五章②
シーへの体調を気遣いながらも、しかし早足に通路を駆けるナナセイ達。倉庫へと戻るその道中に、やはり異変を感じた他のガードとの合流も果たしており、アマミチを欠いた十二人全員は陣形を組みつつ倉庫へと突入した。ナナセイのフロギストン制御により、この頃になれば全員の状態は殆ど快復していたと言って良いだろう。
だが、大穴のあったあの倉庫の光景を見て、我が身を疑わなかった者はいなかった。
大型のクリーチャー三頭との連続戦闘により、すっかりと火事物件となった落ち着きのない騒々しい様子の倉庫には、二人の人間が立っていた。
「アマミチ――」
まず一人。ミカミ・アマミチ=トライ。恐らくはガードの中でも五指に入るであろう槍の使い手である青年は殆どの防寒具を脱いだ簡素なシャツ姿で同僚達を迎えた。気温の事だけを考えれば、トライ級の人間に実は防寒具は無用だ。あれは常に振り続ける雪とそれが解けた水、或いは刃や導術への対策と言う意味合いが大きく、無風無雪の室内であればコートを着る理由はない。
だから、格好自体は問題ではなかった。真に疑問に思うのは、彼が持っていたバスタードソードだった。一切の直線を排した自然的な曲線美の極致とでも言うべきその雑種剣は、美しくもあると同時に底知れぬ未知さを備えており、否が応でも視線を引き付ける。材質は恐らく、完全なるフロギストン鉱製。歴史的に見ても比類のない巨大なそのフロギストン鉱は燃え盛る火炎の様な眩しい色をしており、一般的なフロギストン鉱の白銀色とは似ても似つかない暖かな雰囲気を感じた。
だが、そのバスタードソードですら、アマミチの横に立つ十五・六歳頃の少女と比べれば驚きは少ない。
アマミチの物であろうコートや防寒具で着膨れしているその少女は、それでもなお寒そうに自らの身体を抱きしめ震えていた。フロギストン感応力が低ければ、どれだけ着込んでも寒いものは寒い。身体を内から温めようと火の水を飲み、中毒となる人間はエゾでは珍しくもなんともない。
しかしナナセイやシーへ、導術を得意とする者達は彼女の震える理由がもっと深刻な物だと看破していた。フロギストン感応力が低いのではない、“ない”のだ。彼女は微塵ともフロギストンに祈りを通す事ができていないでいた。彼女は自分の体温だけでこのエゾの全てを拒むような気温に抗っているらしかった。
例え小さなネズミ一匹だとしても本能的にそれを行って寒さを凌いでおり、フロギストン感応力がないと言うのは、エゾに住む生物にとっては致命的である。体質か何かは知らないが、そんな彼女が生きている事実は、奇蹟にも悪い冗談にも思える。
また、導術を得意としないガード達も又、彼女を一目見て息を呑んだ。単純に彼女の容姿が美しかったと言う事もあるが、腰の辺りまで伸びたしなやかな長髪の色は、まるでアマミチの持つバスタードソードの様な激しく燃える様な鮮やかで、不安そうに揺れるその瞳が見た事もない黒よりも遥かに薄い色をしており、それが美しかった。
例外なく黒い髪と黒い瞳を持つエゾの人間には無いその二つの特徴は、何処か神秘的な魅力を備えて視え、同時に近寄りがたい雰囲気を産む。まるで、この世の者ではないような、そんな敬意と怖れを。
一体、彼女は何者なのだろうか?
何故、アマミチは自分達の側ではなく、彼女の傍にいるのだろうか?
