8.ユークレース伯爵夫人のお願い
ユークレース伯爵夫人はさらに続けた。
「メイドに吐かせてあの女の家に行ったのですが、アルファルドはいませんでした。あの女は白を切っていたけどやっぱりあの女仕業だったんです!」
「いや、それはまだメイドの証言しかない……」
「だって、あの女の家は川沿いにあったのよ! アルファルドはあの女から逃げている最中に誤って川に落ちたのか、あるいはあの女がこの子を落としたんでしょう。もしも、あの女が落としたのだとしたら、許せないわ!」
ユークレース伯爵の言葉を遮って夫人は叫んだ。
その顔は憎々しげに歪んでいた。
今にも誰かを殺してしまいそうなそんな殺気すら感じた。
今までの二人の言葉や表情からは嘘を言っているようには見えない。
全てが真実のように思えた。
「……もしかして、レグルスは全てを知っていたんですか?」
俺はレグルスの方を向く。
レグルスは頷いた。
「そうだ。アルファルドがいなくなって直ぐにわたしのもとに連絡が来たからな。あのヴィスヴィエン家のご令嬢から『アルキオーネが川で少年を拾った』と連絡が来たとき、直ぐにアルファルドのことが思い当ったが、夜中に行くのも悪いから朝になるのを待ったんだ」
レグルスの表情は穏やかだった。
まるで大役を終えたかのような顔だと思った。
なるほど。
レグルスが早くアルファルドを連れ帰りたかった理由が分かった。
心配しているアルファルドの両親にアルファルドが無事であることを見せたかったんだ。
「レグルス、ごめんなさい」
「いや、わたしも焦りすぎていた。すまない」
レグルスは頭を下げた。
王子なのに素直に頭を下げることができるレグルスを俺はすごいと思った。
いいことではないとは思うが、その素直さがレグルスのいいところだと思った。
やり方は不器用だけど、やっぱりレグルスはいい奴なんだよな。
謝らなければならない人が他にもいた。
俺は向き直る。
「ユークレース伯爵、伯爵夫人、申し訳ございません。わたくしはとんだ勘違いを……貴人方が彼を傷つけたのではないかと疑っておりました」
そう、俺はユークレース伯爵たちがアルファルドを虐待していたのではないかと疑っていた。
だから、こうしてここに来ることをレグルスに要求したのだった。
ユークレース伯爵の名誉を考えると謝っても許されないことかもしれない。
「いえ、謝ることではありません。私たちがアルファルドを守りきれなかったのは事実ですから」
ユークレース伯爵は首を振った。
「しかし……」
「それに、アルファルドも貴女に懐いているようです。きっと貴女は心の優しい方。アルファルドを心配してくれたんでしょう?」
ユークレース伯爵夫人は柔らかく微笑んだ。
「確かにアルファルド様のことは心配でしたが……」
俺は戸惑いながらアルファルドを見る。
アルファルドは俺のドレスを掴んで、じっと俺を見つめていた。
「もしも……もしも、気にしていただけるのでしたら、図々しいお願いをしてもよろしいでしょうか?」
ユークレース伯爵夫人の真剣な声。
俺ははっとしてそちらを向いた。
「ええ、わたくしにできることであればなんでも仰ってください」
「勿論、正式に貴女のお父様やお母様にお願いをするつもりなのですけど、その前に貴女に聞いていただきたいのです。貴女はアルファルドのことを真剣に心配してくれてますし、アルファルドも貴女を慕っているようですから」
ユークレース伯爵夫人は微笑む。
俺は大きくしっかりと頷いた。
ここから先は長い話だったのでかいつまんで話すと、ユークレース伯爵夫人の図々しいお願いというのは、しばらくの間、オブシディアン家でアルファルドを預かって欲しいというものだった。
今回の一件で、アルファルドにとってユークレース家の中は安全でないことが分かったからだ。
使用人の多くは代々、ユークレース家に仕えてる者、ユークレース家に縁のある貴族のご令嬢やご令息などがほとんどで信頼していたのだが、その中にはユークレース伯爵の妹の境遇に同情的な者もいるということが分かった。
