6.敗北感満載の寝起き
***
目が覚めると、俺はベットの上にいた。
確か、レグルス王子とお茶をして、それから倒れて、そのまま熱が出たんだ。
ぼーっとする頭をフル回転させる。
あれから何日経つのだろう。
レグルス王子はもう帰ってしまったよな。
それにしても、やっちまった。
婚約解消の流れにしたかったのに、つい、感情的になってぶち壊してしまった。
あんなこと言われたら、「お母様とわたくしが似ているからお辛いでしょう。わたくし、身を引きますわ」と言えなくなる。
アルキオーネのイメージを保ちつつ、綺麗な形で婚約解消できるチャンスだと思ったのだが。
いや、その後、急に倒れたわけだから、「こんな病弱な嫁は要らない」なんて展開になってくれないかな。
ならないだろうな。
レグルス王子だってアルキオーネの病弱っぷりは知っているはずだ。
俺は社交界デビューした身も関わらず、病弱のあまり、社交界のシーズン中も自分の家の領地に引きこもっていた。
「お嬢様! お目覚めに!」
盥に水を入れたものを持って部屋に入ってきたメリーナが大きな声で叫ぶ。
そして、慌てたように盥を床に置くと、俺の元に駆け寄る。
「ええ、メリーナありがとう。心配をかけてごめんなさい」
「三日も寝ていらしたのですよ。このままお目覚めにならないかと不安でした。本当に良かった……」
メリーナは目の縁いっぱいに涙を溜めて俺に縋るようにそう言った。
俺の胸がズキリと痛む。
嗚呼、俺はこんなに可愛い人を泣かせてしまっている。
なんてことをしてしまったんだ。
俺は罪悪感で胸がいっぱいになった。
そこで俺は自分の愚かさに気づいてしまった。
無理をしているつもりはなかったが、思っていた以上にアルキオーネの身体はか弱いようだ。
前世の身体とは違うことを俺は理解しきれていなかった。
スピカやアルキオーネを幸せにしてやるなんて言っていたくせに今の俺はどうだろう。
メリーナを泣かせ、アルキオーネの記憶に引き摺られてレグルス王子を詰り、アルキオーネの身体を酷使している。
こんなに体が弱く、精神も未熟な俺が誰かを幸せにできることなんてできるのだろうか?
一方、レグルス王子はどうだ。
ゲームの中ではDVクソ野郎だったが、今のレグルス王子は人のことを気遣える男だ。
お茶会のときだって、俺が言葉に詰まるとすぐに察してフォローしてくれたじゃないか。
俺は妹が大好きなキャラだとか、ゲームの中のDVクソ野郎だったレグルス王子だとかそんな風にしかレグルス王子を見てこなかった。
俺は本当の、今ある姿のレグルス王子が見てなかったんじゃないのか?
今のままでは、本当にスピカやアルキオーネを幸せにできるのはレグルス王子なんじゃないのか?
