3.話を聞きに
俺はリゲルとミモザから話が聞きたいと思い、ジェード家の屋敷に来ていた。
リゲルとミモザは二人揃って俺を出迎えてくれた。
俺はアントニスに秘密の話があるからと言って部屋の外で待っていてもらうようにお願いをした。
リゲルもそれを見て人払いをする。
部屋には俺とミモザとリゲルの三人だけになった。
「お姉様、ようこそ。久しぶりにゆっくりお話ができそうで嬉しいわ」
ミモザはそう言うと、俺の腕を取り、隣の席を陣取る。
石鹸の香りが鼻を擽る。
今日もミモザはいい匂いがする。
「ミモザは本当にアルキオーネのことが好きだね」
リゲルは俺たちの正面に座って、にこにことしていた。
確かに、最初のころに比べるとミモザの懐きようはかなりのものだ。
正直、こんなに仲良くなるとは思ってもみなかった。
「そうね、お兄様よりお姉様の方といる方が好きかも」
ミモザは頷くと、明るい笑顔を俺に向ける。
俺はミモザの言葉に白目を剥きそうになった。
え、ちょっと待って。
そんなこと言ったら、俺はリゲルに殺されるんじゃ……
俺は恐る恐るリゲルを見る。
リゲルはとてもいい笑顔で俺を見ている。
その笑顔、邪気がなさ過ぎて逆に怖い。
「ミモザ……」
「何? お姉様?」
「あの、リゲルのこと……」
「嗚呼、私、そろそろ兄離れをしようと思ってるの!」
「兄離れ……」
リゲルは呟く。
その表情は微笑んだままだったが、顔色はよろしくない。真っ白な顔をしている。
血の気が引きすぎて今にも倒れそうな色だ。
「そうよ。だって、私もいつかはお嫁に行くでしょう? いつまでもお兄様、お兄様なんて言っていたら笑われてしまうわ」
ミモザはにっこりと笑う。
「何でまた急に?」
俺は思わず、そう尋ねていた。
それを聞いてミモザは大きく首を振った。
「急じゃないわ! この一年、お姉様と過ごしてきて思ったの。私はずっとお兄様に甘えてきたってんだって。だから、少し兄離れをしようと……」
「へえ……」
リゲルは暗く呟く。
そして、リゲルは何故か俺をじっと見つめている。
心なしかその目は鋭い。
何だよ、その目は。
まるで、俺が憎い仇か何かのように見るんじゃない!
「あ、あの、でも、兄離れと言っても、一緒に出掛けたり、お話したりはしますよね?」
「え、ええ。嫌いになったわけじゃないもの」
「あれですよね、婚約者を作るのを邪魔しないとか、そういう意味での兄離れですよね」
「あー、それは……まあ、問題がなければ邪魔はしないわよ」
ミモザはごまかすようにそう言った。
なんだかんだ言って、邪魔をするつもりはまだあるようだ。
よかったな、リゲル。
ミモザはまだ、兄離れしないようだぞ。
俺はニヤニヤとリゲルを見つめた。
リゲルは心底ほっとした顔をしている。
あー、わかるわかる。
まだまだミモザに頼られたいんだよな。
俺はこっそりとテーブルの下でリゲルの脚を蹴ってやった。
リゲルはテーブルの下をちらりと見てから、首を傾げてみせる。
俺は唇を歪め、にっこりと笑った。
そして、声に出さずに「よかったな」と言ってやる。
リゲルは俺の言っていることを理解できたようで笑顔を返してくれた。
「さてと、そういえば、アルキオーネ。俺たちに用があるって言ってたよね?」
リゲルは気分が楽になったところで話題を変えようとしているらしい。
「ええ、今日はリゲルとミモザに聞きたいことがあるんです」
「なになに? 何でも聞いて!」
ミモザは俺の顔にグイッと近づいてくる。
食いつきが良すぎて怖い。
俺は身体を後ろに少し引いてミモザから距離を僅かでもとろうとした。
しかし、ミモザは俺の腕を掴んで逃げられないようにしてくる。
俺は逃げようがなく、結局、顔だけを後ろに少し動かして間合いともいえないような僅かな距離を取る。
「あ、あのですね。お二人ともわたくしの弟について知っているのではないかと……」
「アルキオーネの弟?」
「あ、あの私……」
何も知らないと言うように首を傾げるリゲルと対照的にミモザは明らかに動揺していた。
俺の腕を離して、動揺を隠すように自分の顔を頻りに触っている。
「どうやら、ミモザはご存じのようですね」
俺はじっとミモザを見据えてゆっくりと言う。
ミモザは自分の頬を自分の両手で挟むと、困り顔で俺を見つめた。
メリーナの口止めが利いているのだろう。
言ってもいいかどうか迷っているに違いない。
「ミモザはメリーナに口止めされていたのでしょう? そのことは私も知っていますから」
「あの……私、お姉様に嘘を吐くつもりはなくて……」
「大丈夫です。ミモザも私のことを心配してくれたんでしょう?」
「でも……」
「ごめん。話が分からないから俺にも分かるように言ってもらえないかな?」
リゲルが首を傾げながら、俺とミモザの会話に割り込んでくる。
あれ? リゲルは何処まで何を知っているんだっけ?
