表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
109/126

7.王妃の心配

 一頻り泣いてから俺はハンカチで涙を拭った。

 他人(レグルス)のことで泣くならまだしも、妹を思い出して泣くとか恰好悪すぎだろ。

 俺は自分のために流した涙を恥ずかしく思った。

 やっぱり、俺はゲームや漫画のヒーローのようにはなれないらしい。


「アルキオーネ、何かあったの? 王妃様は無事だって聞いたんだけど……」

 リゲルが不安そうな顔をして尋ねる。


 ほらな、俺が泣くからコイツまで俺のことを心配しやがる。

 本当に心配されなきゃならないのはデネボラやレグルスの方なのに。


「いえ、わたくしは何ともありません。ただ、レグルス様のお気持ちを考えると辛くて……」

 俺は咄嗟に嘘を吐いた。

 つまらない嘘だ。「最低だ。見栄っ張りだな」なんて心の中の自分が嘲笑う。

 本当に俺はつまらない男だ。


「そう。レグルスは?」

「今、お二人でお話をされています」


「どうする? もう帰る? それとも、レグルスと少し話す?」

 リゲルの瞳の中には不安だとか心配だとかそういうものが映っていた。

 この目は俺を庇護しなければならないと思っている目だ。

 その気遣いは逆に辛い。

 俺はそれに値する人間はないし、そもそも守られるほど弱くもない。


「あの、デネボラ様ともう少しわたくしも話したいので、ここで待ちます」

 俺は首を振った。


 あまり無理はさせたくないが、デネボラの希望だ。

 勿論、無理そうなら話を切り上げる必要はあるだろうが、出来るだけ希望を叶えてやりたかった。


 俺とリゲルは兵に守られた扉の前でじっとレグルスが出てくるのを待った。


 俺もリゲルも話しかけることはなかった。

 リゲルが黙ってくれたことはとてもありがたいことだった。

 俺は自分への嫌悪感で何も話したくなかったから。


 ***


 しばらく経って、扉が開いた。

 レグルスの目は赤く、泣き腫らしたあとがあったが、表情はいつものように明るかった。


 俺はほっとして思わず顔が緩んだ。


「恥ずかしいところを見せて済まなかったな」

 レグルスは開口一番に俺に向かって微笑む。

 表情を見る限り、強がりでもなさそうだ。


「いえ、そんなことはございません」

 俺は首を横に振る。


 元々、レグルスに対して悪い感情しかなかった。

 今だってすごいと思うことはあっても、レグルスに期待などなかった。

 期待もクソもないわけだから、俺の前では何も装わなくてもいいのに。


 まあ、王子としての振る舞いをいつも期待されているレグルスにとってはあのような取り乱し方はよほど恥ずかしいことなのだろう。

 可愛い女の子の前じゃ、レグルスも格好つけたがりの男というわけか。


「母上のところへ行ってくれ」

「ええ」


 俺は頷くと、扉に手を掛けた。


「あの……アルキオーネ?」


「はい?」

 俺は振り返る。


「ありがとう」

 レグルスは顔を耳まで赤く染めてそう言った。

 ホント、コイツが女だったら良かったのにな。


 俺は微笑む。

「お礼なんて必要ありませんわ」


 そうだ。お礼なんて要らない。

 俺は何もしていない。何もできていない。

 そんなことを言われたって無力感を感じるだけだ。


 俺は扉に向き直り、ドアノブに力を込めた。

 重苦しい音をさせて扉が開く。

 俺は部屋に入ると、デネボラのベッドの横にある椅子に座った。


 もう驚きも何も感じない。

 俺はじっとデネボラを見つめた。


「お疲れではございませんか?」

「大丈夫よ」

「それはよかったです。どうぞ無理をなさらずに……」


「それは無理ね。無理をしてでも話さないと」

 デネボラは笑う。


「え?」

「レグルスにはああ言ったけど、もう先は長くないみたいだから」

「う、そ……嘘ですよね?」

「嘘なら良かったわよね。ホントなのよ、困っちゃう」

 デネボラはため息を吐いた。


 デネボラが死ぬ? 本当に?