まあ、ずっと仕えてきた者からすればユークレース伯爵の妹は、腐っても「お嬢様」なのだろう。
その「お嬢様」が泣きついてきたとあれば、心が動く人間の一人や二人いてもおかしくない。
では、「アルファルドを安全な場所に……」となったとき、先程の通り、白羽の矢が立ったのが我がオブシディアン家だ。
オブシディアン家であれば、レグルスの馬車を使えばユークレース家からオブシディアン家に移動しても違和感はない。
さらに、ユークレース家と我が家は政治的にも物理的にも近くない。
レグルス王子という一点の繋がり以外はユークレース家もオブシディアン家もあまり縁がないので、アルファルドの居所がユークレース伯爵の妹にバレないのではないかということだった。
俺的にはその一点が強力すぎると思ったのだが、よくよく考えれば貴族というのは繋がっていないようでどこかしらで繋がっているものなのだ。
一見全く関係のない貴族同士が「実は親戚でした」なんてざらにある話だ。
それに、レグルスとアルファルドだってはとこという関係だ。
俺は前世では、いとこはまだしも、はとこなんて会ったことも見たこともないし、名前すら知らない。
五男六男もざらにいるこの世界では、はとこでも名前が分からないなんてよくある話だろう。
まあ、そこまで心配に思うほどのことではないと、俺は考え直した。
いや、唯一の心配な点と言えば、ミラに情報集めを頼んだことくらいだろうか。
まあ、ミラのことだから上手く濁しつつ、相手を見てやってくれているとは思うが、早めに止めておく必要がありそうだ。
勿論、アルファルドを預かる話は王都いる間の話で、社交界のシーズンが終われば、母親はユークレース家の領まで追ってくることはないだろうし、その前にも色々ユークレース家で策は講じておくつもりだとユークレース伯爵夫人が言っていた。
「話は分かりました。母もアルファルド様のことを気に入っておりましたし、父も多忙の身、母の同意があれば何も言わないと思います」
ユークレース伯爵夫人の顔が明るくなる。
「ありがとうございます。それでは、後ほど正式にお話を持っていきますので、御両親にはよろしくお伝えください」
「かしこまりました」
俺はそう言って微笑む。
俺のドレスを誰かが引っ張った。
そんなことをするのは一人しかいない。
アルファルドだ。
「やだ」
「え?」
「おいていくの、やだ」
アルファルドはじっと俺を見つめた。
「えーっと、お家に来ていただいてもわたくしはかまわないんですが……ね? 一旦お母様たちと相談したいんですが……」
俺は言葉に詰まり、ユークレース伯爵の顔を見た。
ユークレース伯爵もユークレース伯爵夫人も驚いたような顔をして、俺たちを見つめていた。
「あなた! アルファルドが家族以外と話すだなんて!」
ユークレース伯爵夫人は興奮したように夫の服を掴んでいた。
だめだ。ユークレース夫妻は頼れない。
俺は困ってレグルスを見た。
レグルスもちょっと驚いているようだ。
「あの……これは?」
「あ、アルファルドは非常に無口でな。家族にも『ああ』とか『うん』くらいしか言わないんだ。因みにわたしは二年ぶりに声を聞いた」
はとこの久しぶりの声に感動してるのか、レグルスは震える声でそう言った。
おい、そこはゲームの設定通りなのかよ。
てか、俺とは割と話していたぞ、コイツ。
「オブシディアン伯爵令嬢」
ユークレース伯爵が俺を呼ぶ。
俺はユークレース伯爵の方を向いた。
お、何だか瞳が潤んでいらっしゃるようだけど、これはどういうことかな。
俺はユークレース伯爵の言葉を待った。
「どうか、息子を、アルファルドをよろしくお願いします」
ユークレース伯爵は深々と頭を下げた。
大人がこんな子どもの伯爵令嬢に頭を下げるだなんて。
俺は驚いて固まった。
そして、そのまま謹んでお受けすることしかできなかった。
こうして、俺はアルファルドのお世話係になったのだった。




