5.格の違いってやつをみせてやりました
レグルスたちがいるはずのダンスホールに戻ってきたのだが、肝心のレグルスたちがいない。
「あ、お姉様、ミラ!」
ミモザは俺たちを見つけると慌てたように駆け寄ってくる。
「あれ? レグルス様とリゲルはどうしたんですか?」
「ここでは詳しいことは言えないけど、大変なことになってるみたい。お姉様には王宮に来てほしいってレグルス様は言っていたわ。ええっと、お兄様も行ってしまったから、お家の方に話して……」
ミモザは辺りを見回しながら言った。
急に王宮に呼び出されるなんて、一体何があったのだろう。
嫌な予感しかしない。
嫌な予感?
そのときだった。ぞわっと背中が粟立つ。
俺は顔を上げた。
「どうしたの?」
「いえ、今、なんか嫌な感じがして……」
ガシャーン。ガラスが割れるような音がした。
その場にいる人間の視線が一斉にそちらに向かう。
「きゃあ!」
「ちょっと!」
「いや!」
「なんだ」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
誰かが謝る声がした。
どこかで聞いたことがある声だ。
脳裏に、大きな瞳に涙を浮かべ、真っ青な顔をしている少女の顔が浮かぶ。
「あの声。アラゴナイト男爵令嬢?」
ミモザが呟く。
そうだ。この声は俺にトマトジュースをぶちまけたご令嬢の声だ。
何だかすごくわざとらしい声だ。
はっとしてから俺は咄嗟に身構えた。
こういうのマジックの番組で見たことあるぞ。
大きな音とか派手なパフォーマンスをして、その間にタネが仕込まれ、別のところから本命が現れるってやつ。
ミスディレクションっていうんだよな。
この状況は、あれに似てないか?
俺は辺りを見回した。
案の定、ピンクの綿菓子のような髪のご令嬢が目の端に見えた。
俺はじっとそちらを見つめた。
向こうも視線に気づいたらしく。
優雅に微笑む。手にはシャンパングラス。
あ、もう分かったぞ。
こいつ、俺にシャンパングラスの中身をかけようとしていたな。
全く、やることが幼稚すぎるよ。
俺はため息を吐きそうになるのをぐっと堪えた。
「ちっ……あら、オブシディアン伯爵令嬢じゃない。ご挨拶をしようと思っていたところだったのよ!」
微かに舌打ちする音が聞こえた。
そのあとに続いたのは、砂糖菓子のように甘ったるくて含みのある声。
胸やけが起きそうだ。
「アダーラ……様、ごきげんよう」
様を付けたくなかったが、俺の中にある理性が様付をしておけと囁く。
どんな些細な隙も見せてはいけない。
性悪女のことだ。隙があれば攻撃してくるはずだ。
「あら、お名前を覚えていてくださったのね。一度しかお会いしてないのに嬉しいわ」
以前会ったときより丁寧で落ち着いた口調だ。
油断させるつもりなのが見え見えだ。
俺はほんの少し片足を引き、重心を前にした。
これでいつでも逃げることができる。
「何の用よ?」
ミモザが挑発的な声を上げた。
そして、俺とアダーラの間に入り込むと、アダーラに向かってずいっと顔を近づけ、鋭い瞳でアダーラを睨みつけた。
俺は咄嗟にミモザの手を掴んだ。
「待って、ミモザ……大丈夫ですから」
そして、小さく囁く。
ミモザは納得いかないような顔を俺に向ける。
「でも……」
「大丈夫です」
ミモザは俺の言葉にため息を吐いてから、アダーラに向かって舌打ちをする。
そして、ほんの少し後ろに下がった。
俺はほっとしてため息を吐く。
良かった。
相手は初めに「挨拶しようと思っていた」と布石を打って、敵意はないんですアピールをしていた。
そんな敵意のない相手をミモザは睨みつけたのだ。
傍から見たら、挨拶に来たご令嬢をミモザが虐めているようにしか見えない。
ミモザが悪者扱いを受けてしまう。
まだ相手は何もしていない。何も起きていないのだ。
ミモザがそこまで体を張る必要はない。
矢面に立つのは俺で充分だ。
「あら、従順な番犬さんね」
挑発するようにアダーラは笑う。
「わたくしの友人を揶揄するようなお言葉は慎んでいただけますか?」
俺は苛立ちを隠せずに冷ややかな声色で言う。
挑発に乗ってしまうとは、我ながら単純な性格である。
俺は自分に舌打ちをしてやりたくなった。
