11.恐ろしいたくらみ
「誘拐するなら今日だわ、テオ」
女性は男性に向かって迫るように言った。
女性は金髪碧眼の美女だった。
アルキオーネにはない柔らかそうな胸のふくらみを強調するようなデザインのドレスを着ていた。
彼女は妖艶に微笑む。
「無理だよ、デネボラ」
テオと呼ばれた男性は困ったような顔をして首を振った。
女性と同じく金髪の碧眼。
くすんだ金の髪が首を振るたびに揺れる。
「あら、あの時と一緒よ? 人がいればいるほど、警備は手薄になる。分かっているでしょう?」
「確かに城の警備は手薄……いやいや、やっぱりダメだよ」
「大丈夫よ! ね?」
デネボラはテオにすり寄るようにして囁く。
おいおい、なんて物騒な話をしているんだ。
冗談だろう。誘拐するとか、しないとか、こんな綺麗な薔薇園で犯罪の話なんかすることじゃないだろう。
俺の背中に冷たいものが走った。
「でも……無理だってば」
「だから、ごろつきを雇ったんでしょう? やることなんて、そのごろつきにレグルスを渡すことだけ。ちょっと一人でいるときを狙って連れ出すだけよ。簡単だわ」
え? 今、レグルスって言わなかったか?
俺は驚いてレグルス王子の方を見た。
レグルス王子は真っ青な顔をして唇を震わせていた。
俺は慌ててレグルス王子の耳を塞ぐ。
が、レグルス王子の表情は凍りついたままだった。
自分の誘拐計画をばっちり聞いちゃったんだよな。
こういうとき、どうしたらいいんだ。
俺は困ったまま、レグルス王子の耳を塞ぎ続けた。
「母上……」
レグルス王子の震える唇から辛うじて漏れ出たのはその一言だった。
俺は女性をじっくりと眺めた。
あの写真のレグルス王子のお母様とは似ても似つかない。
もしかしなくても、この人は、レグルス王子の義理のお母様なんだ。
そう言えば、ご令嬢たちの噂で「レグルス王子に弟ができる」と言っていたな。
まさか、血の繋がった息子ができたことでレグルス王子が邪魔になったとか言うんじゃないだろうな。
いや、あり得る。
前世のときだって、「義母や義父が自分の子どもができたと同時にそれまで可愛がっていたはずの義理の子どもを虐待したり、殺したりする話」がニュースになっていたじゃないか。
その瞬間、記憶が蘇る。
『レグルス王子は信頼していた義理の母親に裏切られて殺されかけるの。だから女性が信じられなくなるのよ』
妹の声が頭の中に響く。
『勿論、実行犯と黒幕である義理の母親はすぐに捕まってしまうわ。レグルス王子は自分の弟になるはずのお腹の子だけは助けて欲しいと懇願するの。でもね、弟ごと義理の母親は処刑されてしまう。それで大切な人はつくらないとレグルス王子は決めるわけ』
まさか、これがレグルス王子がグレた原因なのか。
だとしたら、誘拐どころか、これからレグルス王子の命が狙われるということになる。
もしも、本当にこの世界があのゲームに繋がっているなら、ここで俺たちは死ぬことはないだろう。
でも、このまま、誘拐され、殺されかけて、ゲームの設定通りにことが進めば、レグルス王子は暴君俺様DVクソ野郎になってしまう。
それは避けたい。
だって、俺はコイツにまだ勝ってないんだから。
DVクソ野郎に勝ったって俺は全然嬉しくない。
とにかく、ここを逃げて、せめてレグルス王子の弟の命だけは守らなくては。
俺は決意するとすぐにレグルス王子の耳から手を離した。
そして、今度はレグルス王子の手を掴んだ。
レグルス王子の手は冷え切っていた。
「あ、あれは……母上とその弟だ……」
レグルス王子はそう苦しそうに呟いた。
「レグルス様、早く、護衛のところへ行きましょう」
俺は小さく、レグルス王子に耳打ちした。
急いでここを逃げ出さなければ、レグルス王子は大変な目に遭ってしまう。
「あら?」
デネボラと呼ばれていた女性が何かに気付いたようにこちらを向く。
気付かれた?
