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8.最愛

 デネボラが死んだ。

 そう聞いたのはそれから数日後だった。


 やはりそのときが来たのかと俺は内心頷いた。

 それと同時にレグルスのことがとても気になった。

 レグルスはどうしているのだろう。


 前世も今世も両親は健在だし、前世でばあちゃんが亡くなったときも俺はあまりにも小さすぎて匂いの記憶しかなかった。

 大切な者を亡くす感覚なんて俺には分からない。

 分からないけど、俺に何かできないのだろうか。

 いや、できることなんてない。

 今、俺が行ったところで、レグルスは自分を偽って泣けなくなるだけだ。

 ならば、いっそ側にいない方がレグルスのためだろう。


 でも、本当にそうなのか。

 もしも、俺が側にいることをレグルスが望むなら、側にいてやることもありかもしれない。


 葬儀のことはよく分からないが、俺はレグルスの婚約者ということでデネボラの埋葬に参加することになっている。

 そのときはレグルスの様子を見てから考えよう。

 俺ができることなんてそれしかない。


 デネボラはレグルスを頼れと言っていた。

 でも、やっぱり俺にはそれが出来そうもない。

 レグルスは俺の弟のような存在なのだから。

 俺がレグルスを守ってやらなきゃ。


 ***


 俺はデネボラの葬式に参列した。

 本来、葬式は一週間かかるらしいが、俺が参加したのは埋葬の日の儀式のみだった。


 その日に執り行われる儀式のほとんどが終わり、いよいよ埋葬となるときだった。

 お別れのために棺桶が開かれる。

 デネボラの顔は安らかな顔をしていた。

 化粧をしているのか、デネボラの肌は白く、頬は紅色だった。

 最初に会ったときのデネボラの顔に近い顔をしていると思った。


 俺はレグルスの横顔を見つめた。

 レグルスは真っ直ぐと前を見ていた。

 その目には涙はない。

 気丈な振舞いだが、レグルスの本心はどうなのだろう。

 側に行って肩を抱いてやりたい気持ちになる。

 しかし、側に行くことが何となく憚れた。


 王と王子が厳かにデネボラを見つめている一方で、涙を隠せず泣き通している男がいた。

 テオだ。


 握ったハンカチで拭うことさえ忘れ、テオは泣いている。

 テオは遠くからデネボラを見つめていた。

 弟とはいえ、爵位もないテオは近くに寄って縋ることすら出来ないようだ。

 こんなときまで建前だとか色々なものを考えねばならない世界であるということを見せつけられているようで、俺は少し気分が悪くなった。


 棺桶が閉じられ、デネボラは埋葬された。


 啜り泣く声が聞こえた。

 段々と自分が世界から切り離されていくような不思議な感覚がした。

 妙に気分がふわふわとして、音が遠く聞こえる。

 ぼんやりと、現実感のない世界で、レグルスとテオだけがとても際立って見える。


 聖職者が祈りを捧げ、最後の儀式に取り掛かる。


 俺は目を瞑った。

 どうか、安らかに眠ってください。

 そして、来世ではどうか幸せに。

 陳腐で使い古されたような表現だが、俺は真剣に祈りを捧げた。


 儀式は滞りなく終わった。

 終わってしまった。

 もう、デネボラはいない。

 当たり前のことだけど、心に穴が空いたような喪失感が胸に広がる。


 多くの参列者が移動する中、俺は墓石をぼんやりと見ていた。

 同じように、レグルスも立ち尽くしていた。

 参列者を見送ったり、何かとすることがありそうなものだが、もうレグルスにはそんな元気が残されていないようだった。

 じっと身を硬くして、涙を流していた。


 ふと、テオが冷たい石の前によろよろと近寄るのが見えた。

 そして、崩れ落ちるように膝をつき、地面に頭を擦り付けるようにして泣く。

 漸く、縋ることができたのか。


 俺はなんとも言えない気持ちでテオを見つめた。


「アルキオーネ」

 レグルスの声がした。

 俺はハッとしてレグルスの方を向く。

 レグルスの瞼は腫れていた。


「レグルス様」

 俺はそれ以上何も言えなかった。


 レグルスも何も言わない。

 ただ、ゆっくりと近づき、俺を抱き締めた。

 ぽたぽたと雫の垂れるような音が耳元でする。

 泣いているのだろう。


 俺の前では泣けなくなると思っていたが、そうではなかったようだ。

 嗚呼、もっと早く側にいてやれば良かった。

 側にいるだけで良かったのだと今更思う。

 俺は選択を間違えた。


 俺は艶やかな金の髪を撫でた。

 優しく、子どもをあやすように何度も撫でる。

 結婚前の男女が人前で抱き合って髪を撫でるなんてはしたない行為なのかもしれない。

 でも、俺たちの行動を咎める者は誰もいなかった。


「アルキオーネ、ごめん」

 レグルスは震える唇でそんなことを呟いた。


 コイツは馬鹿だ。

 謝ることなんて何もないのに。


 謝るのは俺の方だ。