「あの、わたくしがユークレース家で取り乱したことは知っていますか?」
「嗚呼、先日のパーティのときの話だね。報告書で読んだけど、確か、犯人の一人を助けようとして取り乱したとかなんとか……でも、その程度のことしか分からないな」
「えーっと、そのときにお母様が言った言葉とかは……?」
「何か君の母上が何か言ったの?」
そう言えばリゲルはユークレース家のあの事件ではユークレース伯爵とプルーラと一緒にいた。
会場の様子の詳細なんて知るはずもないか。
「えーっと、そうなんです。詳しく話すと面倒なので割愛しますが、そこでわたくしはわたくしに弟がいることを知ったのです。ですが、わたくしには弟がいたという記憶がないんです」
リゲルの笑顔が固まる。
「え? 記憶がない?」
「ええ。なので弟のことが知りたくてこうして聞きに伺いました」
俺が頷くと、リゲルは目を見開く。
「そんなことがあるの?」
「あったので困っています」
そうだよな。
俺たちシスコンにとって妹はかけがえのない宝だ。
忘れるなんてことできるはずがない。
弟を忘れてしまったアルキオーネのことが信じられないのも無理はない。
「おそらく何かがあって記憶から消されてしまったのではないかと。人の記憶というものはまっさらに消去なんてできないものでしょう? 何かきっかけをいただければすぐに思い出すことができると思うんです」
俺がそう言うとリゲルはなるほどと頷く。
納得してもらえてよかった。
俺が素で弟のことを忘れるような薄情な人間だと思われなくてよかったとほっと胸を撫で下ろす。
「あの、それを私が言ってしまっていいのかしら?」
ミモザはおずおずと尋ねる。
いつものように歯切れの良い言葉を使わないことに違和感があった。
「お父様もお母様もメリーナも、使用人の誰も教えてくれないんです」
「そうでしょう? そんな重要なことを他人から聞かされるのってちょっと……お姉様の家の人に悪い気がして……」
確かにミモザの言うことは正論だ。
メリーナにも、使用人の皆にもそう言って弟の話をすることを断られたのだ。
しかし、ここで引くわけにはいかない。
俺は真実が知りたいのだ。
「でも、どうしても知りたいんです」
さっきとは逆に俺はミモザに顔を近づけた。
ミモザは目を逸らさずにじっと俺を見つめる。
そして、決意したようにため息を吐いた。
「……私が知っていることはお姉様の弟君が事件に巻き込まれて怪我を負ったこと、それが原因で入院していること、入院した際にお姉様が取り乱して泣いて暴れまわって手の付けられない状態だったことしか知りません。取り乱したという件に関しては、お姉様のお付きの、メリーナさんが言ってましたので詳しくは分かりませんが、弟君が巻き込まれたという事件に関しては図書館に行けば当時の新聞に書いてあるはずです」
ミモザはそう言った。
「あの、ミモザ……?」
「はい、お姉様、何か?」
「何でそんなことまで知っているのですか?」
俺の質問にミモザは「うっ」と声を詰まらせた。
ミモザの瞳がすっと横に泳ぐ。
これはなにかをごまかそうとしている顔だ。
俺は確信した。ミモザは何かを隠している。