5.王子様とのお茶会
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爽やかに晴れた空。
外は暑いが、日本に比べて湿度が低いのか空気はさらりとしている。
それに、庭園にある西洋風あずまやに入ると影になるので十分涼しかった。
俺は快適な空間でサンドイッチを食べながらレグルス王子の話を聞いていた。
相変わらず、レグルス王子は乗馬と剣に夢中らしい。
馬に乗って外に出かけた話やマメ潰れたところが固くなってきただとかそんな話ばかりする。
俺は時折、「素晴らしいですわ」「すごい」などと相槌を打つ。
すると、レグルス王子は誇らしげに胸を張った。
さて、どのタイミングで話を切り出すべきか。
「して、アルキオーネ。君の話も聞きたいな」
レグルス王子がキラキラした瞳でこちらを見つめる。
「え、ええ、わたくしは代わり映えもしない毎日を送っております。勉強をしたり、手芸、ピアノ、ダンス、礼儀作法の練習をしたり……最近は身体の調子もよいので、こうして外でお茶をすることも多いです」
俺は咄嗟にそう答えた。
「そうか。健康なのは何よりだ」
レグルス王子はそう言って、笑いながらお茶を口に含んだ。
あー、今! 今だったよ!
今のタイミングでレグルス王子の母親の話を聞けば良かったんだ!
伯爵令嬢である自分に慣れすぎた俺は完璧な伯爵令嬢であるあまり、自分のミッションの遂行に失敗した。
またやってしまった。
少々落ち込みながら、俺もお茶を飲んだ。
「どうした、アルキオーネ?」
俺の様子に違和感を感じたのか、レグルス王子が気遣うように声を掛ける。
俺の失態を見かねた神様がチャンスを与えてくれたようだ。
今まで散々呪ったり恨んできてごめんな、神様!
「いえ、実はですね。先日いただいたお写真のことなんですが……」
「母上の写真か。よく撮れていただろう?」
「そう……そうなんですけど……」
どうしよう。せっかくのチャンスなのに言えない。
俺も、アルキオーネも、他人の家庭のことをズケズケと聞けるような性格じゃないんだよ。
俺がもじもじとしていると、レグルス王子は不思議そうな顔をする。
「もしかして、母上が二人いることを何処かで聞いたのか?」
レグルス王子からの神がかったパスに俺は驚く。
コイツ、読心術でも使うのか。
「ええ、少々。詳しいことは知りませんが、わたくしの従者がわたくしに写真のお方が似ていると言っていたので、とても気になりました。差し支えなければ写真のお方についてお話を聞きたかったのです。失礼だとは存じておりますが、お聞かせくださいませんか?」
俺は少し動揺しながらお願いをする。
「そうか! 失礼だとは全く思わない。寧ろ、君がわたしにようやく興味を抱いてくれて嬉しいぞ」
レグルス王子は明るい笑顔で答えた。
どうやら、俺がレグルス王子に髪の毛一本ほども興味ないのを分かっていたらしい。
いや、興味がないのではない。
興味を持つよりもなんとなく嫌悪が先に来てしまうから素っ気なくなるだけなのだ。
まあ、それでもアルキオーネのお陰で少しは優しい対応をしているはずだ。
「そんな、わたくしはいつでもレグルス様のことを思っております」
俺はしれっと返事をした。
嘘ではない。
どうやって嫌われたらいいかと、いつもレグルス王子のことを考えているのだから。
「それで、母上のことだったな。写真の母上は産みの母だ。わたしの弟を産んですぐ亡くなったと聞く。弟も死産だったようで父上はとても悲しんだそうだ。わたしは幼過ぎて覚えていないが」
ふっとレグルス王子の顔が曇る。
「そうでしたの……」
「今の母上も母だが、どちらかといえば……そう、彼女は相談相手だ。人生の良き先輩でアドバイスをくれるような、そういう関係だな。ここでいただいた薔薇を渡したのは今の母上だ。彼女は喜んでいた。でもね、本当に渡したかったのは産みの母なんだ」
レグルス王子は寂しげな表情で微笑む。
いつも明るい笑顔を浮かべるレグルス王子がそんな顔をするなんて。
俺の胸はちくりと痛んだ。
「ごめんなさい」
「謝ることはない」
「いえ、そんな顔をさせてしまったことを謝らせてください」
レグルス王子は何も言わず、微笑んだ。
それが返事なのだと思った。
よし、ここからが本題だ。
上手く誘導して色々なことを聞き出して、婚約破棄の流れにしたい。
「ねえ、レグルス様。わたくしは本当にお側にいて良いのでしょうか?」
俺は曇った顔でレグルス王子を見つめた。
レグルス王子は困惑した表情で俺を見つめる。
「わたくしは、レグルス様がわたくしを見て悲しい気持ちになるのではないかと思うのです」
俺は悲しみ、困惑、戸惑いを込めて微笑む。
半分くらいは演技だ。
この流れを使えば上手く婚約解消になるという打算が半分、アルキオーネの持つ優しい心が本当にレグルス王子を気遣うのが半分だった。
「待って。誤解だ。確かに初めて見たときから似ていると思った。でも、似ているだけ。君は母上じゃない。わたしだってそれは分かっている」
「だから、お側にいても平気だと?」
「そう、君を母上の代わりにするつもりはない」
本当のことなのか?
