4.記憶喪失って漫画みたいだな
記憶喪失であるのが真実であるにせよ、嘘であるにせよ、コイツに服を着せる必要がある。
俺はそう判断して、記憶喪失の少年を連れて元いた部屋の前に戻った。
部屋の前にはミラたちがいた。
俺は約束通り、ミラに新しい部屋を用意してもらえないかとお願いしてみた。
ミラは二つ返事で快く新しい部屋を用意してくれた。
新しい部屋では、少年は暴れることなく、大人しく俺たちの言うことを聞いてくれた。
しかし、いざ服を着せようとメイドが手伝おうとすると、少年は酷く嫌がった。
仕方なしに、メイドたちは手伝うことを諦めて、少年自身にやらせてみた。
すると、あまり慣れていないのか、少年はなかなか服を着ることができずにいた。
このくらい自分で着てほしいが、見たところアルキオーネよりも小さい子どものようだし、貴族の子どもだから自分で着替えをしたことがないのかもしれない。
嗚呼、やっぱりもうダメだ。
我慢ができない。
「貸してください」
俺は少年からくしゃくしゃになったブラウスをひったくると、しわを伸ばす。
「失礼致します!」
俺はブラウスをきっちりと着せ、ボタンを止める。
嗚呼、しまった。
余計なこととは分かっていたが、長子の性か、じれったくなって俺はついに手を出してしまった。
そうは思うものの俺は手を止めることができなかった。
すると、少年の奴、今度は自分で服を着ることを諦め、俺に全てを委ねてきたのだ。
なんで俺が手伝うのは良くて、メイドはダメなんだよ。
俺はイライラしながら、黙々と少年に服を着せ、髪を整えてやった。
「お嬢様の着替えがぴったりでよかったですね」
メリーナが後ろからそう声を掛けた。
そう。少年の今着ている服は俺の運動用のパンツとブラウスだった。
リゲルの家に行くときは、いつも運動ができるように着替えをする。
だからなのか、メリーナの中では、馬車で移動するときは俺の運動着を持っていくのが習慣になっていたらしい。
リゲルの家に行くわけではないのに、うっかり運動着を持ってきてしまったらしい。
本当にタイミングのいいうっかりだ。
「これでよし。できましたよ」
俺は少年の肩を叩いた。
「まあ、よくお似合い! 可愛らしい!」
ミラは叫んだ。
銀の長髪を一つに束ね、パンツにブラウスを着た少年が振り返る。
ミラの言う通り、少年はお人形のように可愛らしい。
抜けるような白い肌は、冬の空のような青の瞳や儚げな表情と相まって淡雪のようだった。
でも、コイツ、男なんだよな。
なんで女の子じゃないんだよ。
俺はため息を漏らす。
少年はぼんやりとそんな俺を見つめた。
「どうしました?」
俺は少年に問う。
少年は首を横に振った。
何でもないってことなのだろうか。
俺は少年の言いたいことが分からずに首を傾げた。
「さて、服も着終わったところで……お茶でもいかが?」
ミラが手を叩いてそう切り出した。
確かに、少年の身体は少し冷えていたし、俺も一息つきたかったところだ。
俺はミラの提案に賛成した。
***
「で、何から聞いたらいいのかしら? いろいろ聞きたいことがあるのよね」
ティーカップから顔を上げると、ミラはそう言った。
やはり、それか。
噂好きの好奇心旺盛なミラだもの。この展開は予想がついていた。
少年の方を見る。
少年は頭を横に振った。
銀色の髪がさらさらと揺れる。
やはり覚えていることは何もないということらしい。
本人は喋る気がないようで黙って俺を見つめた。
これは、「説明したんだから、お前が言ってくれ」ってことなのか?
