14.盗人にも三分の理?
「邪魔だああああああ」
男がお母様に向かって叫んだ。
お母様は男の前に立って微笑んだままだ。
人が立っていたら、普通は避けるとか、走る速度を緩めそうなものだが、男はそのままの勢いで走ってくる。
当たり負けしない自信があるのだろう。
まあ、女性であるお母様と成人男性である男の体格差を考えれば、そう思うのは当然だろう。
普通のご婦人が相手ならそれは正しい。
か弱くたおやかな見た目のお母様。
その見た目とは裏腹に下半身も体幹もかなり強い。
あと三メートル、二メートル……
今だ! お母様は左に踏み込み、男を避けながら下から日傘を振り上げる。
鳩尾あたりに日傘が当たる。ぐっと振り抜く。
バシンと痛々しく肉の打たれる音がした。
男はよろめくと走った勢いのまま地面に滑り込む。
おっと危ない。
俺は慌てて男を避けた。
砂埃を巻き上げ、男は数メートル向こうで地面とキスしていやがる。
可哀想にどうせキスするならコイツだって女の子とキスしたかっただろうに。
俺は憐れむような目で男を見つめた。
「さてと、捕まえたわよ。盗んだものを出しなさい」
お母様は楽しそうに哀れな男の腕を捩じり上げた。
そんなことをしなくても男の体はボロボロで逃げ出すこともできなさそうだったが、お母様は容赦なかった。
「分かった、分かったから……」
男は地面をタップする。
「はいはい。ポケットの中にあるこれかしら?」
お母様は男の言葉を無視して男のポケットを漁っていた。
「うわ、何があったんですか?」
店から遅れて出てきたメリーナが驚いたように声を上げた。
そりゃあ、伯爵夫人が男を捩じ伏せてたら驚くのも無理はないよな。
「泥棒らしいです。詳しいことはよく分かりません」
「泥棒?」
メリーナは不思議なものを見るかのような目でお母様と男を見つめた。
さっぱり状況が呑み込めていないようだ。
「す、すみません。泥棒、泥棒が、あの、僕の財布……」
男が走ってきた方向からよたよたと息を切らしてもう一人の男が走ってくる。
泥棒と叫んでいた声と一緒の声だった。
どうやら、この男が被害者のようだ。
ひょろっと長い背に優男風の眼鏡の男だ。
ボサボサの紺色の髪に、服装には無頓着なのかしわしわのよれよれのシャツを着ている。
見るからに鈍くさそうな奴だ。
男は、へらへらとした顔で頭を下げながら、俺たちに近づいてくる。
「貴方は?」
メリーナが胡乱な目で男を見つめた。
「え、あ、僕、僕ですか? シリウスといいます。財布を盗まれて……」
「それはこれかしら?」
お母様が組み伏せていた男から汚い鼠色の巾着袋を取り上げる。
なんだかずっしりとしていて重そうだ。
随分と金を持っているな。
「嗚呼、それです! よかった! 僕の全財産!」
シリウスはお母様のもとに駆け寄る。
「大金を持ち歩くときはもう少し気を付けたほうがよさそうね」
お母様はそう言いながら巾着袋を差し出す。
「親切にありがとうございます」
シリウスはにこにこと笑いながら巾着袋を大事そうに受け取った。
「戻ってきてよかったですね」
「ええ、子どものときから使っている財布なので愛着があって……」
そう言って大切そうに巾着袋を撫でた。
全財産と言いつつも、金よりも巾着袋の方が大事なものらしい。
なんだか変わった奴だな。
「他に盗まれたものは?」
「特にはないかと」
「では、もうこの男は憲兵に渡してしまってもいいわね」
「え?」
シリウスは驚いたように目を開く。
青みがかったグレーの瞳がこちらを見つめる。
同じグレーなのに黄みがかったメリーナの瞳とは違い、冷たい色をしている。
人の良さそうな表情とは真逆の色にどきりとする。
「何か?」
「いえ、盗られたものは戻っていましたし、その方にも何か事情があるのでしょう? そこまでしなくても……」
「そうなんだ! 金がなくて、つい!」
シリウスの言葉に泥棒の男も激しく頷く。
「ついなんですか! 悪いことをしていい理由にはなりません」
思わず俺は叫んだ。
「う、うるさい! そんな上等な服を着ている奴に言われたくない! お前に貧乏の何が分かる!」
泥棒は叫んだ。
確かに泥棒の言う通り、幸いなことに前世でも今世でもお金に困ったことはない。
アントニスたちのようにお金や職がなくて、やむを得ず、悪いことをしてお金を得る人もいるだろう。
仕方のないこともある。理解できる。
理解できるけど、許すのとは違う。
ここで許して、もしもソロンやドルカみたいな善良な領民たちに危害が加わったら?
