7.兄心妹知らず
レグルスは扉が閉まったことを確認すると、俺の耳元に顔を近づける。
「大丈夫なのか?」
他の誰にも聞こえないように声を低くしてそう言った。
「何を……仰っているんですか?」
何のことを言われているのかなんとなく分かっていたが、俺は惚けて聞き返す。
「ミモザに何か言われたんだろう? 何か言い返したりしたのか?」
レグルスは大きな声を出す。
やっぱりそれかよ。
ミモザが顔を真っ赤にして泣いて屋敷に戻ってきたのを見ていたのだろう。
そうか。もしかして、それを見てリゲルは慌てて俺を探しに応接間に来たのかもしれない。
だから、汗をかいていたんだ。
何があったかなんてミモザに直接聞けばいいのに。
いや、無視している手前聞けなかったのか。
或いは、泣いてる姿に躊躇して聞けなかったのか。
どちらにしても、やはりリゲルもゲームの設定とは違った性格をしている。
こんなふうにアルキオーネの運命もゲームと違っていればいいのに。
俺は頭の片隅で現実逃避のようにそんなことを考えた。
いやいや、それより、今はどう答えるかが重要だ。
ミモザを傷つけてまであんなことを言ったのは覚悟の上だ。
揉めるかもしれないが、ここは素直に答えるのがいいだろう。
「ええ。レグルス様の予想通りです。阿婆擦れとまた言われました。だから……リゲルには申し訳ございませんが、反撃して差し上げましたわ」
リゲルの方をちらりと見る。
リゲルは複雑そうな顔をした。
無理もない。
大切な妹が友人に喧嘩を吹っ掛けて反撃されたのだ。
大切な妹といえど、非が妹にあるのが明白。
友人はこの国の王子の婚約者であるし、リゲルにも時期侯爵という立場がある。
俺がリゲルでもきっとそんな顔をするだろう。
「あと、差し出がましいとは思ったのですが、その反撃というのが、リゲルが言えなかったであろうことをズバリと言ってしまったのです。なので、わたくしより妹君をフォローした方がよろしいかと思います」
俺はリゲルを見据えた。
「アルキオーネ、何を……言ったんだ?」
リゲルは言葉に詰まりながら分かりきったことを聞く。
「わたくしを阿婆擦れと罵ることはレグルス様の品位を貶めることになり、ジェード家に泥を塗るということになりますよと申し上げました」
「それは……っ!」
言いすぎだと言いたいのだろう。
しかし、リゲルだって分かっているはずだ。
分かっているから言葉に詰まるのだろう。
ミモザは爆弾だ。
一度は庇った俺が言うのもなんだが、レグルスの前でアルキオーネの悪口を堂々と言うということをすでにやらかしている。
レグルスが寛大なので事なきを得ているが、あの調子でいれば、いつかとんでもないことを引き起こしてしまうだろう。
今なら間に合う。
今、言ってやらなければ、取り返しのつかないことになるかもしれない。
ご令嬢であるなら自分の言動に責任を持つべきなのだ。
「そうですね。わたくしが申し上げては角が立つことでした。リゲルが言うべきだったのにわたくしが言ってしまったのは謝ります。申し訳ございません。でも、わたくしはミモザ様には謝りません」
俺はリゲルに宣言してやった。
「いや、俺の方こそ謝らなければ。ごめん。ミモザ――妹に関しては、正直、どうしたらいいのか分からなくて……」
リゲルは困ったような顔をした。
「そうですよね……」
確かに俺も女心がよく分からない類の人間だったので、リゲルの悩みは理解できた。
コロコロと態度が変わるし、思っていることと反対のことを言ったかと思えば、思っていることをずけずけ言ってくるし、何が本音で何が裏があるのか本当に分からない。
どんな行動をとっても『お兄ちゃんは分かってない』と免罪符のように叫ぶし、正直、何をしても正解なんてないんじゃないかと思うくらい、わがままなときすらある。
俺は少し考えて、答える。
「今は、わたくしがきつく言ったので参っていらっしゃるかもしれません。ミモザ様を否定するのではなく、優しくしてはいかがでしょうか? 絶対にわたくしのことをフォローしないでください。あくまで、リゲルはミモザ様の味方であるようにお話しするのです。言いたいことがあればそのときに優しく言い含めてあげてください。きついことを言われた後ですから優しい言葉の方が効くでしょう」
