2.侮れないご令嬢、ミラ
「なるほど。それで皆、ずぶ濡れでうちに来たのね」
ミラは笑いながら頷く。
明るい黄緑色の髪は緩くウェーブがかっており、ミラの顔を柔らかく包んでいた。
「笑いごとではありません。こちらは大変だったんですから」
俺はタオルで髪を拭きながらそう答えた。
ミラの屋敷でお湯を借りたおかげで俺の体はすでに温まっていた。
川は冷たいし、上がってきても水分を吸った服は容赦なく熱を奪うし、春といえど夏ほど気温も高くないし、本当に体が冷えて辛かった。
それに、ミラはあの川に落ちていた子どもの為に医者の手配をして、休む場所まで提供してくれた。
正直感謝しかないのだが、それにしたって笑うのは酷くないか?
「ごめんなさい。他意はないの。こんな季節に川にまで入って人助けなんて貴女らしいと思ったの」
ごめんなさいと口にしながらもミラは悪びれる様子のなく、笑いながらそう言った。
全く悪いと思ってないじゃねえか。
俺はため息を吐きながら、頭を振った。
それにしても、人助けが俺らしいって何だ?
ミラの中では、俺は人助けキャラになっているのか。
ミラの前で人助けなんてした覚えがないのだけど。
「人助けがわたくしらしいんですか?」
俺は素直にミラに聞いた。
レグルス誘拐事件も、ミモザの誘拐事件も、ミラは知らないはずだった。
というか、皆、誘拐され過ぎやしないか。
無防備すぎるだろ。
貴族なんだから、もう少し、周りに気を付けた方がいいと思う。
ミラは何でもお見通しと言わんばかりに、にやりと笑った。
「そうでしょう? ワタシの服が汚れたときに声を掛けてくれたのは貴女だけだったし。それにガランサスで貴女、何かやらかしたんじゃない? 例えば、ジェード家の長男と犯罪者を捕まえたとか……」
ミラは声を低くした。
メリーナたちに聞こえないように配慮してくれているのだろう。
俺はびっくりしてミラに顔を近づけた。
「ガランサスに行ってないのに何で貴女が知ってるんですか?」
「噂好きのご令嬢を舐めないでほしいわ。色んな所から情報が入ってくるのよ。ジェード家の長男と王子と三人でつるんで何かこそこそとしていたのは知っていたけど、まさか誘拐犯を捕まえたのが貴女だなんて……気づいたときはびっくりしたわよ」
いやいや、おかしい。
リゲルは自分の名前を憲兵に名乗っていたが、俺は名前を名乗った覚えはない。
「わたくし、名前は名乗ってないんですけど……」
まさか、アントニスから漏れた?
その可能性はある。
アントニスがどこかのタイミングで憲兵にオブシディアン家のご令嬢の護衛であることを言ったのかもしれない。
オブシディアン家のご令嬢はアルキオーネ一人だけだ。
それだけで俺がやったことがバレる。
嗚呼、お母様たちにバレていないよな。
バレたら泣かれるどころじゃ済まなくなりそうだ。
ミラは自慢げに微笑む。
「だから、気づいたんだって言ったじゃない。ジェード家の長男さんと一緒にいるご令嬢なんて貴女以外いないわ。他は皆、ミモザ嬢の攻撃に耐えられなかったのよ?」
ミモザの攻撃。
そう言えば、レグルスの前で阿婆擦れと罵られ、リゲルがキレたり、まあ、いろいろあったな。
「ねえねえ、アルキオーネはレグルス王子とジェード家の長男、どっちが本命なの? ワタシだけに教えてよ!」
ミラは俺のドレスの袖を引っ張る。
その瞳は好奇心でキラキラと輝いていた。
本命……俺は男だから男に興味ないんだよな。
なんて言えばいいんだ?
素直に興味ないって言うか?
いや、噂好きで好奇心旺盛なミラがそんな言葉で納得するのか?
しないだろう。
普通に考えれば婚約者を取るよな。
でも、「レグルス様に決まっているじゃないですか」って言うと、俺がレグルスのこと大好きみたいでなんか嫌だし、かといって「リゲルです」って言うのは変に波風が立つよな。
実際、リゲルはただの友だちだし。
いや、レグルスも俺にとってはただの友だちなんだよ。
どちらかと言えば俺の本命はアルキオーネ!