もしかすると、俺は思っていたよりも格段にいい奴だったレグルス王子に嫉妬していたのではないだろうか。
だから、あんなにも敵意を持ってしまったのではないか。
俺は深く反省せざるをえなかった。
「本当にごめんなさい」
本来、レグルス王子の言うべき言葉をメリーナに向かって呟いた。
「いえ、私には勿体ないお言葉です。そんな顔なさらないで。お嬢様が笑顔であることが私の喜びなんですよ」
メリーナは目の縁の涙を拭うと、笑顔を見せてくれる。
俺の気持ちはその言葉と笑顔で少し救われた。
そう言えば、今、どんな状況なんだろう。
「レグルス様は? ちゃんとお帰りになられたかしら?」
俺は慌てたように尋ねる。
「ええ、お嬢様のことを大変心配して二日泊まっていかれましたが、流石に長くは居れず、昨日お帰りになられました。本当に心配だった様子でずっと夜遅くまでお嬢様の部屋の前をウロウロされていました。部屋の中に入ることは王子殿下自身が遠慮されたので、結局廊下に椅子をご用意しましたよ」
「レグルス様が?」
「ええ。本当にこちらが心配になってしまうほど、心配されてました。ふた晩続けて早朝近くまで起きて廊下にいらしてました。お帰りの際は、『体調が優れないところを押しかけたようで申し訳ない。今度は是非体調の良い日に。できれば、僕の誕生日には会いたいものだ』と仰ってました」
メリーナがレグルス王子の口調を真似てそう言う。
あまり似ていないが、おどけるメリーナに俺はほっとする。
「そう、レグルス様がそんなことを仰っていたのね」
そこまで気にするなんて、レグルス王子は本当にいい奴なんだろう。
俺は何だかとても悔しくなった。
レグルス王子に負けたような気持ちになる。
いや、その感情すら間違っている。
俺は俺の醜い感情に負けただけだ。
レグルス王子と戦ってすらいない。
俺もレグルス王子と同じ土俵に立って、正々堂々と戦わなければ男として、月山昴としての俺はきっとダメになる。
唐突に俺は理解した。
俺のライバルは今のレグルス王子だと。
「さて、お嬢様が目覚めたことを旦那様たちにお伝えしなければ。あ、お嬢様はまだ熱が下がっていないのですからゆっくりお休みになってくださいね」
メリーナは私の額の濡れタオルを交換しながら、そう笑う。
「ねえ、メリーナ、ちゃんと熱が下がったらお父様にお願いしたいことがあるの」
「ええ、旦那様はお嬢様の言うことならなんでも聞いてくださいますよ」
「本当にそう思う?」
「ええ」
メリーナはゆっくりと頷く。
「ありがとう。勿論、メリーナにもお願いしたいことがたくさんあるの。協力してくれるかしら?」
「ええ。私で良ければ力になりますわ」
「でも、もしかしたらお母様は反対するかも……」
「どんなことをお考えなんですか?」
メリーナは笑う。
「ふふっ、今は内緒」
「じゃあ、熱が下がったら絶対教えてくださいね」
「勿論よ」
「さあ、瞼が落ちてきましたよ。ゆっくり、お休みください。お嬢様」
メリーナの声がどんどん遠くになる。
「ありがとう……」
俺はそう呟くと、深い眠りに落ちていった。
***
その日、俺は夢を見た。
懐かしい夢だ。
もう二度と会うことの出来ない妹がそこにはいた。
『お兄ちゃん』
妹が俺を呼ぶ。
『お兄ちゃんのいい所を教えてあげよう。お馬鹿なところ、優しいところ、私のことが好きなところ……あとね、自分が嫌なことを人にしないところだよ』
嗚呼、これは俺が初めての彼女に振られたときの妹が慰めてくれた。その時の言葉だ。
確か、「シスコンなんて気持ち悪い。なんで妹のことばかり気にかけるの? 私のことはどうでもいいんでしょ」って振られたんだよな。
どうでもよくはなかったんだけど、どうしても彼女と妹を天秤にかけることが出来なくて、先に約束した方を優先にしていたらそんな言葉を投げられた。
『お馬鹿で優しいから、大切な妹も大好きな彼女もどちらも大事にしたかったし、自分がされて嫌だと思うから先に約束した方を優先にしたんだよね。でもさ、そんなこと分かるわけないじゃん。彼女だったら、私を優先にしてって思うじゃん。お兄ちゃんの悪いところは女心が分からないところだよ』
『分かるわけないだろう。女心が分からなきゃ彼女を作ったらいけないのかよ』
『そんなことないよ。そこは相性とか運命とか色々あるもん。きっと、お兄ちゃんのいいところ、分かってくれる人が現れるよ』
妹が笑う。
『そんなヤツいるのか?』
『さあね。あ、お兄ちゃんのいいところまだあった!』
『なんだよ』
『これって決めたらそれに向かってすごく頑張れちゃうところ! 負けず嫌いとはちょっと違うんだけど、とにかく頑張っちゃうでしょ?』
『思い当たるところがねえよ』
『そうかな? そんなことないよ』
妹は俺の横でずっと笑っていた。
ずっと覚めなければいいのに。
そう俺は願わずにいられなかった。