11.多分、きっと夏のせい
ふわふわとする。
嗚呼、これは夢か。子どもの頃からよく見た夢だ。
赤ちゃんがベビーベッドの中にいる。
ふくふくとした赤い頬、柔らかな肌。
触りたい。でも、触ったら壊れてしまいそうだ。
手なら大丈夫だろうか。
赤ちゃんの掌にそっと指をのせる。
小さな掌はしっとりとしていて、思った以上に柔らかかった。
このまま触っていると壊れてしまうかもしれない。
そう思って指を引っ込めようとすると、小さな指がぎゅっとそれを包み込んだ。
胸の奥に明かりが灯ったような感じがする。
初めて感じた愛おしいという感覚だった。
月日は巡る。
アルバムをめくっていくように目の前の赤ちゃんがどんどん大きくなっていく。
そして、長い髪をした女の子になった。
女の子は笑っていたのに急に顔を歪める。
「お兄ちゃん、ごめん」
そう言って泣きながら呟く。
嗚呼、そんなに泣いていたら目玉が蕩けてなくなるぞ。
それに、謝ることなんてないんだ。
悪くないのになんでそんなことを言うんだ。
そう言いたくても、もう言えない。
涙を拭いたくても拭えない。
胸の奥が詰まってしまったみたいで苦しくなる。
そんな顔見たくないのに。
だから、泣き顔は嫌いなんだ。
俺はそこで目を瞑った。
こんな夢見たくない。
もううんざりだ。
どんなに願っても叶わないことがたくさんある。
分かってる。
でも、願わずにはいられない。
あの子を守れますようにと。
馬鹿だろう?
あの子を助けることは二度とできないのに。
***
「お嬢様、お嬢様」
枕元でメリーナの声がした。
俺ははっとしてすぐに体を起こした。
いつの間にか寝ていたようだ。
仔細は思い出せないが、何だか悲しい夢を見ていた気がする。
俺は自分の頬に伝う涙を拭った。
「どうしましたか? 何かお身体に異変でも?」
心配そうなメリーナの顔。
いやだな。また、そんな顔にさせてしまった。
罪悪感が胸いっぱいに広がる。
「いえ、疲れて眠ってしまっただけです。こんな姿でごめんなさい」
俺はくしゃくしゃになったドレスの裾をそっと直してからメリーナの方を向いた。
「とても疲れていらっしゃったみたいですね」
「そうなのかもしれません」
実はお父様のところに行って我儘を聞いてもらえなかったから不貞寝してましたなんて、心配するメリーナにとてもじゃないけど言えない。
嗚呼、何であんなことをお父様に言ってしまったのだろう。
捨て台詞の「お父様の分からず屋」って何だよ。情緒不安定かよ。
去年の夏のレグルスとやったお茶会といい、夏になると、なんか精神的にちょっと不安定になる気がする。
やっぱり暑いから頭もおかしくなるのかな。
取り留めもなくそんなことを考える。
「色々とやりたいことがたくさんあるのは結構ですけど、そうやって無茶をされては困ります。一応、私の方で今日のお勉強は全てキャンセルにさせてもらいましたから、お嬢様は安心してこの後はお休みいただいて大丈夫です」
そう言ってメリーナは微笑む。
流石、俺のメイドさんは優秀だ。
主である俺のオーバーワークっぷりを心配して既にそこまで手を打ってあるとは思いもしなかった。
やっぱりメリーナはすごいな。
それに比べて俺ときたら短絡的な思考回路、長期的に物事を見る視野に欠けていて、無計画、猪突猛進ときていやがる。
お父様の書斎で言ったことだって言い過ぎた。
冷静になってみれば、どう考えたってご令嬢が化け物の討伐隊に参加なんてできるはずもない。
それは俺がご令息だったとしても多分断られていただろう。
お父様は家族思いのいい父親なのだ。
愛娘には甘く、多少のやんちゃは目を瞑ってくれるが、多少じゃないやんちゃは物腰柔らかく断固反対するだろう。
うちはお父様もお母様もおれも頑固なのだ。分かっていたはずだった。
それに、俺が化け物の討伐隊に参加しますとなったら、お母様が泣くに違いない。
泣くだけならまだしも、過保護に「暫くうちから出さない」なんて言い出したりするかもしれない。
俺が男であれ、女であれ、それは変わらないだろう。
お父様はお母様が泣くようなことは絶対にしない。
お母様が泣くと分かっていることに許可を出すとは到底思えない。
それなのにお父様を責めてしまった。
謝らなきゃな。
でも、本当に討伐隊にお父様が参加することになったらどうしよう。
じっと我慢していることは多分できない。
こっそりついていくか?
それなら剣の練習や魔法の練習をしておく必要がある。
確か、獣は炎を恐れるんだよな。
化け物の全身の毛を燃やしてやろうか。
「お嬢様?」
いけない。ぼんやりと考えごとをしていたせいでメリーナが不安そうな顔をしている。
「すみません。寝ぼけていました」
俺はメリーナに向かって微笑みかける。
メリーナは安心したように頬を緩めた。
「夕食は如何しますか? 疲れているのなら、お部屋に持ってきますが……」
「いえ、いつも通りで。今日はお父様もいるんでしょう?」
「ええ、一緒に食事をされるはずです」
「じゃあ、やっぱり、いつも通りお願いします」
早めにお父様に謝らなきゃいけないし、その方がいいだろう。
「かしこまりました」
メリーナはそう言って立ち上がる。
「あ、そう言えば今日はお母様は?」
「お出かけになっています。帰ってくるのは夜遅くかと……」
「そう。じゃあ、今日はお父様と二人で夕食なんですね」
ちょうどいい。お母様に知られずにこっそりとお父様に謝ることができる。
良かった。お母様に知られたら、またお説教という名の号泣の会が始まってしまうもんな。
はあ、それにしても今日もお母様はいないのか。
「お母様は今日は何処に行っているんでしょう?」
言うつもりのなかった言葉が漏れる。
「え?」
メリーナは驚いたように俺を見つめた。
「え? 変なことを言いましたか?」
「いえ、そんなことは……」
俺の言葉に慌てるように手を振った。
明らかに態度がおかしい。
お母様に限って、ないとは思うが、まさか不倫とか、隠し子がいるとかそんなことはないよな。
俺は一瞬そんなことを考える。
いやいや、あんなに俺のことで泣く人が不倫なんてすると思うか?
隠し子だって、男ならまだしも女ならお腹の大きさですぐにバレるだろう。
絶対にないな。
「今日は王都にある病院に行っているそうですよ」
メリーナは首を振りながらそう言う。
なんだ、いつもの病院じゃないか。
親戚のお見舞いだか、何だかなんだよな。
だから、遅くもなるわけだ。
「そうですか。遅くに帰ってくるなんて心配です。早く無事に帰ってきてほしいです」
「ええ、本当に早く、ご無事に帰ってきてほしいですね」
メリーナは自分の言葉を噛みしめるように言った。
俺の情緒不安定がメリーナに移ったのかな?
少し心配になる。
俺はメリーナを見つめた。
「さて、お嬢様、それではお食事の件を料理長に伝えてきますので、それまでお休みくださいね!」
メリーナは明るい声を出して俺の部屋から出ていく。
なんだか少しわざとらしかったけど、メリーナなりの気遣いなのだろう。
俺はメリーナの背中を笑顔で見送った。