謎が産んだ緊迫した雰囲気は、しかし長続きしなかった。
「よお、ナナセイ。それに、ノブナリ、皆。心配掛けたな」
渦中の一人であるアマミチが、そうするのが当たり前の様に右手を上げて言った。いつもと変わらない声で。
「御覧の通り、俺はピンピンしてる」
笑い、アマミチは続ける。
「俺がいない間はどうだった? ナナセイ。怪我はなかったか?」
いつも通りの、アマミチにナナセイは胸を撫で下ろし、定位置である相棒の横へ移動しようと一歩を踏み出し――
「説明してもらおうか? アマミチ」
――研ぎ澄まされた氷の様な静かな声と、白銀をしたハルバートの刃に彼女の二歩目は阻まれた。
「どうしてお前は此処にいる? どうやって戻って来た? あの共鳴反応について知っている事は? その剣は何だ? その女は誰だ? 」
隊の先頭を途中から走っていたノブナリが続け様に問う。その台詞には殆ど敵対前提の警戒心が滲んでおり、問答の結果によっては戦斧が振るわれるであろう事を予感させる。
「質問が多いな、ノブナリ。一つずつ頼む」
「…………その剣は何だ?」
「“ガラティーン”」
「ガ、ガラ?」
エゾの地では馴染みのない発音に、ノブナリは怪訝そうに眉を歪める。
「悪いな。俺も、それしか知らない」
「ならば、その女は?」
肩を竦めるアマミチが虚言を弄していないと判断し、ノブナリはハルバート先を少女へと変える。少女は突然向けられたその刃の鋭さに顔を青くし、アマミチの後ろへと隠れてしまう。
「おいおい。ノブナリ。俺達は“破壊と再生の槌”だろ? 女子供相手になにやってんだよ。武器を下ろせよ」
如何にも無害そうな少女相手に武器を向けるノブナリに、呆れたようにアマミチは半笑いするが、ノブナリは真剣だった。
「アマミチ! 正直に答えろ! その女は何だ!」
餓えた獣の様な剣幕に、少女の身体がびくりと震える。他のガード達はノブナリの質問に半分は同意し、もう半分はそこまでしなくてもと思った。ただ一人、シーへだけがノブナリの真意に気が付き、逃げるように後ろに一歩だけ下がった。
「……まさか」
「おい。イズミ、自己紹介できるか?」
少女は首を横に振って拒否を示す。いきなり武器を持った体格の良い大男に怒鳴られて恐ろしくないわけがない。アマミチは溜息を吐き、代わりに答えた。
「イズミだよ。イズミ・ラフカディオ・ハーン」
「フロギストン感応力は?」
「わかってんだろ? ねーよ。こいつは一切フロギストンを操れない」
アマミチの答えに、遅れながらも彼女の異常性を知ったガード達が驚きの声を漏らす。それは呼吸が出来ないと言っているのに等しく、そんな生物が存在するはずがない、と。
が、しかし此処に確かにフロギストン無く生きている人間がいる。
これはどう言う事だろうか?
「つまり――」アマミチが言う。「――こいつはエゾ産まれじゃあない」
「つまり――」ノブナリが言う。「――そいつは異邦人って事だな?」
異邦人。
その単語を切っ掛けに場の空気が大きく変わった。アサヒのガード達は瞬時に臨戦態勢を取り、ノブナリを補佐するように陣形を組んだ。その答えを半ば予期していたシーへは待機させて置いた導術を放ち、七羽の小鳥の形をした火炎がアマミチの後ろに隠れるイズミへと放たれる。
咄嗟の対応としては文句なしの迅速な行動であろう。それぞれ別の角度から大きく弧を描く小鳥から無力そうな少女を護るのは、流石のアマミチと言え隙を晒さずにはいられないだろう。手にする雑種剣を使うにせよ、導術に頼るにせよ、その隙を突いて全員で攻め立てれば三手とかからずにイズミを殺す事は難しくない。
誰もが次の手を頭の中で選ぶその中、
「アマミチ!」
叫びと共に小鳥が霧散した。導術に使われていたフロギストンに強引に働きけ、空中で術を分解させたのだ。離ればなれの七匹を同時に掻き消す様な芸当ができるのは、この場では一人しかいない。
「助かった。ナナセイ」
朱色の十文字槍を持つナナセイだ。アマミチの礼を受け、彼女は困惑した様に首を横に振った。
「お礼はいらない。でも、答えて? アマミチと異邦人がどうして一緒にいるわけ?」
「っち」と、舌打ちをしたノブナリがアマミチよりも早く答える。「ナナセイ! 自分が何をしたのかわかっているのか!? 俺達の任務を思い出せ! 俺達の最優先事項はリベリオンの殲滅だ。そして、異邦人は見つけ次第殺せてと言われている。違うか?」
「ええ! だけど! 今のはアマミチごと殺すつもりだった! 違いますか!?」
「アマミチはその命令に背いている。積極的に殺す気はないが、あの異邦人を庇うなら巻き添えも覚悟して貰う! わかっているよな! アマミチ!」