「冗談よ。兄妹で未来の王と王妃の護衛なんて素敵じゃない。本心じゃないに決まってるでしょ?」
「はあ? 私は貴女と冗談を言い合うような仲になったつもりはないわ」
ミモザの瞳は怒りの色に染まっている。
頼むからそれ以上怒らないように堪えてくれ。
俺は祈るようにミモザの横顔を見つめる。
「あの、アダーラ様? これからアルキオーネ、様は予定があるんです。ご挨拶はこのくらいにしていただいてもいいですか?」
今まで黙っていたミラが口を開いた。
「あら、貴女は?」
「申し遅れました。ミラ・ヴィスヴィエンと申します」
「嗚呼、噂の……」
アダーラはミラの胸をじっと見つめてから鼻で笑うようにそう言った。
おい、どんな噂か知らねえが、ミラのおっぱいは笑われるようなおっぱいじゃねえぞ。
きちんと触ったことはないけど、柔らかくて重量感があって最高のおっぱいなんだぞ。
お前のおっぱいだって笑ってやるぞ、こら。
俺はアルキオーネと同じくらいのサイズのアダーラのおっぱいを睨んでやった。
「あら、私の噂をご存知でしたか、嬉しいです。あ、でも、噂では私、Hカップってことになっているんですけど、本当はJカップなんです。最近成長しちゃって……困っちゃいますよ」
ミラは無邪気に笑う。
笑った拍子におっぱいがたゆんと揺れた。
Jカップ? A、B、C……
何と言う暴力的なおっぱいのサイズ。
俺よりも八つもカップ数が上だ。
アダーラは一瞬自分のおっぱいに手をやってから、首を振った。
「そ、そうなのね。羨ましいわあ」
どうやら、アダーラもショックを受けているらしい。
ほんの少し顔が蒼く、身体が震えている。
女の魅力はおっぱいで決まるわけではない。
しかし、アダーラはコンプレックスに感じているようだ。
もう一度、確認するように自分の胸に目を落としていた。
「すごっ、今度ちょっと触らせてもらおう……」
ミモザはこっそりと呟く。
ずるい。俺も触りたい。
まあ、俺から積極的に触ることはないのだろうけど。
ミラは満足げに微笑んで、俺の肩に手をやる。
「そういうわけですから、アルキオーネ様は私たちと行くところがありますので」
ミラそう言うと、俺の肩を掴むと、俺ごとくるりと回ってみせた。
「私も失礼」
ミモザもそう言って、俺たちに続いて踵を返す。
終わった。
なんだかよく分からないけど、これでアダーラから離れられる。
俺は安堵してミラたちと一緒に歩き出した。
「待って!」
アダーラが叫ぶ。
振り返ると、アダーラが俺の方に手を伸ばしているのが見えた。
シャンパングラスが傾き、俺の方を向く。
落ち着いた金色の液体がグラスから空中に弧を描いて飛びだしていく。
かけられる!
俺はさっとミラの体を横に押しながら、ドレスの裾を翻し、ターンをした。
ミラがよろける。俺は咄嗟にミラの体を支えた。
俺がいなくなった空間めがけて、液体とアダーラの体が投げ出される。
そして、アダーラは床に突っ伏した。
「きゃ!」
「あら、ま」
ミモザは手で口を隠しながら呟く。
ほんの少し、意地悪な笑みがそこに込められていることに俺はすぐに気づいた。
下を見ると、すすっとミモザが足を引っ込めるのが見えた。
ミモザの奴、アダーラの足を引っかけたらしい。
お前は本物の悪役令嬢だな。
更生したと思ったのに、こんなところで本領発揮すんなよ。
俺は頭を抱えた。
「いったあい!」
アダーラは体を起こす。
「あら、アダーラ様、大丈夫ですか? 何もないところで転ぶだなんて、ドレスの裾でも踏んでしまったのですか?」
ミモザはわざと大きな声を出す。
周囲の視線がこちらに向く。
「大変! ドレスも濡れているし、風邪を引いてしまうかも。誰か、早く、アダーラ様を!」
さも心配しているかのようにミモザはアダーラに駆け寄った。
「え、あ、あの……」
アダーラは真っ赤な顔をして何も言えなくなっていた。
意外とアドリブに弱いらしい。
悪女風淑女のデネボラや、ブラコン系元悪役令嬢のミモザとは大違いだ。
アダーラとミモザの周りにあっという間に人だかりができる。
「アルキオーネ、今のうちに」
ミラは俺にこっそりと耳打ちをした。
「ええ」
俺はこうしてパーティ会場を抜け出した。