もしくはメリーナだ。
スーやミモザを抱きしめたとき思ったんだけど、やっぱり女の子の方が俺は好きなんだ。
ふわふわ華奢な体とか柔らかい匂いとか、仕草も、よく分からない思考回路も、全部ひっくるめて愛おしい。
俺は女じゃなきゃ無理なんだよ。
こんなこと素直に言えるか?
言えるわけがない。
どうすりゃいいんだ。
「大丈夫! 絶対、誰にも言わないから」
ミラがテーブルに乳を載せて迫る。
女であるアルキオーネに乳を寄せる必要性はないので、おそらく無意識でやっているのだろう。
俺は載るほどもない自分の乳に目を落とす。
この巨乳め。
困るようなことを聞きやがって。
その乳揉みしだいてやろうか。
ミラはじっと俺を見つめた。
クソ。仕方ない。
皆が納得できる言葉は一つだけだ。
俺の心に逆らっても周りを納得させることがアルキオーネにとっては大切だ。
「……勿論、わたくしがお慕いしているのはレグルス様です。ですから、皆様に言っていただいて構いません」
俺は自分で言っていることにダメージを受けながら、微笑む。
うう、レグルスは確かにいい奴だよ。
ゲーム上のレグルスと違って素直だし、酷いこと言わないし、気を遣ってくれるし。
でも、レグルスといると俺、死ぬかもしれないんだよ。
上手くいって、死ななくても結婚しなきゃいけないわけだろ。
耐えられない。
もういっそ、男だとカミングアウトしてしまいたい。
でも、できる気がしない。
「そう? ワタシにはレグルス王子のこと、弟か何かにしか見てないように見えたんだけど……まあ、デート事件もあったし、やっぱりレグルス王子が一番なのね」
ミラはうんうんと一人で頷いていた。
デート事件。
レグルスと俺が誘拐されたときの嘘のことだな。
ほとんどの人間はレグルスが誘拐されたことを知らないんだったな。
「分かっていただけてよかったです」
俺は微笑んだ。
実際はよくねえけど、話が終わりそうで本当に良かった。
これ以上突っ込まれて言葉に困るのは避けたい。
ぼろが出そうだ。
「お嬢様」
ちょうどいいタイミングでメイドがミラに駆け寄る。
よっしゃ、これでこれ以上何か言われることはないだろう。
俺は心の中でガッツポーズをとった。
「何か?」
ミラはさっとメイドの方を向いた。
「例の子なんですが……」
「嗚呼、アルキオーネが連れてきた子ね。どうかしたの?」
「目が覚めたので、湯浴みをしてもらおうとしたら、ちょっと様子がおかしくて……」
メイドの言葉に、ミラはこちらをちらりと見る。
「あの子がどうしたんですか?」
俺は立ち上がる。
メイドは躊躇うように下を向く。
あまり口にしたくないようなことなのだろうか。
「いえ、あの……背中にひどい傷が……」
「傷?」
ミラはメイドを睨んだ。
ミラの目線に気づいたメイドは首を振った。
「あ、勿論、オブシディアン伯爵令嬢様が何かをしたとは私どもは思っておりません。古いものが多かったので、おそらく……」
メイドは言葉を濁した。
「虐待?」
俺は呟いた。
メイドは俺の言葉に頷く。
「日常的にそういうことがあったんだと思います。私もそういう傷を見たことがありますが、それに似ていたので」
「なるほど。川にいたのも、もしかしたらそのせいかもしれないわね」
ミラは頷いた。
「それでは、案内してくださらない? わたくしが見つけた子だから、必要があればオブシディアン家で保護しますので」
俺はメイドに向かってそう言った。
メイドはミラの方を見る。
ミラは微笑む。
「そうしてあげて。ワタシも行くわ。どうせ、ワタシとアルキオーネの二人だけのお茶会よ。また今度、ゆっくりやりましょう」
そう言うと、立ち上がった。
「そのときはずぶ濡れで来ないように注意しますね」
「そうね。お願いするわ」
俺の軽口にミラは笑った。