まずい。
「ウェントゥス、激しく吹け!」
咄嗟にデネボラの方を振り返りながら、小さな声で呪文を唱える。
激しい風が薔薇の枝を揺らす。
薔薇の花弁が辺りに激しく舞った。
風に舞う花弁はとても綺麗だったが、それを見ている余裕などない。
デネボラとテオは激しい風に腕で顔を隠した。
「レグルス様、この隙に」
俺は慌ててレグルス王子の手を引く。
そして、ならべく音を立てないように走り出す。
目の前に黒い影が現れる。
俺はぶつかりそうになって急に立ち止まった。
「おい!」
黒い影は男だった。
大きな男が威嚇するように声を上げて、立ち塞がる。
なんだこのスライムみたいな腹をした男は。
俺はレグルス王子を庇うようにして、大男とレグルスの間に立つ。
そして、いつでも魔法で応戦できるように頭の中で攻撃に使えそうな魔法はないかと考えながら、男を睨んだ。
嗚呼、ダメだ。
俺の使える魔法はとても弱く、攻撃力もほとんどない。
しかし、怯ませて、隙をつくることくらいはできるかもしれない。
なんとかやってみるしかない。
「あら? やっぱりレグルスじゃない」
背後で妙に色気のあるデネボラの声がした。
振り返ると、背後には金の髪を掻きあげるデネボラと、おどおどと辺りを見回すテオがいた。
前後を挟まれて、俺たちは逃げる方向を失った。
こうなったら、この方法しかない。
俺は息を吸った。
ここで叫べば、すぐに護衛が来るはずだ。
「きゃー!」
信じられないことに俺よりの先にデネボラが叫ぶ。
俺とレグルス王子は茫然としてデネボラを見つめた。
なんで自分の首を絞めるような行動を?
「どうしました?」
すぐにランブロスの大きな声が返ってくる。
俺ははっとして助けを求めようとするが、それよりも大きい声でデネボラが叫ぶ。
「ごめんなさい! 虫がいて驚いてしまっただけなの!」
やられた!
俺の顔から血の気が引いていくのが分かった。
コイツはこれを狙っていたんだ。
「その声は王妃! 大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。本当に小さな虫だったから何の問題もないわ」
にやりと片方の口角を上げ、デネボラは悪そうな笑みを浮かべた。
「そうですか。虫ならよかったです」
ランブロスは安心したように叫ぶ。
「本当に小さなお邪魔虫……」
デネボラは俺を見てそう呟く。
はいはい。
どうせ、俺はお前らからすれば、レグルス王子の誘拐を邪魔する小さな小蠅みたいなもんだよ。
それにしても、今の状況は非常にまずい。
これでは、もう一度叫んだところでどうせ虫だろうと思われるだけに違いない。
ここは自分たちの力で切り抜けなければならないようだ。
もっと実践的な魔法の使い方を勉強しておけばよかったと思うが、今更すぎる。
レグルス王子はと言えば、さっきのショックからまだ立ち直れていない様子だった。
顔色が悪く、カタカタと震えている。
今、レグルス王子を頼ろうというのは酷な話だな。
俺は覚悟を決めた。
「ルークス……!」
「ドルミーレ、ゆっくりおやすみ、おちびさんたち」
俺が魔法を使おうと口を開いた途端、デネボラがそう呟く。
瞼がだんだん重くなっていく。
くそ。これは催眠魔法か……
眠りたくないのに体から力が抜けていく。
抗えない。
寝ている間に俺もレグルス王子も殺されませんように。
俺はそう願いながら、地面に倒れこんだ。