奪われたのが命だったら?
俺たちがここで許すのではなく、きちんとしたところで申し開きするなり何なりして、ちゃんと法律に照らし合わせないとまずいだろう。
「分かる分からないの問題じゃ……!」
「待って。色々と不満があるのでしょう? それなら、貴方に色々とお話を聞いて然るべく対応させていただきたいわ」
お母様は俺を制止させる。
そして、泥棒から手を離した。
「え?」
自由になったはずの泥棒は驚いたように突っ伏したまま、お母様の顔を見上げた。
「だって、そうでしょう? 私は領主の妻ですもの。民の言葉は一番の宝よ」
お母様は首を傾げて微笑む。
おいおい、お母様、懐が深すぎないか?
泥棒は呆然とお母様を見つめた。
「いや、そんな、貴女が……まさか領主の……」
酸欠の金魚のように口をパクつかせ、そう漏らす。
「勿論、お話を聞いて貴方が間違っていたことをしていたら正すわ。処罰もちゃんとしてもらう。でも、私たちが間違ったことをしているのなら正されるのは私たち。お互いが分かり合えるように、一人でも不幸な人が出ないようにお話をしましょう? 憲兵を呼ぶけど、それはお話を聞くため。それでよろしいかしら?」
お母様はそう言ってウインクをして見せる。
泥棒は黙って頷く。
「シリウス様もそれでいいかしら?」
「え、ええ」
シリウスもお母様の言葉に頷いた。
「じゃあ、メリーナ。申し訳ないけど憲兵を呼んで頂戴」
お母様の声にメリーナは頷くと、駆け出した。
お母様は満足そうにメリーナの背中を見つめた。
***
その後、泥棒は大人しく憲兵に連れて行かれた。
お母様は何やら憲兵に話していた。
おそらく泥棒の話をきちんと聞くことと、その話を報告するように言っていたのだろう。
憲兵は緊張したように背筋をぴんと張って何度も頷いていた。
泥棒と憲兵がいなくなってから、お母様はシリウスに向き直った。
「シリウス様、この度は我が民がご迷惑をおかけしました」
「いえ、僕は全然! 寧ろ、僕が弱いせいで犯罪を引き起こさせてしまったようで申し訳ないです」
シリウスは困ったような顔で微笑みながら、ポリポリと頭を掻いた。
やけに謙虚な奴だ。
「よろしければ、お送りしましょうか?」
「いえ、僕のことは結構です」
「本当にいいんですか?」
「ええ。宿も近いので」
「そう。残念ですね。では、ごきげんよう」
そう言ってお母様は早々にシリウスに別れを告げた。
その後を俺とメリーナが追う。
すぐに馬車に乗り込むと、お母様はため息を吐いた。
「大丈夫ですか、奥様?」
メリーナは心配そうにお母様に問う。
「ええ。扉を閉めて頂戴」
「かしこまりました」
メリーナが扉を閉めると、お母様はもう一度深くため息を吐く。
「あの、シリウスという方、おそらく貴族ね」
「貴族……ですか?」
メリーナは首を傾げた。
俺もメリーナと同じ気持ちだった。
確かに人の良さそうないかにもおぼっちゃまという顔立ちだったが、服は皺くちゃだった。
貴族ならもう少し身なりに気を付けそうなものだが。
「ええ。着ているものが高価な生地だったし、身のこなしがそうだったもの。でも、社交界では見たことがないのよ。貴族としての教育は受けたけど、何かしらの理由で社交界に顔を出してない者なんだと思うわ」
「どこかの貴族の隠し子とかですかね?」
「護衛がいる様子もなかったし、そうかもしれないわね」
お母様は頷く。
「嗚呼、だから、送るか聞いていたんですね」
「ええ。オブシディアン家の領地で二度も襲われたとなっては色々と問題でしょう? 本人は気にしていなかったみたいだけど」
お母様はそう言って外を眺めた。
窓の外を見る。
外にはたくさんの人が見えたが、あの紺色の髪はそこにはもういなかった。




