17.暗転する世界
パーティーってこんなに走り回るものだっけ。
顎に汗の存在を感じた。
俺は手の甲で無造作にそれを拭う。
絶対、化粧が剥げてる。
今日はメリーナに怒られるんだろうな。
俺はパーティー会場の扉の前に立った。
不自然なくらい静かだった。
俺はうっすらと扉を開ける。
すると、扉の向こう側では悪漢を捩じ伏せているお母様がいた。
俺はびっくりして思い切り扉を開いた。
大きな音が静かなパーティー会場に広がる。
「な、何やっているんですか、お母様!」
「あら、もう粗方やっつけてしまったわよ?」
お母様は首を傾げて微笑む。
しゃがみ込む、会場の客たち。
ねじ伏せられ、倒れているのは数人のならず者風の男たちで、立っているのはお母様とランブロス、エリックとディオンのコンビ、それから数人の兵士だった。
もしかして、これは悪いヤツらは俺とリゲルが話してる間に倒されたってことなのか。
つまり、もう終わったってこと?
安堵感がどっと胸に押し寄せる。
緊張の糸が切れ、しゃがみ込んでしまいたくなる。
でも、皆――レグルスも、アルファルドも、ミモザも、無事なのか確認するまでは安心できない。
俺は力の抜けた脚を軽く叩き、喝を入れた。
俺はゆっくりとパーティー会場の中に入っていく。
俺はレグルスをすぐに見つける。
「レグ……」
そう言いかけたときだった。
視界の中で一人の男が立ち上がった。
細身の男だった。
白い仮面を張り付け、髪は黒い。
まさか、あれは例の男ではないのか。
俺はびっくりして立ち止まった。
男は何かを持っていた。
俺は目を凝らす。
掌に収まるほどの小さいものだった。
数秒だったと思う。
じっと見つめてから漸く、それが何なのか気づく。
銀色の先の細い金属の塊はなだらかな曲線でL字を描く。
細い先のすぐ後ろの下に指を引っ掛ける部分と同じく後ろに筒状の部分が見える。
この国では見たことがないもの。
それでも、前世では漫画や偽物の玩具ならよく見たことがあった。
小型の銃だ。
剣と魔法のファンタジー全開のこの世界にそぐわぬものがなんでここにあるんだよ!
俺は思わず叫びそうになる。
男は構える。
銃口は完全に俺の方を向いていた。
撃鉄が起こされる。
バッと目の前に誰かが立ち塞がった。
銀の長い髪が見えた。
ぞわりと肌が粟立つ。
俺は長い髪の主の腕を引っ張った。
轟音が響く。
俺とアルファルドは床に勢いよく倒れ込んだ。
「アルキオーネ! アルファルド!」
レグルスの声が聞こえた。
「来るなっ!」
俺は叫んだ。
しかし、俺の言葉は遅かった。
男の持つ銃の先は俺たちとは違う方を向いていた。
「レグルス!」
俺が叫んだのか、アルファルドが叫んだのか、それとも二人とも叫んだのか分からない。
それでも確かに、俺はレグルスの名前を叫びたかった。
俺は体を起こす。立ち上がる。地面を蹴る。男目掛けて駆ける。
素早く動いたつもりだったが、全く早くない。
体が重い。思ったように動かない。脚がもたつく。
気持ちだけがどんどん前に行って、俺の体を置き去りにしていく。
もっと早く、なんで動けないんだよ。
男の指が動く。
撃鉄を起こし、引き金が引かれた。
轟音。
そして、何かが倒れ込むような音がした。
俺は漸く男を突き飛ばした。
男は銃を床に落として、倒れ込む。
俺はさっと銃を蹴り飛ばした。
レグルス。
レグルスはどうした。
レグルスは無事なのか。
俺は顔を上げ、レグルスを探す。
「ア、アルキオーネ……」
レグルスの声が聞こえた。
レグルスはお尻を床についていた。
どうやら、倒れ込むような音はレグルスが尻餅をつく音だったらしい。
良かった。
無事だったみたいだ。
じわっと半透明な膜が被さって、視界が悪くなる。
鼻の奥がツンと痛む。
俺は目を擦った。
手の甲や掌がほんのりと濡れた。
「ふっ、ふふふふっ!」
男は俺の下で笑い声を上げた。
頭でもおかしくなったのか。
俺は男を見下ろす。
