27.危険が少ないというのはありえないことらしい。
長い梯子を登る。
もう少しで梯子が終わる。
しかし、その先の床の上に梯子がもう一つあるのが見えた。
先はまだまだ続くらしい。
俺はため息を吐いた。
とりあえず、もう一つの梯子を登る前に休憩しよう。
俺は床に手を掛けぐいっと体を引きつけた。
そして、手足をばたつかせ、這うようによじ登る。
「おい!」
上から声が降ってきた。
いや、今は登っているところだからね。
急に声を掛けられても返答できないから。
そう思いながら、俺は声を無視する。
じたばたと動いて、漸く体の全てが床に乗りきってから俺は顔を上げた。
顔に非常に近いところに男の顔があった。
「きゃあ!」
思わず女のような叫び声が出る。
いや、女のような叫び声で正解なんだ。
ここで野太い声が出た方がアルキオーネのイメージが下がるってもんだ。
よしよし、可愛い声で叫べてグッジョブ、俺。
叫んでから気づく。
男からはきつい匂いがする。
今さっきまで嗅いでいた、あの腐った肉の匂いだ。
おいおい、こんな匂いをさせている奴がこんな近くにいるのはまずいんじゃねえか。
俺は慌てて、床を転がるようにして男から距離をとる。
そして、片膝を付き、立膝の体勢でナイフを構えた。
男は呆気にとられて立ち尽くしているが、剣を持っている。
コイツ、もしかしなくても、野盗だろ。
まさかこんなところにいるなんてな。
俺は男の剣と自分のナイフを見比べた。
リーチが違いすぎる。
やりあったらただじゃ済まなさそうだ。
しかも、確かコイツらは腕の立つ奴らなんだよな。
大人の男とか弱い令嬢。
単純な力比べでは勝てる気がしない。
でも、ここで自分の命を諦めるほどのことでもない。
このくらいのピンチなんていくらでも切り抜けてきた。
向こうは俺を迷子のご令嬢ぐらいにしか思っていないのだろう。
幸いなことに剣を構えてすらいない。
完全に舐めきっていやがる。
これは工夫次第で何とかなるやつだ。
「イグニス!」
先手必勝。俺は慣れた手つきで、男の前髪めがけて魔法を放った。
男の前髪が燃え出す。
地味で簡単な魔法だが、恐怖心を煽るのに効果のある魔法だ。
コイツで俺は何人もの人間を倒してきた。
「うわ、うわああああああ」
案の定、男は驚いて剣を落とし、自分の顔を叩きだす。
俺は迷うことなく、数歩助走をつけてから、素早く足を振り上げる。
目的は勿論、股間だ。
卑怯もクソも知ったことか。
流石にそこに来るとは思ってもみなかっただろう。
無防備なところに蹴りが入る。
速度も角度も申し分ない、自分でも惚れ惚れとする蹴りだった。
これは入ったな。
字幕を入れる機能があるなら「会心の一撃」と書いておいて欲しいくらい綺麗な蹴りだった。
男は涙を浮かべ、ジャンプを数回してから耐え切れなくなったように床に崩れ落ち、身動きが取れなくなっていた。
ご愁傷様過ぎる。
俺もあるものがあって、蹴られたらあんな感じになるんだよな。
ないはずのタマがひゅんとする。
俺の右手は思わず股間に伸びた。
俺にはないから大丈夫。大丈夫だ。
我ながら怖いことをしてしまったが、何度でも言おう。
卑怯もクソも知ったことではない。
「貴方は野盗の方で間違いないですよね?」
「ぐ、ぐぐ……」
ぐぐもった声を上げながら男は頷く。
どうやら、この男、性根は素直な奴らしい。
俺はか弱いご令嬢だから、リゲルのように痛めつけることができない。
悪い奴が皆こんなに素直だと楽なのだが。
「お仲間はいらっしゃいますか?」
男は震える手で人差し指を立てると、真っ直ぐ上を指した。
俺は口角を上げた。
「そうでしたか。つらいところ、お答えありがとうございます。ゆっくりお休みください。ドルミーレ……」
俺は男としっかりと目を合わせた。
そして、眠りの魔法を放った。
男は眠たげに瞼をゆっくりと閉じる。
そうそう、これ眠くないのに瞼がじわじわと重くなっていつの間にか閉じてしまうんだよな。
俺もかけられたことがあるから分かる。
抗えないのなら、最初から抗わない方がいいぜ。
俺はニヤニヤと男を見下ろした。
そして、男は小さく鼾をかき始めた。
初めて戦いで使ってみたけど、上手くいったようだ。
こういう精神に作用する魔法は苦手な部類だったので決まると嬉しいもんだな。
俺は念のためロープで男をぐるぐる巻きにした。
よし、後は上にいる奴らを取っ捕まえて仲間のことを吐かせるか。
俺は梯子の先を見上げて頷く。
おっと、その前にやらなきゃいけないことがある。
俺は床に落ちていた剣と男の持っていた鞘を奪うとそれを装着した。
これで準備は万端だ。
俺は梯子に手を掛ける。
「きゃー!」
「何だあれは!」
「誰か! 誰か!」
櫓の下から人々の叫び声が湧き起こった。
皆一様に上を見上げている。
どうやら、この上で何かが起きているらしい。
俺は急いで、でも着実に腕を動かした。
嫌な予感がする。
掌にじわりと汗が滲む。
急がなきゃいけないときにどうして。
俺は滑らないように慎重に登らざるを得なかった。
お願いだから何も起きないでくれよ。
俺は祈るような気持ちで梯子を登った。
遠い。
梯子の先がとても遠く感じる。
遠くて、遠くて、手を伸ばしても届かないような気がしてくる。
もう諦めるなんて嫌だ。
手を伸ばせばそこにいるのに。
あれ?
俺は混乱していた。
記憶がごちゃ混ぜになる。
何を諦めるのか、何に自分が手を伸ばそうとしているのか分からなくなる。
不意に頭の中で声が聞こえた。
『触らないで!』
女の子の甲高く威圧するような声。以前もこんな風に頭の中に響いた声だった。
更に声は続く。
『違う! そうじゃない! やめて! そんなことをしたらっ!!』
真っ暗な世界に浮かぶ手。
その手は離された。浮遊感がする。
落ちる!
俺はとっさに梯子にしがみついた。
あっという間に現実世界に引き戻される。
大丈夫。落ちていない。
俺は梯子にしがみついたまま、下を見下ろした。
梯子はまだ数段しか登っていないようだった。
脈が煩く響く。
背にどっと汗が流れた。
あの声は、あの白昼夢はなんだったんだ。
いや、今、考えるのはやめよう。
俺は頭を振って、梯子を登ることに専念した。
梯子を登りきる。
視界が拓けた。
風が心地よく吹く。
そこはとても見晴しがよかった。広場の隅々が見える。
何もなければそう言う感想が真っ先に出てくるはずだった。
でも、実際に登って、真っ先に目に入ったのは深緑色をしたショートボブだった。
それから、黄色のドレスが鮮やかに映る。
あれは、彼女の好きな色だった。
「ミ、モザ?」
俺は小さく呟いた。
なんで、ミモザがここにいるんだ。
殺気がした。
俺は驚きながら、剣を抜いた。
ブックマーク300件、100部分突破しました。
皆様、ありがとうございます!
近日中にお礼のSSを活動報告にて上げる予定です。
よろしければ暇つぶしにどうぞ。