセイの瞳が、すっと冷たくなる。ごく自然に腰からナイフを抜き取る姿は、彼女自身が一つの刃物のようにも思えた。アマミチもそれに倣い、手袋を嵌め直す。
「トライクラスの反応が幾つかあるわ」
フロギストン感応力ランク上から二番目。事実上最高ランクである『ドゥース』は伊達ではない。大気中のフロギストンの偏りを感知し、目に見えぬ範囲の状況を探ることなど容易い。
どんな生物であり、呼吸により少量のフロギストンを体内に宿しており、その多寡、或いは濃度を感覚的に理解することで、導術の発動のタイミング、大型クリーチャーの場所、フロギストン石製の武器の所在を目で見るよりも早く知ることを可能にしているのだ。
勿論、ただドゥースだから偉い。優秀だと言う話ではない。勿論、日常生活や政治的な意味に置いては、ドゥースはウノに次ぐ優秀さを誇るが、戦場に置いてはその意味は変わってくる。例えば、アマミチはドゥースの下のトライであるが、ナナセイが逆立ちをしても勝てる相手ではない。『当代最強』のミカミに至っては最低ランクのシーンであり、一切の導術を使えないと公言しながら、ドラゴンを殴り殺している。そしてナナセイのこの技術も、何年にも及ぶ訓練と実践で培った彼女自身の技術である。
ガードは、フロギストンによる感応力の差によって差別されない稀有な組織であるのだ。
「クリーチャーか?」
「多分。リベリオンがトライを所持してたら、とっくに戦線に出して来ているわ」
そしてクリーチャーと言う存在もまた、感応力と言う差によって簡単に比べることのできない存在である。強靱な肉体と、野生で研ぎ澄まされた五感を持ったクリーチャーは、凶悪と言う言葉が相応しい。コボルトのような人形の魔物ですら、数人がかりで倒すことが定石であり、ワイバーンやイエティのような大きなクリーチャーを倒すのには周到な準備が必要とされている。
ナナセイが確認したトライクラスのクリーチャーともなれば、基本的に大型であることが多い。普段の二人ならばいざ知らず、走り通して来た二人が戦うには少々厳しい物があるかもしれない。
「コボルトとか、弱いので頼むぜ」
「誰に頼んでいるのよ」
天井を仰ぎながら溜め息を吐くアマミチの横で、ナナセイは目を閉じて更に詳しくフロギストンの偏りを探っていく。
「……多分、大型のクリーチャーよ。でもまあ、他にも何人かメイン倉庫まで来ているから、何とかなるでしょ。大体、リベリオンがこの山に運び込める程度のクリーチャーなんてたかが知れているわ」
「それもそうか。ってか、ノブナリのおっさんもいるしな。あのおっさんは過大評価すれば俺と同じくらいに強いし、余裕も余裕だな」
自分以外にも手練れが複数いることを思い出して、アマミチの表情に余裕が生まれる。意外なことに、師であるノブナリのことをそれなりに信頼しているようであった。
「そうね。でも、待たせるわけにはいかないし、走るわよ」
「それを言ったら、こうやって駄弁っているのも悪いのも駄目なんだけどな。仕事中だし」
二人は他の人間が戦っている間に休めた足を使ってフロギストンが明るく照らす廊下を駆け始めた。