6.お出かけの計画
朝の厨房は戦場だった。
俺とミモザは空気に圧倒され、動けなくなる。
早朝に薔薇を摘むのまでは上手くいったが、その後の段取りを考えていなかった。
俺はこっそりとバシリオスに声を掛け、ボウルと鍋を二つずつを拝借した。
とりあえず、ここが落ち着くまで火は借りれそうもない。
そうなると、できることは下ごしらえくらいだろう。
俺たちは薔薇を花びらだけの状態にすることにした。
「うちのお屋敷ととお姉様のお屋敷は遠いからなかなかスケジュールを合わせてお出かけって大変よね?」
ミモザは一枚一枚花びらをちぎりながら呟く。
丁寧だが、動きは早い。
いい仕事っぷりだ。
俺はと言えば、一枚一枚ちぎるのにも飽きてきて、乱暴に二、三枚引っ張ってはちぎるのを繰り返していた。
花びらを見る限り、ミモザのちぎったものの方が綺麗で美味しそうだ。
いやいや、ジャムは火加減が大事なんだ。
まだ分からないぞ。
「そうですね。できないこともないでしょうけど……社交界のシーズンまで待ったとしても、その頃にはもう寒いでしょうし、散歩やお出かけにはなかなか向かないでしょうし」
社交界のシーズン前となると会う機会は、レグルスの誕生パーティーぐらいか。
そこなら、俺もミモザも王都にいるが、その後すぐ俺の誕生パーティーがある。
俺はオブシディアン家の領地に帰ることになる。
スケジュール的にきつい。
「そう言えば、豊穣祭は? そのくらいの時期ならまだ寒くないはずでしょう?」
そうだ。そういえば、社交界のシーズンの前には豊穣祭が各地で開かれるんだ。
確か、オブシディアン家の領地では、俺の誕生日の翌日辺りから始まるはずだ。
誕生パーティーにミモザを呼んで、泊まってもらえば、ちょうど翌日か翌々日には豊穣祭だ。
スケジュール的にはちょうどいいかもしれない。
「それはいいアイデアですね。ミモザ様が嫌でなければ、オブシディアン家の領地で開かれる豊穣祭に行きませんか? わたくしの誕生日の翌日か翌々日くらいに開かれるはずなんです。勿論、ジェード家の領地の豊穣祭と被っていなければですけど」
「嗚呼、うちの豊穣祭は早いのよ。レグルス王子の誕生日前には大抵終わっているの」
なるほど。
そう言えば、去年、レグルスの誕生パーティーの後、熱を出した俺の見舞いにリゲルは来ていたよな。
豊穣祭がレグルスの誕生日の後ならば、あんな頻度で俺の家に来れるはずがないもんな。
俺は大きく頷いた。
「では、一緒に豊穣祭に行くことにしましょう」
「決まりね!」
ミモザは嬉しそうに笑った。
「豊穣祭か……楽しみですね」
「何かあるの?」
「いえ、わたくし、お祭りには縁がなくて……病弱だったものだから、豊穣祭にも最初から最後まで参加したことがないんですよね。ほら、去年の豊穣祭も熱を出していて……」
「嗚呼、そう言えばお兄様がお見舞いに行っていたわね」
「ここ最近体を鍛えているおかげか、体調もいいし、今年はきちんと参加できるかもしれないと思うと嬉しくて」
楽しみだなあ。
陽気な音楽を流して、お酒を飲んで、みんなで踊ったり、野菜の品評会をしたり、野菜で作った人形を持ち寄って、その野菜人形を最後に煮えたぎる鍋に投げ込んで皆に振る舞ったりするんだっけ。
最後のはなんだかちょっと呪いっぽいけど、それ以外は普通の陽気なお祭りだ。
「お姉様!」
ミモザは俺に抱きついてくる。
ガシャーンと言う音がした。
ミモザが鍋にぶつかった音だ。
危ない。
鍋をひっくり返して花びらをばら撒くところだった。
俺は鍋を押さえた。
「絶対楽しくしましょうね」
そう言ってミモザは俺をぎゅっと抱きしめた。
吐息が耳朶を擽る。
「そうですね」
俺はどぎまぎしながらそう返した。
ミモザの体の柔らかさや石鹸のような清潔感のある匂い、顔を擽る柔らかい深緑の髪、呼吸する音、味覚以外の五感の全てがミモザで満たされている。
あれ? 急に神様、どうしたんですか?
これは嬉しい展開だけど、まずい。
俺の脳裏にリゲルとアルファルドが過ぎる。
二人を裏切るわけにはいかない。
頑張れ、俺の理性!
ここでミモザを押し倒したら俺の人生は詰む!
ゲームの始まる前に死ぬとか早すぎる。
俺はまだ死にたくない!
もしもリゲルにバレてみろ、俺の未来は血まみれだ。
もしもアルファルドにバレてみろ、ミモザの恋はどうなるんだ。
それだけじゃない。レグルスにバレてみろ、婚約者に裏切られて暴君俺様キャラになってしまうかもしれない。
耐えろ。耐えてくれ!
俺は唇を噛みしめた。
「ミモザ様、嬉しいのですがちょっと苦しいです」
俺はぐっとミモザを押し返す。
力を入れ過ぎて押し倒すんじゃないぞ。
押し倒したら、死ぬ!
「嗚呼、ごめんなさい」
ミモザは慌てて俺から離れた。
良かった。
何もなく、て?
離れたはずのミモザの顔が目の前にあった。
鈍い音とともにミモザのおでこが俺のおでこにぶつかる。
当たった拍子に青や赤の強い光が目の前に飛んだ。
頭をぶつけると星が出るのって本当なんだな。
俺は冷静にそう思った。
「ミモザ様、大丈夫ですか?」
俺は頭を撫でるながら答える。
頭が痛すぎて目が開けられない。
「ええ、私は石頭なので。お姉様こそ平気ですか?」
「痛いけど大丈夫です」
「転んでしまったみたいでごめんなさい」
「いえ、本当に大丈夫ですよ」
そこで俺は漸く目を開けた。
横たわる俺の上には、上半身を起こしながら頭を振るミモザがいた。
「嗚呼、薔薇が……」
ミモザが呟く。
俺の鍋がひっくり返ったらしい。
せっかくちぎった黄色の花びらは床に散らばっていた。
これはミモザに下心を抱いた罰だな。
俺は床に落ちた薔薇を見つめながらそんなことを思った。
そんなときだった。
勝手口の方から視線を感じた。
「お嬢様?」
野菜を持ったおっさんと目が合う。
毎日、野菜を届けてくれるフランクだ。
フランクは見てはいけないものを見てしまったと言わんばかりに顔を背けた。
嗚呼、顔を背けないで。
ちょうどミモザが俺を押し倒したみたいな感じになってるけど誤解だから!
「何か誤解を……」
「してません! 大丈夫。何も見てませんから!」
フランクは目線をそらしながら頭を振った。
いやいや、その顔は絶対誤解してるじゃねえか。
「あの、本当に、誤解しないでください」
「してません!」
「これはミモザ様が転んだだけなんです」
「本当に誤解してないので安心してください」
全く安心できない。
もしも、「オブシディアン伯爵令嬢、朝から密会。相手は侯爵令嬢」なんて噂が立ってみろ。
スキャンダルもいいところだ。
俺は顔から血の気が引くのを感じた。