「そういうことか! 『悪は滅ぼさねばならない』! 滅ぼされるのはわたしだったのか!」
そう言って、男は胸のポケットから小瓶を取り出す。
そして、その中身を飲み干した。
飲み干してすぐに小瓶を落とす。
小瓶は砕けることなく、床に転がった。
あっという間の出来事で、俺はただ一連の動きを見つめているだけだった。
男は胸を押さえて床に倒れ込む。
カランと仮面が外れ、転がった。
そこでやっと何が起きたか、理解した。
毒だ。毒を飲んだんだ。
何とか吐かせないと。
そう思って、しゃがみ込む。
吐かせるときは背中を叩くか、胃を押し上げて吐かせるやり方があったはずだ。
男の体はぎゅっと身を固め、動かない。
胃を押し上げる方法は無理そうだ。
俺は男を横にして背中を叩く。
しかし、男の口からは何も出てこない。
俺は何度も叩く。
「お願いです。吐き出してください」
男は動かない。
気持ちが焦る。
「お願いですっ!」
俺は叫んだ。
「死んではいけません! 死んだら……何も出来なくなるんです! 貴方が大切だったものも全部、守れない、救えない、愛せない! そんなの絶対嫌だっ! 吐き出して! 目を開けて! 息をして! お願いだから、生きて!」
俺は男の背中を何度も何度も叩く。
「アルキオーネ様……やめてください」
「嫌だ! やめない。死なせない。簡単に死んでいいわけない!」
俺は何度も何度も何度も叩く。
「もう……」
「嫌だ。嫌だ! 嫌だ!」
俺は手を休めなかった。
何度も何度も何度も何度も叩く。
「もう死んでます」
誰かがそう言った。
「まだ、何とか、助けられる……大丈夫」
俺はそう言って頭を振った。
叩く手は止まらない。
止めることが出来ない。
止めたら本当に死んでしまったことを認めてしまうことになる。
「アル……」
アルファルドの声がした。
「助けなきゃ……」
「アルキオーネ……」
レグルスの声もする。
「助けなきゃいけないんだ。誰が何と言おうと諦めたくない。諦めたら……」
諦めたら本当に死んでしまう。
嫌だ。目の前で誰かが死ぬのなんて見たくない。
「止めなさい」
お母様の声がした。
「嫌だ。諦めたら、諦めたから……」
「もういいの。助からない」
お母様が俺の両手を掴む。
なんでだよ。
これじゃ、助けられないじゃないか。
「助かる。助けるんだ!」
俺は頭を必死に振った。
離して欲しかった。
離してもらえなければ助けることはできない。
助けなきゃ、いけないのに。
「もう無理なの」
「そんなにすぐに死んだりしないっ!」
そうだ。
俺が死んだときだって、意識は意外と長く残っていた気がする。
吐瀉物で喉が詰まって呼吸ができなくなっているだけかもしれない。
体はまだ温かいし、やってみないと分からないじゃないか。
なのになんで。
お母様は俺を後ろから抱き締めた。
「貴女のせいじゃない。貴女は救おうとしてる。何度も何度も、あのときだって……」
「あのとき?」
手が震える。
呼吸の仕方が分からない。
この先は聞いてはいけないと頭の中で声がする。
嗚呼、きっと、デネボラが言おうとしていたことはこれなんだ。
だから、俺はお母様の言葉も聞きたくないんだ。
胸が痛い。逃げ出したい。
「そう、貴女の弟が落ちたときだって、貴女は手を伸ばしたの……救おうとしたの」
手を伸ばす?
違う。手を伸ばしたのはあの子だ。
俺じゃない。
真っ黒な髪、俺と同じ顔の、笑顔の可愛いあの子。
俺はそれを見ていたんだ。
記憶が混乱する。
『違う! そうじゃない! やめて! そんなことをしたらっ!! ×××!』
あの子の声が聞こえる。
何が本当で、何が妄想なのか分からない。
全部妄想ならいい。
目を開けたら、妹――ハルが「寝坊だよ」って笑うんだ。
この世界は俺の妄想。
そうであって欲しい。
お母様の腕の中で、俺はただ子どものように震えているだけだった。
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