腰を落としたままハルバートを構えて叫ぶノブナリの言葉に、ナナセイは縋るようにアマミチを視た。今ならまだ、引き返すチャンスがある。多少の減俸や降格はあるかもしれないが、殺される程ではない。アマミチを殺そうとしたノブナリとシーへは到底許せないが、仕事であったのならば我慢をしなくてはならないだろう。
何か弁解の言葉を口にするか、或いはイズミと呼んだ女を殺せば、丸く収まる。これからもガードとして生きていくのであれば、それは難しい事ではない。
そして、全員の注目を集めるアマミチは、少しだけ困った様に笑うと、「悪いな」と言った。
「今日、この時、この場で、お前らとはお別れだ」
「――――え?」
はっきりと、まちがいなく、アマミチは自分自身の言葉で言った。
「フロギストンを扱えない人間。見た事もない髪と瞳。エゾじゃあない場所があるんだ。イズミは“ホンシュウ”とか言ったけどな。俺はそこに行く。雪が降って無い場所もあるし、常に氷は水なんだってよ。それって、ハルだろ?」
今まで見た事もない様な笑顔で、少年の様にアマミチは“ハル”と口にした。
それはエゾとの決別の言葉であり、戦いの火蓋を落とすには十分であった。
「アマミチ!」
「イズミ、ちょっと離れていろ」
「は、はい」
地面を蹴り砕かんばかりの勢いでノブナリが飛びだした。振り下ろしたハルバードをアマミチが左手に持った雑種剣で受け、澄んだフロギストン鉱同時がぶつかり合う音が倉庫内に木霊して初めて、他のガード達は戦闘が始まった事に気が付き、慌てて構えた。
――が。
たったの一合を打ち合っただけで、アマミチとノブナリの闘いに横やりを入れられる者は既にいなかった。風を斬りながら振われる怒濤が如く回転するハルバートは、既に先程までのノブナリの物ではない。周囲に自分以外の人間を認めないような圧倒的な破壊の渦。時には片手でその長い柄を振り回しながらも、しかしまるで身体の軸や芯にずれはない。
率いる事をしないノブナリの闘い方は荒々しい烈火の如く敵対者を捻じ伏せる強引極まりない覇の武であった。
対して。その荒々しい攻撃を全て受け止め、受け流し、回避し、無力化するアマミチは静かだ。全てを打ち砕かん一閃達が、まるで包み込まれるように決定打になりえない。未来を読んだか、或いは過去に見たか。燃え盛る色をしたバスタードソードは寸分の狂いも迷いもなく全ての烈火を打ち払う。
疑う余地のない達人が二人、その得物を振い続ける。事前に打ち合わせでもしたのかと疑いたくなる演武が如き攻防は完成され、つけいる隙がまるでない。下手な援護はノブナリの集中を欠く事になりかねないだろう。
そして、何度、金属音が響いただろうか。
もう永遠に決着は付かないのではないだろうか? そんな疑問すら過る白銀と灼熱のぶつかり合い。ノブナリの闘争心に呼応して大気中のフロギストンすらも荒々しく輝き始め、出鱈目に気温が上がり始めた頃、アマミチが動いた。
「これ以上は、イズミが保たないな」
呟いたのは、背後に庇う少女の事だった。ノブナリの感情に引き上げられて気温が幾ら上がろうとも、ガード達は自分の周囲の温度を適温に維持出来る為に体調に支障はないが、フロギストンに対する感応力を持たないイズミは違う。彼女は頬を上気させ、たまのような汗を額に浮かべている。アマミチにナナセイ級の技術があれば彼女の周囲の温度を調整する事も可能だろうが、それはないものねだりであり、ナナセイが彼女を助ける理由もない。
「だったらどうする! アマミチ!」
「終わらせるさ」
極めて端的にアマミチは問いに答えた。ノブナリの意思がイズミを害すると言うのであれば、その意思を断つ。方法は? と問う必要もないだろう。最も古くから伝わり、最も野蛮にして、最も根本的で、極めて残酷な方法で、だろう。
だが、それが如何に難しいかはアマミチ自身が最も知っているはずだ。
この荒れ狂う戦斧に勝つ為に、アマミチは得物を十文字槍に変えざるを得なかったと言っていたではないか。常軌を逸した全フロギストン鉱製のバスタードソードと言えど、その刀身までは調整できまい。
ノブナリが単身での速攻を仕掛けたのも、乱戦のドサクサに紛れてナナセイが持つ愛用の十文字槍に武器を持ち替えられることを懸念してのものであった。
故に、この戦いを終わらせる権利を持つのはノブナリである――
「あばよ、ノブナリ」
――はずだったのだが、アマミチが別れを告げると同時に、ノブナリの左腕の肘から先が宙を舞った。バランスを失った身体は今まで振り回していたハルバードに振り回されるように大きくその場でぐらつき、無様に頭から地面に倒れた。
「さあ? 次はどいつだ? 俺の道の邪魔をするなら斬る」
かつての恩師の頭に足を乗せ、アマミチは少しも笑わずに言った。