所謂、アメとムチというやつだ。
俺が厳しく言った分、リゲルが優しく言えば多少聞き分けも良くなるだろう。
「なるほど。女であるアルキオーネに言われるとその方がいいような気がしてきたよ。ありがとう」
リゲルは少し考え込むように腕を組んでから、大きく頷く。
俺の意見は女の意見ではないんだが、本人がそう思っているのだ。
要らないことは言わなくてもいいだろう。
「恐れ入ります」
リゲルの言葉に俺は軽く返してから、俺はレグルスの方を向いた。
「……というわけなので、レグルス様が心配するようなことはございません。己に降りかかる火の粉はある程度は自分で払いますから。どうか御心を乱されませんように」
俺はそう言って笑って見せる。
早い話が、自分でできることは自分でするから心配して余計なことすんなよということだ。
ミモザにはレグルスの権威を使って脅しをかけてやったが、実際はそういうものを使う気なんて一切ない。
寧ろ、一刻も早く婚約解消したいくらいなのだ。
それにしても、いつになったら婚約解消できるようになるのだろう。
時々、自分がしなきゃいけないことを見失う俺は果たして婚約解消できるようになるのだろうか。
それにだ。
今のレグルスは嫌いじゃないんだよな。
寧ろ、友としては好ましいくらいだ。
婚約破棄が目標ということはレグルスを傷つけるということだ。
俺にそれができるのだろうか?
俺は心の底で不安になっていた。
「嗚呼、アルキオーネ! 流石はわたしの婚約者だ! アルキオーネは控え目で大人しく、思いやりのある優しい女性だと思っていたが、それだけではなかったんだな。私が誘拐されたときもそうだった。いざというときは勇敢で大胆なところもある魅力的な女性だ!」
レグルスは興奮したように叫ぶ。
おいおい、不安が的中してるじゃないか。
ますます好かれてどうするんだよ。
「……レグルス様は誤解されています。わたくしは普通の令嬢です」
俺はしれっとそう言ってやった。
実際は、「普通の令嬢」でも、レグルスのいう「控え目で大人しい、思いやりのある優しい女性」でも、「勇敢で大胆」なわけでもない。ただの元「自他ともに認めるシスコン兄貴」である。
言わぬが花だな。
「いや、やはり、わたしの目に狂いはなかった。アルキオーネを婚約者に選んだことを誇りに思う」
レグルスはしみじみと言う。
「ありがとうございます。では、ミモザの件はこれでお終いでよろしいですか?」
「嗚呼。アルキオーネがそう言うのならそれで」
よし。
これでミモザが俺に何を言っても不敬で処罰されることはないだろう。
これで大丈夫だ。
今回の件で俺ができることは全てしてやったつもりだ。
あとは出来れば、リゲルが上手く、ミモザを操縦できるようになればいいんだが。
「さて、リゲル。そろそろ、ミモザ様と仲直りしてくださいませ」
「嗚呼、優しく、ミモザの味方であるように話せばいいんだったね」
「そうです。まずはミモザ様のことを心配してることを伝えて、ミモザ様の口からゆっくり事情を聞いてあげてくださいね。わたくしから聞いたなどと言ってはまた喧嘩の種になります。リゲルからはできるだけ、わたくしの名前は出さずにいた方が無難かと思います」
少ない恋愛経験を振り返るに、どの女の子も他の女の子の名前を出すとあからさまに不機嫌になることが多かった気がする。
多分、「目の前の私に集中して!」ってことなんだろう。
妹にも、『デート中は他の女の話はやめた方がいい』と言われていたし、そうなんだろう。
うーん、他人のことならこうもすらすらと対策ができるのに、何故俺は自分のことになると、女心が分からないし、モテなかったのだろう。
やはり他人のときと自分のときでは話が違うんだろうか。
「嗚呼、ありがとう。やってみるよ」
嗚呼、そうだ。忘れてはいけない。
「それと、わたくしのメイドがミモザ様に失礼なことをしたのですが、わたくしのことを庇ってのことなのです。もしもそれに関して、何かあれば、まずはわたくしに言ってくださいませんか?」
俺はリゲルに囁くように言った。
リゲルは頷く。
「メリーナ殿がそこまで怒るということは余程のことを言ったのだろう。重ねてすまない」
「いえ、よろしくお願いします」
そうして、俺とレグルスはリゲルの背中を見送った。