 側にいてやらなくてごめん。

 そう言いたかったが、何だか傲慢な言葉のような気がして俺は口を噤んだ。


「いえ……」

 代わりに俺はもう一度、髪を撫でた。


「もっと出来ることがあったんじゃないかと思うんだ」

「ええ」

「わたしは逃げていた。母上を許すことが怖かった」

「ええ」

「最初は憎かった。でも、次第に憎しみよりも恐怖が湧いてきたんだ。許したら、母上に捨てられてしまう気がして怖かった。だから、許せなかった」

「それは、デネボラ様が罪の意識でレグルス様に良くしてきたと思っているからですね」

「そう。あのことがなければ、母上はわたしのことなんてきっと何とも思ってなかったんだと思う。だから、無意識に母上を憎まなきゃいけないと思い込んでいた。アルキオーネに話をしろと言われて、二人で話して漸く分かったんだ」

「そうですか」

「もっと早く話していればよかったんだ。そうすれば、母上はこんなに早く死なずに済んだのかもしれない」


 俺はレグルスを軽く突き放した。

 驚いたような顔でレグルスは俺を見ている。


「馬鹿なことを言わないでください。ご自分を責めるのはお門違いです。許すことがもっと早くできていれば確かにデネボラ様ともっと寄り添うことが出来たのかもしれません。そこは正しい。でも、寄り添うだけでは死を遅くすることなんてできません。死なんて誰にもコントロールできないんです。そんな思われたら、デネボラ様が辛くなるじゃないですか!」


 もしも、妹が自分のせいで俺が死んだのだと自分を責めていたら。

 そんなことが不意に頭を過る。

 耐えられない。

 俺は自分がそうしたいからそれを選んだのに。


 レグルスの言葉は俺を責めているようで、胸がヒリヒリと痛む。


 俺とデネボラの立場も死に方も全く違うのは分かっている。

 でも、死んだ側からすれば、愛する人からそんなことを思われるのはつらい。

 そんなこと聞きたくなかった。


「ごめん」


 俺は首を振った。

「いえ。こちらこそ突き飛ばしたりしてすみません」

 そして、謝ってから、小さく息を吸った。

 レグルスに伝えなきゃならないことがある。


「レグルス様、聞いてください」

「何か……」

 レグルスは怯えるような目をしていた。


「いいですか? 始まりはどうであれ、デネボラ様は間違いなく、レグルス様が大切だったのだと思います。誘拐事件のときだって、デネボラ様はレグルス様を傷をつけないようにしていたように感じました。だから、わたくしは黒幕が別にいると思ったのです」

 俺はできるだけ優しい声色を作る。


 レグルスはハッとしたような顔をして俺を見た。

「まさか……いや、そんなこと……」


「本当です。人が通るかもしれない薔薇園でベラベラ話したり、わざわざ眠らせて捕まえてみたり、おかしいことばかりだったでしょう? 貴方を傷つけたくないからデネボラ様はそんなことしたんだと思います」

「そんな……」


 そんなわけないと言いたいのだろう。

 確かに、傷つけたくなかったのなら、誘拐に手を貸さなければ良かった話だ。

 でも、デネボラは誘拐を選んだ。

 どうせバレるのなら断罪されてレグルスに恨まれたかったのかもしれない。

 許されるより、憎まれる方がお互いに苦しくないと思ったのかもしれない。

 デネボラが死んでしまって、全ては憶測になった。

 確認することは出来ない。


 でも、俺は、少なからずレグルスのことを考えたからあの選択をしたのだと思っている。

 それが、結果的にレグルスの人生や性格を歪めてしまうような間違いだったとしても。


「ねえ、レグルス様。大切に思っている人が、何の罪もないのに自分を責めていたら辛くなってしまいませんか?」


 レグルスは下を向く。


「ご自分を責めるのはおやめ下さい。わたくしがデネボラ様だったら、自分が死んだあともレグルス様には幸せでいてほしいと思います」


 かつて死んだ人間だからこそ胸を張って言える。

 自分が幸せに出来なかった分、いや、それ以上幸せになってほしい。


 レグルスは顔を歪めた。

 涙を堪えているのだとすぐに分かる。


「勿論、今は笑えなくてもいいんです。いっぱい泣いて、悼んで、いつか笑って欲しい。」


 自分の為に泣いてくれるのは嬉しい。

 でも、それが終わったら笑っていて欲しいんだ。


 妹も、レグルスも、泣いてる顔より笑ってる顔の方が数倍好きだ。


「ありがとう」

 レグルスはぽろぽろと涙を流して微笑む。

 無理矢理作った笑顔はいつもの綺麗な笑顔ではなかったけど、俺は嫌いじゃなかった。


「どういたしまして」

 俺はそう言って、レグルスを抱き締めた。

 男なんて抱き締める趣味はないが、そうすることが自然なことのように思えた。

 レグルスは俺の体に腕を回した。


 初めて、俺からレグルスにちゃんと触れたような気がした。

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