アルキオーネも、俺も、レグルス王子を疑っていた。
レグルス王子は本当にアルキオーネを求めてくれているのだろうか。
ひょっとして、アルキオーネのことを母と似た女性としか見ていないのではないか。
「では、わたくしと何故、婚約を? わたくしは身体も弱ければ、家の爵位も普通、取り柄も無い、ただの娘です。わたくしでなければいけない理由なんてないじゃないですか」
「君は素敵な人だ。そんなことを言わないで」
「素敵だなんて……はぐらかさないで本当のことを仰ってください! レグルス様は本当にわたくしで良いのですか?」
俺は自分が止められなかった。
アルキオーネと俺がごっちゃになって、レグルス王子を問い詰めてしまう。
「お嬢様!」
メリーナが窘めるようにアルキオーネを呼ぶのが聞こえた。
俺はその声にハッとした。
「わたしは、何か君の機嫌を損ねるようなことをしたかい?」
レグルス王子はきょとんとした顔で首を傾げる。
レグルスの表情を見て、背中がぞわりとした。
俺、今、何をしたんだ?
自分のしでかしたことに驚く。
「すみません。少し不安になってしまって……」
俺はすぐさま取り繕った。
さっきのはアルキオーネの不安に引き摺られた。
完全にアルキオーネの心の叫びだった。
お父様は伯爵という爵位を持っているが、王国の中で強い権力を持っているわけでもない。また、剣の腕が素晴らしく軍で活躍しているわけでもない。
お母様の実家であるスピネル家は軍のお偉いさんをやっているのでそれなりに広い人脈と権力を持つが、家督は既にお母様の兄が継いでいるはずだ。
アルキオーネには関係ない。
自分には特別何かあるわけでもないとアルキオーネは分かっていた。
だから、自分の未来はせいぜい同じようなお家柄の貴族に娶られて行くのだと思っていたのだ。
そこに降って湧いたようにレグルス王子との婚約の話が舞い込んできた。
側室ならまだしも、「正室に」との言葉は喜びとは逆に、不安の種となっていた。
俺の記憶を思い出す直前のアルキオーネはそんな気持ちでいたのだった。
勿論、レグルス王子の写真を見たというのが直接的なきっかけであったが、それよりも自分というものが信じられず不安だったからこそ、俺の記憶が蘇ったのかもしれない。
「じゃあ、聞いてくれ。母上と君が似ていることは婚約には関係ない。本当だ。わたしはただ、君を好ましく思って婚約したいと思っただけだ」
「わたくしを? 好ましく?」
嘘を吐くな。
アルキオーネを「陰気くさい娘だ」と蔑み、陰険だと罵り、何か後暗いことを隠しているのだろうと詰め寄るレグルス王子を俺は忘れない。
ゲームの中とはいえ、お前はお前だ。
どんなに取り繕ったとしても、騙されない。騙されたくない。
「覚えてないかい? 半年くらい前に君が社交界デビューをしたときのことだ。同じくその年に社交界デビューをした少女がドレスにジュースを零してしまったんだ。君は泣きそうな少女にハンカチを渡すと、メイドを呼び止めてシミが落ちるかどうかを聞いていたね。少女は君が声をかけたことでほっとして、最後は笑っていたんだよ。それを見て、君のことを人の気持ちが分かる素敵な女性だと思ったんだ。だから、婚約するなら君としたいと申し出たんだよ」
「……そう、だったんですか」
「君は、君が思っている以上にとても魅力的なんだ」
そう言うレグルス王子の瞳は真剣そのものだった。
直感的にコイツは嘘を言っていないと思った。
「お褒めいただき、ありがとうございます」
俺は脱力して微笑みかけることを忘れた。
俺はぼんやりとしながら、レグルス王子が言っていたことについて考える。
確かにアルキオーネの記憶の中にそれはあった。
ヴィスヴィエン子爵のご令嬢がジュースを零してしまったときのことだ。
彼女は酷く悲しげな顔をしていた。
アルキオーネが声を掛けると、お気に入りのドレスにシミがついたのを酷く嘆いていた。
アルキオーネは近くのメイドを呼び止めると、「このシミは落とせますか?」と聞いたのだ。
幸い、直ぐに落とせば、ドレスはシミにならないとメイドは答えてくれた。
彼女とアルキオーネは直ぐにシミを落としに化粧室へ向かった。
結局、シミにならずにすみ、彼女は深々と頭を下げ、笑ってくれたのだ。
まさか、嘘だろう。
俺様で傲慢で、アルキオーネを「陰気な娘だ」と罵るあの王子が、そんな小さなことで好意を抱くなんて。
いや、恋なんて何処で落ちるか分からないものだ。
そういうこともあるのかもしれない。
俺はほっとしたようなガッカリしたような気持ちでレグルス王子を見た。
すると、レグルス王子は温かく微笑み返してくる。
母親に似ているからアルキオーネを妻にして母を取り戻そうとしているという俺の推理は、勘違いなのか?
「写真を送ったことで君を不安にさせて済まなかった」
レグルス王子は素直過ぎるくらい素直に謝る。
「いえ、わたくしが勘違いをしたのです。きつく言い過ぎました。ご無礼をお許しください」
俺ははっとして、椅子から立ち上がった。
そして、謝ろうと頭を下げかけたときだった。
ぐらりと地面が揺れた。
俺は咄嗟にテーブル手をつく。
頭が割れるように痛み出した。
「アルキオーネ!」
レグルス王子の声が聞こえた。
身体が熱い。
頭が痛くて何も考えられない。
俺はずるずると地面にへたり込んだ。
「お嬢様!」
メリーナが慌てて、俺の肩を支えた。
ゆっくり、視界が黒く染っていく。
もしかして、これって熱中症ってやつなんじゃ。
薄れゆく意識の中でそう思った。
そして、そのまま俺は気を失った。