「あの……わたくし、わたくしは……」

 分かっていたことなのに本人の口からあっけらかんと言われると、どうしていいのか分からなくなる。


「その前に貴女たちには言わなきゃいけないことがあるの」

 俺の言葉を切るようにデネボラは言う。


「な、なにを?」

 怖い。

 何を言われるのだろう。

 俺はデネボラの言葉を待った。


 デネボラは意を決したように息を吸う。

「貴女たちはこれから受け入れがたい過去と向かい合わなきゃいけないかもしれない。でも、そのときは他人を頼ってもいいの」


「え?」

「誰かを頼ることは悪ではないの。だから、一人では抱えてはダメ。一人で抱えては私のようになるわ」


「何が……わたくしの何が分かるんですか?」

 俺は喘ぐように呟いた。

 この人に分かるはずがない。

 俺のことなんて何も分かるはずがないのに、何でそんなことを言うのだ。


「未来が分かる人なんて誰もいないわ」

 デネボラは煙に巻くようなことを言う。


「じゃあ!」

「でも、過去を知ることはできる。過去を知れば、未来を予想することだって多少はできるわ」

「つまり、デネボラ様はわたくしの過去を知っているというのですね。そこから未来を予測していると……」

「そう思ってもらっても構わないわ」


 デネボラは俺の前世を知っているということなのだろうか。

 いや、前世なんてもの俺は誰にも話したことはない。

 じゃあ、デネボラは何を知っているのだろう。

 背中に悪寒が走った。


「わたくしが何を忘れているというのですか?」

「それは……」


「デネボラ!」


 いいところで誰だよ。

 俺は苛立って声をする方を向く。

 それはテオだった。


 テオは大股でこちらに向かってくる。

 外からリゲルや兵、レグルスの制止する声がした。


「デネボラ、ごめん。知らせが来たのが遅くて来れなくて……」

 テオはそう言いながらベッドの横で跪く。


「テオ。今はお話し中よ」

「でも、僕は弟なんだ。側にいる権利は僕にもある」

「本当にわがままね。お願いだから、出ていって」

 そう言ってデネボラは無理矢理体を起こして、テオをぐっと押しやる。


「あの、わたくし、大丈夫です」

「ダメよ、話を……」

「わたくし、ちゃんと話しますから。何かあったら皆と話します。だから、今は大切な人との時間を大切にしてください」

 俺は立ち上がる。


 正直怖かった。

 デネボラは俺の知らない俺の何かを知っている。

 それを知ったら自分が変わってしまうんじゃないか。

 そう思うと少し怖い。


 アルキオーネが、(すばる)の記憶を思い出したとき、アルキオーネの心はまるでどこかに行ってしまったように真っ新になってしまった。

 残っているのは記憶と、アルキオーネだったときの感情の残滓のみだ。

 もしも、俺が忘れているという何かを思い出したらどうなってしまうんだろう。


 デネボラは何かを考えるように黙り込む。

 そして、ゆっくりと口を開いた。

「そう。貴女は私と違う。しなくてもいい心配をしたわね」


「いえ、ご心配ありがとうございます」

「もしも、何かあったらレグルスを頼ってあげて」


「ええ」

 俺は頷いた。

 でも、きっと俺は誰かを頼ることなんてできないんだろうな。

 自分の性格ぐらい分かっている。


「それでは、失礼いたします」


「待って」

「何か……」

「そう言えば、お見舞いの贈り物をいただいたのお礼を言えていなかったわね。ありがとう。とても気に入ったわ」


 俺はデネボラに贈った水中花のことを思い出していた。

 前世で見たことがあるハーバリウムとかいうのに良く似たもので、三角フラスコを細くしたような瓶の中に赤い薔薇やカスミソウの造花とオイルの入ったものだった。

 デネボラは薔薇が好きだったと聞いていたのでちょうどいいと思って贈ったものだった。

 気に入ってくれたのか。

 お世辞でも嬉しかった。


「いえ、恐れ入ります。気に入っていただけたなら嬉しいです。それでは」

「また、会えるといいわね」

 デネボラはそう言った。

 きっとまたなんてないのだろう。

 それでも、デネボラはそう言わずにはいられなかったのだと思う。


 俺はまたなんて言えなかった。

 その言葉はとても希望に満ちていて残酷だと思ったからだ。


「ええ、ありがとうございました」

 俺は頷く。


 デネボラが俺のことを心配してくれているということだけで充分だった。

 俺は自分のことくらい自分でなんとかできる。

 このときはそう思っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