「いや、ミラ。それが、何も分からないらしいんです」
俺は少年の言葉を代弁した。
「なんですって?」
ミラは音を立ててティーカップをソーサーに置いた。
勿論、食器の音を立てるというのは、マナー違反だ。
ご令嬢であるミラがそんな粗相をしてしまうだなんて、それほどショックだったのだろう。
「お名前も? 住んでいる場所も? 川にいた理由も?」
「ええ、全部分からないと仰っていました」
俺は少年の顔を見ながら答える。
俺の言葉に少年は小さく何度も頷いていた。
俺に全てを任せずに、少しは喋ってくれるとありがたいんだが。
「そう、そうなの。それって記憶喪失ってことよね?」
「彼の言っていることが本当であればそういうことになりますね」
「手掛かりとか何かないのかしら?」
ミラの言葉にはっとする。
「そういえば……」
俺はポケットを探る。
確かここに入れたはずだ。
青い石のついたネックレスが出てきた。
「これを持っていたんですけど、何か覚えてませんか?」
俺は掌にそれを載せると、少年に見せる。
少年は首を傾げ、考え込んだような仕草をするが、すぐに首を横に振った。
「手掛かりなしってことね」
ミラはため息を吐いた。
「そのようです」
俺も深くため息を吐く。
溺れていても離さなかったものだから何か関係があると思ったのに、どうやら違うようだ。
俺が持っていてもしょうがないので、とりあえずネックレスを少年の首にかけた。
少年はネックレスに目を落とし、それに触れる。
が、やはり覚えはないようですぐに顔を上げた。
「そう、じゃあ、この子……どうしましょう?」
ミラは腕を組み、考え込むように下を向いた。
憲兵たちを頼るという手もあるが、ガランサスでおきた誘拐事件のこともある。忙しい憲兵たちに全てを任せるというのは気が引ける。
それにミラの家に迷惑をかけるわけにもいかない。
俺の中で答えは決まっていた。
しかし、俺一人で決めてしまっていいものでもない。
「何も分からないまま放って置くわけにはいかないし、傷のこともありますから……」
俺は困ったようにメリーナを見上げた。
メリーナは小さくため息を吐く。
「私を窺うように見ていますけど、お嬢様のお気持ちは既に分かっていますよ。お屋敷で保護するつもりなんでしょう?」
「流石はメリーナ、よく分かっていますね」
「それは褒め言葉ですか?」
「ええ、勿論」
俺は微笑む。
「恐れ入ります」
メリーナは呆れながらそう答える。
「では、聡明なメリーナ。彼をウチで預かることはできますか?」
「できなくてもするのがお嬢様です。私は十二分に理解してます」
「では……」
「屋敷の方ならお客様が一人増えるくらい大丈夫でしょう」
メリーナは頷いた。
「決まりました。この子は暫くオブシディアン家が保護します」
俺はミラと少年に向かってそう言った。
「そう、よかったわ。私のほうも情報を集めてみるから」
ミラが情報を集めてくれるなんて心強い。
俺のしでかしたことに直ぐに気づいたミラならすぐに何らかの情報を掴むかもしれない。
「貴女が情報を集めてくれるだなんて心強いわ。ありがとう」
俺は素直に礼を言う。
「そう? では、アルキオーネの期待に応えるために、二、三日中にはきっと有力な情報を手に入れてみせるわ」
ミラは上品そうに口元を隠しながら笑う。
よし。これで今後のことが何となく決まった。
後は少年の意思を聞くだけだ。
俺は改まって少年に向き直る。
少年はぼんやりとした様子で俺を見つめていた。
さっきから全く表情が変わっていない。
何を考えているのだろう。
俺は不思議に思いながら口を開いた。
「わたくしのお家に来ていただいてよろしいでしょうか?」
俺は少年の顔を見つめて問いかける。
こくり。
少年は言葉を発することなく頷く。
これは肯定なのだろうか。
俺は図りかねて黙り込む。
すると、少年は俺のドレスの裾をぐっと掴んだ。
そして、俺のほうをじっと見る。
「おねがい……します」
高く小さな声が呟いた。
「こちらこそ」
少年の言葉に俺はほっとして微笑んだ。




