9.形見と前世の亡霊
デネボラが亡くなってから約一か月が経った。
この一ヵ月の間に年が明けた。
いつもなら年が明ければそれなりに祭りのような明るい雰囲気になるのだが、今年は大っぴらに祝うことはないようで静かだった。
今もなお、何となく王都の雰囲気は重い気がする。
俺はこの一ヵ月、社交界の催しにも参加せず、勉強をしたり、ダンスのレッスンをしたり、筋トレをしたり、ランニングをしたり、ぎっちりと詰めこまれた一日のスケジュールをただひたすらこなす日々を送っていた。
この一ヶ月で変わったことはそれだけではない。
お祖父様はリゲルの家ではなく、別の家で剣を教えることになったのだ。
当然のようにリゲルの家に行くことも減った。
勿論、誰かが俺の家を訪れることもあったが、気持ちが沈んで素直に楽しめなくなっている自分がいた。
気持ちが沈む理由は自分でも分かっていた。
デネボラがいない。
ただそれだけなのに、世界の螺子が一本なくなってしまったような違和感があった。
いつかはこの違和感にも慣れて、デネボラがいなくなった世界が普通になっていく。
そう思うと、気分がますます落ち込む。
到底、何かを楽しめるような気分ではないし、社交界の催し物に参加して笑顔でいられる自信もなかった。
本当はレグルスの側にいて支えてやらねばならないはずなのに、情けない話だ。
さて、そんな重い気分で毎日を過ごしている俺だったが、今日はさらに気分が重かった。
俺の家にテオが来ることになっていた。
どうやら俺に用事があるらしい。
俺は葬儀でのテオの姿を思い出していた。
あのときはレグルスのことばかり気遣って、泣き崩れるテオに何も声を掛けることができなかった。
テオは一体、どんな顔をして来るのだろう。
落ち込んだ顔、絶望した顔、良い顔は想像できなかった。
俺はどうやってテオを励ませば良いか考えながらテオを待った。
「こんにちは。お久しぶりです」
俺の心配をよそにテオは明るい表情で応接間の中に入ってきた。
思ったよりも元気そうだが、少し顔色が悪く、元々細かったはずなのに大分痩せたような印象を受けた。
「お久しぶりです。この度はお越しくださりありがとうございます」
「あの、ご丁寧にありがとうございます」
テオははにかむように笑った。
良かった。少しは笑えるらしい。
俺はほっと胸を撫で下ろしてテオを出迎えた。
「申し訳ございません。せっかくお越しくださったのに、父も母も今日は所用がありまして、家にはいなくて……わたくしがその分、精一杯務めさせていただきますので宜しくお願いします」
「いえ、僕が用事があるのはアルキオーネ様だけなので。それでもお気遣いありがとうございます」
挨拶はそこそこに俺たちは向かい合って座った。
メリーナがお茶と菓子を運んでくる。
柔らかな紅茶の香りにほっとする。
「よろしければ召し上がってください。メリーナのお茶はとても美味しいんです」
「確かにとてもいい香りですね」
テオは微笑むと、ティーカップに顔を近づけてそう言った。
「お褒めいただき光栄です」
メリーナは恭しく頭を下げた。
俺とテオはメリーナの淹れた紅茶を楽しむ。
メリーナの淹れてくれるお茶はどんな種類でもほっとする味がする。
勿論、体に馴染んだ味だということもある。
しかし、何処で飲むお茶よりも美味しいのは、きっと丁寧に淹れられたものだからなのだと思う。
「さっそくで申し訳ありませんが、今日はどういったご用件なんですか?」
「嗚呼、そうでした。生前、姉が、自分が死んだらアルキオーネ様に渡して欲しいと言われていたものだがあったので届けに来たんです」
そう言って小さな箱を二つ取り出す。
俺はそれを受け取った。
「まあ、わざわざありがとうございます」
「自分で渡したかったもので、遅くなってすみませんでした」
テオはそう言って頭を下げる。
他の者に頼んで持っていかせることも出来たのにわざわざ持ってきてくれたのか。
自らの手で渡したいと言うところが、デネボラへの好意を物語っているように感じた。
「開けてもよろしいですか?」
「ええ。僕も何を渡したかったのか少し気になっていたので、そうしてくれると嬉しいです」
俺は箱を開けた。
中には赤い石のイヤリングが入っていた。
赤はこの国を象徴する色だ。
この国を、レグルスを頼むと伝えたかったのだろうか。
「イヤリングですか」
「ええ、素敵なイヤリングです」
俺はそれをテオに見えるよう持ち上げてみせた。
「嗚呼、それは以前、姉が使っていたものですね。きっと貴女を本当の娘のように思っていると伝えたかったのかもしれません」
テオはイヤリングを愛しいものでも見るような目つきで見つめる。
グレーがかった青の瞳は悲しい色をしていた。
デネボラの元気だったころを思い出しているに違いない。
「そうですか。デネボラ様が……」
俺とは違う解釈だったが、テオの言っていることも真実のような気がして俺は素直に頷く。
「身体のことがなければもっといろいろ話がしたかったんだと思います」
「そうですね……わたくしもお話をしてみたかったです」
正直、こんなに早く亡くなると思っていなかった。
人は簡単には死なない。そう思っていた。
俺の周りではあまり人が死んだりしなかったから。
でも、分かっていたはずだった。
今日笑い合っていた人が明日死んでしまうかもしれない。
自分だって十九歳で死んだのだ。病気ではなく、突然、死んだ。
誰だって突然死ぬ可能性はある。
分かっていたのに、俺はいつも今に夢中で未来のことを見ていられない。
デネボラとだって、もっと話そうと思えば話せたのに。
本当に短絡的で直情的で見通しの持たない自分が嫌いだ。
「あ、そんな顔をしないでください。そんな顔をさせるために来たわけじゃないんです」
「え?」
俺はどんな顔をしていたのだろう。
きっと酷い顔だったに違いない。
「僕も後悔が多くて……だから、これからは後悔しないようにしようと思っているんです。アルキオーネ様もどうか後悔よりも未来を見てください」
テオは曇った顔のまま笑う。
後悔よりも未来を、か。
難しいこと簡単に言ってくれるよ。
そもそも、俺という存在が過去の亡霊みたいなものなのに……
まあ、言ってることは間違ってないし、おそらく厚意で言ってくれていることなんだろう。
ありがたく受け取っておくか。
「ありがとうございます」
俺は慣れた作業のように微笑みを作る。
「さ、箱はもう一つあるんで開けてしまってください」
テオがもう一つの小箱に目を向けた。
「そうですね」
俺は頷くと、小箱を開いた。
箱の中身は黒い石のついたピアスだった。
ん? イヤリングにピアス?
普通、イヤリングをプレゼントしたら、同じようにイヤリングをもう一つか、被らないように別のアクセサリーを選びそうなもんだ。
ピアスでも同様。ピアスならピアスで揃えるはずだ。
しかも、このピアス、なんとなく男物っぽい。
アルキオーネの耳にピアスホールは空いてないし、渡すものを間違えたとかじゃないよな。
「どうしました?」
テオが訝るように問う。
このピアスは他の者に見せてはいけないような気がした。
「いえ……ありがとうございます」
俺はテオに見られないようにそっと小箱を閉じて微笑んだ。