1.代われるもんなら代わってくれよ
金髪に真紅の瞳。
麗しい少年が完璧なまでに美しい笑顔をつくってこちらを覗いていた。
その写真を見た瞬間、稲妻が走った。
陳腐な表現だと思ったが、それくらい衝撃的だった。
わたくしの中で、「俺」だったときの記憶が蘇る。
そうだ。「俺」は、この写真の中の少年――レグルス王子のせいで死んだのだ。
***
わたくしことアルキオーネ・オブシディアンは、前世では月山昴という男だった。
大学は所謂中堅大学、学部は就職に強そうというイメージから経済学部を選び、サークルはバドミントン、バイトは居酒屋という本当にごく普通の大学生だった。
見た目もごく普通でツーブロックの黒髪。服装だって派手なものより地味な色合いの古着をよく好んで着るようなタイプだった。
そんな俺にも可愛い妹がいた。
地味で普通な俺と違い、性格も良ければ顔も良く、頭も良い自慢の妹だ。
唯一、欠点をあげるなら引きこもりがちで乙女ゲームにハマっていたことくらいだろうか。
所謂、オタク女子というやつで、漫画やゲームが好きなだけなのだから欠点とも言えないくらいの欠点だ。
俺も漫画が好きだったし、共通点があって寧ろ好ましいとさえ思う。
そんな妹の最近のお気に入りは「枳棘~王子様には棘がある~」という乙女ゲームだ。
ストーリーは剣と魔法の世界で二年間、学園生活をして、学園の王子様たちを攻略しつつ、学園で起きる事件を解決するというありがちなもの。
俺も妹と会話がしたいが為に何度かプレイしたことがある。
ヒロインのスピカは正義感が強く、思いやりのある優しい少女で、非常に好感が持てる子だった。
しかし、スピカの相手である攻略対象は「恋愛に向いていないんじゃないか」と思うほど……いや、それ以上、本当に血の通った人間なのかと疑ってしまうほど酷い性格をしていた。
その上、王子様たちは全員、スピカに冷たかった。
ルートに入ると勿論、デレるのだが、嫉妬によってものすごく酷いこと言うキャラや自分のトラウマを押し付けてをかなり傷つけたりするキャラもいて男の俺でもかなり心が痛かった。
妹はその冷たさとデレのギャップが良いと言うのだが、俺には全く良さが理解できなかった。
自分だって彼女と長く続いたことはなかったが、惚れた女を大切に出来ない男なんてクズだと思う。
俺は妹も彼女も泣かせたことはない。
どちらかと言うと、振られたり、理不尽なことをされたり、俺が泣かされることの方が多かった気もする。
え、そんな俺がなんで好きでもない乙女ゲームの話をしているかだって?
俺が死んだ原因は「枳棘~王子様には棘がある~」にあるからだ。
妹が大好きなキャラ、レグルス王子のグッズ販売日、俺は死んだ。
その日は、雪が降っていた。
とても寒く、前日から積もった雪で足元は滑りやすくなっていた。
たくさんのグッズを買うと手が塞がって危ないだろう。
心配だったので、妹の買い物に付き合うことした。
そして、案の定、その心配は的中した。
妹は大好きなキャラのグッズをたくさん購入することができて浮かれていた。
俺が「はしゃぐと危ないぞ」と言った直後、妹は歩道橋の階段から足を滑らせた。
俺は咄嗟に妹の手を引いた。
俺のお陰で妹は階段から落ちずに済んだのだが、勢い余って俺は階段を滑り落ちていった。
頭を何度か強かに打ち付けたせいで目の前が霞む。
僅かな視界の中で、妹が俺の元に駆け寄ってくるのが見えた。
妹は何かを叫んでいるようだ。
嗚呼、「そこは頑張るところじゃないでしょ」って言ってるのか。
俺は笑った。
いいんだよ。お前が無事で良かったんだから。
そう言おうとしたが、唇が凍ったように動かなかった。
その後、すぐ、意識を失った。
それ以降の「俺」の記憶はない。
多分、そのまま死んだんだと思う。
え? レグルスのせいじゃない?
バカヤロウ。レグルスのグッズを買いに行かなきゃ、俺は死ぬことがなかったんだぞ。
それに、大切な妹があの性悪男のせいで危険な目にあったんだ。許せるか?
俺は絶対許せない。
というわけで、俺はレグルス王子をとっても恨んでいた。
そんな恨みたっぷりな俺だが、どうやら「枳棘~王子様には棘がある~」のレグルス王子の婚約者、アルキオーネ・オブシディアンに転生してしまったようなのだ。
つまり、俺はヒロインであるスピカのライバル令嬢ということになる。
なんで、あんないい子と、このクソみたいな王子を取り合わなきゃならないんだ。
俺はこの事実が脳に蘇った瞬間、レグルス王子の写真を床に叩きつけてやりたい気持ちになった。
しかし、アルキオーネの記憶がそれを押し留めた。
アルキオーネは病弱気味でお淑やかな優しい少女だ。
見た目も麗しく、艶やかな長い黒髪をしていて大和撫子という言葉が良く似合う。
自分で言うのも何だが、俺だったら彼女にしたい女ナンバーワンだ。
そのアルキオーネがはしたない真似など出来る訳もなく、静かに写真の冊子を閉じた。
「お父様、勿体なくて身に余るお話ですわ。こんなに病弱なわたくしは、王子には相応しくございません。どうか、お断りくださいませ」
十二歳の子どもが使う言葉とは思えないほど綺麗な言葉が自分の唇から紡がれる。
そうだよ。
最初から断って婚約者にならなければレグルス王子とも顔を合わせず、平穏に過ごせるじゃないか。
女嫌いのレグルス王子だったら、女と結婚するのも嫌なはず。こっちから断っても喜ばれるだけだろう。
俺は自分の思いつきが素晴らしいもののように思えた。
しかし、思惑は物の見事に外れることになる。
「すまない、これは王子殿下直々にいただいたお話なのだ」
アルキオーネの父親であるオブシディアン伯爵は悲しそうな顔をした。
アルキオーネは両親を深く愛していた。
お父様を悲しませてしまったことに対して心が痛む。
その一方で、俺は混乱していた。
王子殿下ということは、レグルス王子のことだよな。
アルキオーネの記憶では、このアルデシン王国にはレグルス王子以外の王子はいないということになっている。
どういうことだ。
女嫌いのレグルス王子が自ら婚約の申し出をするなんて。
「そうでしたの。お父様のお心を苦しめるような娘で申し訳ございません。わたくしの言ったことはお忘れください」
俺は努めて笑顔でそう言った。
あの野郎、俺の妹の心を奪うだけでなく、アルキオーネと結婚だと?
絶対に許さねえ。阻止してやる!
俺は誰にも見えないようにそっと拳を強く強く握った。
しかし、この状況……きちんと作戦を練って行動しないと、ダメだ。
とにかく、両親をなるべく悲しませずに破談にさせねばならないと、俺は決心した。