2.テオとデネボラ
「お久しぶりにお目にかかります、テオ様。仰る通り、アルキオーネ・オブシディアンでございます」
俺は粗相のないように丁寧なあいさつを心懸けた。
「お久しぶりです。あ、そんなに改まってこう、丁寧に挨拶とかしないでください」
テオは断るように慌てて手を振った。
いやいや、貴方、王妃の弟でしょ。
そんなぞんざいになんて扱えるわけがないでしょう。
俺みたいな小娘に何で気を使ってくれるんだ。
「いえ、未来のお義母様の弟様でしょう? 丁寧に扱わないなんてできません」
「それはそうなんですけど、弟と言っても血が繋がっていませんし、僕には爵位もないので……」
テオは困ったような顔をした。
ん? 今、何かすごいこと言って来なかったか、この人?
確か、血が繋がっていないって。
「血が繋がってない? デネボラ様と?」
「そうです」
テオはおどおどと頷く。
おいおい、待てよ。
俺も思わず聞いてしまったが、聞いても大丈夫な話なのか?
レグルスの事件のとき、あの薔薇園にいたのも姉弟だと思ったからスルーしていたが、血が繋がっていないとなると、急に話は怪しくなる。
まさか、不義密通とか、そう言う話になって来ないよな?
「あの、それ、わたくしが聞いても大丈夫な話ですか?」
「あ、嗚呼! まずい話だった、かも? いや、大丈夫? いや、えーっと……」
テオは頭を左右に振って狼狽えだす。
「あ、もしもまずい話なら、わたくしとこの従者の心の中にそっと留めておくだけにしますんで話していただかなくても大丈夫ですから」
俺も慌ててテオを制止しようとした。
しかし、テオは話を続けた。
「いや、僕は母の連れ子なだけで、髪も姉とお揃いにしたくて脱色しているだけで、あの、疾しいことは何もなくてですね。本当に姉は王のことを愛していますし、仲が良くて僕がどうこうできることもなくて……」
おい、全部喋っているじゃねえか。
つまり、テオは血の繋がらない姉のデネボラが好きだけど相手にされてないってことじゃねえか。
「あの、テオ様、本当に大丈夫ですか?」
「え、ええ、大丈夫です。今日も、最近姉の目が見えなくなってきたから代わりに本でも朗読して差し上げようと本を探しに来ただけで本当に何もありません。ちょっといい香水があったら送ろうとかそういうのは一切ないのです」
お前、素直すぎるだろ。
何で言わなくていいこと全部話してるんだよ。
混乱して言ってるにしても、そんなに素直だと心配になるわ。
「デネボラ様は具合がそんなに悪いんですか?」
俺は話を逸らそうとしてそう言ってやった。
実際、デネボラの体調についてはとても気になっていた。
一応、未来のお義母さんだし、心配でデネボラの見舞いに行きたいとお父様やレグルスにお願いしていた。
しかし、返事は「お断りします」ということだった。
どうやら、体調不良の原因が分からないからうつしてしまうことを恐れてデネボラが断ったらしい。
確かにアルキオーネは病弱だったから、デネボラの心配も分かる。
でも、自分がつらいときまで他人の心配をするなんてどんだけできた人間なんだよ。
レグルスが王宮なんて陰謀と策略の渦巻く場所であんなに馬鹿正直に生きて来れたのもデネボラのおかげなんだろうな。
そう考えると、心の底からデネボラを救えて本当によかったと思う。
人を思いやれる人間にはやっぱり幸せになって欲しいもんな。
「え、ええ。最近は特に。心配を掛けたくないからと王子の見舞いを断るくらいには……僕も断られてますけど、無理矢理押しかけてやってます」
テオは拳を握った。
どうやら、デネボラの体調は思ったよりも芳しくないらしい。
「そんなに……レグルス様のお見舞いを断るほどということは目に見えて弱っているということですか?」
「ええ。気丈な人が断るくらいですからね。ごまかしきれないくらい弱っています。今まで無理してきたことのつけが回ってきたんでしょうね。元々体が弱くて、それで正室になれなかった人ですから。側室だったときも体調が悪くても王妃の補佐の役目をこなしていましたし、正室になってからは補佐する人もいないのに王妃としての役目を必死でこなしていました。弱っている原因が分からないというのも、王子を遠ざける理由だとは思いますけど、それ以上に弱っているところを見せたくないようですね」
「そう、だったんですか……」
あんなに元気そうに見えたのに体はボロボロだったんだな。
救えたと思ったのに俺は何も救えていなかったということか。
そんな状況でレグルスは大丈夫なのだろうか。
レグルスはデネボラをまだ許していないはずだ。
許したいけど許せない。いつかは許したいと言っていたが、そんな状況では自分の心の整理もついていないのだろう。
レグルスが心の底から笑顔でデネボラと話せるようになるまではまだまだ時間がかかりそうだというのに、その前にデネボラは亡くなってしまうかもしれない。
どんな気持ちでレグルスは毎日を過ごしていたんだろう。
それに、レグルスはすでに母を亡くしている。
また、義理とはいえ、もう一度母を亡くすかもしれない恐怖というのは、親を亡くしたことのない俺には分からない。
分からないがきっとつらいはずだ。
もしも、俺が前世が医者だったら、或いは転生チートで癒しの能力持ちとかだったら、デネボラを救えるのかもしれない。
でも、そんなもしもなんてこの世には存在しない。
俺は俺だし、前世はただの不真面目な大学生で、転生したからと言って能力もない。
せいぜい足掻いて目の前の人間に手を伸ばすことしかできない小娘だ。
俺にレグルスは救えない。
俺は無力だ。
「……アルキオーネ様、なんて顔をしているんですか」
「え?」
「思いつめたような顔をしていましたよ?」
「あっ……」
俺は慌てて手で顔を隠した。
テオの言う通り、頬は強張っている。
きっと酷い顔をしているのだろう。
「姉は自分の身体のことはきっと前から分かっていたんです。だから、気に病まないでください」
テオは困ったように笑う。
不安なはずなのに俺に気を使うテオは見ていて痛々しい。
「テオ様、貴方も気を落とさず……月並みな言葉ですけど、デネボラ様はきっとよくなりますから」
俺は微笑んだ。
「ありがとうございます。貴女も……」
そう言ってからテオは少し考え込む。
「貴女も?」
「いえ、貴女にも幸運が訪れますようにと……言おうと思ったんですけど、タイミング的におかしいですよね」
テオは笑顔を作った。照れるようなはにかむ笑顔。
女の子ならきっとかわいかっただろうに。
ちょっと残念な気持ちになる。
「いえ、そんなことはないです。嬉しいです、テオ様」
俺は頷きながら微笑む。
「アルキオーネ様……」
アントニスが呟く。
アントニスは何か物言いたげにこちらを見ていた。
そろそろお腹が限界なのだろう。
「あの、それではわたくし、失礼いたします」
「いえ、それでは……」
そう言ってテオと別れる。
別れてから俺ははっと思いついてテオの背中を呼び止める。
「あの!」
「何か?」
「いえ、デネボラ様に贈り物ってどう思いますか?」
「とても喜ぶと思いますよ」
俺はテオの答えに満足した。
「ありがとうございます!」
そう言ってテオの背中に手を振った。
「アントニス! 今日は予定変更です。ワッフルを食べたら、お買い物をしましょう」
「お買い物?」
「ええ! デネボラ様にプレゼントを」
俺はアントニスに向かって大きく頷いた。