8.パーティーの招待
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徐々に気温が下がってきたのか、起きた頃にはもう一枚、布団が恋しくなるような季節がやってきた。
レグルス王子からの手紙は相変わらず、自分に起きたことと俺を気遣う言葉を書いてくるだけだったが、この日は違った。
いつもの白い便箋とは別に見慣れぬ厚手の紙が入っていた。
レグルス王子の誕生パーティーの招待状だ。
婚約者であり、未来の王でもあるレグルス王子の誕生日なわけなので、勿論、オブシディアン家は全員参加である。
俺は「ドレスはどうしよう」だとか、「アクセサリーは何をつけよう」だとか、そんな年頃の女性の悩みは全てメリーナに任せることにして、筋トレに励んでいた。
せっかく、レグルス王子に会うのだから少しでも筋肉をつけておきたい。
最近のアルキオーネは短い時間だが普通のプランクができるようになっていたし、バックエクステンションもできるようになっていた。
最初に比べたら随分と進歩してきた。
体つきも以前は細く折れそうだったが、ほんの少し肉付きもよくなってきたように思う。
今日も日課である散歩を終え、ちょっとした筋トレをしようかと考えていたところ、突然、お母様が部屋にやってきた。
食事の時間にも顔を合わせたばかりだというのにどうしたのだろうか。
俺は「今日の筋トレはお休みか」と心の中で呟いた。
「それで、お母様、なんの御用ですか?」
俺は笑顔をつくる。
「えーっと、調子はいかが、アルキオーネ?」
お母様が緊張したように尋ねる。
「体の調子でしたら、すこぶる良いです」
「良かったわ。最近、散歩や『きんとれ』なる運動をよくやっていると聞くけど、貴女、無理してない?」
お母様は不安げな表情だった。
お、さてはメリーナ、お母様にチクったな。
お父様なら男同士、多少理解は得られると思うが、お母様は別だ。
言ったら卒倒してしまうかもしれない。
だから、筋トレのことや散歩のことは黙っていたのだ。
なのに、チクってしまうなんて俺のお願いごとは聞けないということか。
あとで、ちょっとしたお仕置きだな。
「無理なんて……お父様やお母様、レグルス様に迷惑を掛けたくない一心で始めた運動ですよ。無理などできましょうか」
俺は涙を浮かべ、お母様をじっと見つめた。
「そうね。貴女は優しい子だもの。もう無理はしないわよね」
お母様もつられるように涙を浮かべて、うんうんと頷く。
ここまで騙されやすいお母様だと、助かる反面、罪悪感も募る。
両親がいい人過ぎるのも考えものだな。
「そうです。メリーナに何を言われたか知りませんが、わたくしはわたくしなりに、無理なくこつこつとやっておりますのでご安心ください。最近は体も慣れてきたのか体力もついてきましたし、これから寒くなれば散歩はやめて、屋敷の中を歩くことになりますから、そこまで無理はできませんわ」
俺はお母様を安心させるように微笑んだ。
「そう、寒くなったら、屋敷の中を歩くのね。なら、大丈夫よね」
お母様はほっとしたように頷く。
実は、屋敷の中を歩くだけじゃなくて、部屋の雑巾がけをさせてもらえるようメイドたちと交渉中なのは黙っておこう。
雑巾がけは体幹を鍛えるのに役立つ。
出来れば毎日やりたい。
しかし、メイドたちもメイドたちでやはり矜恃を持って仕事をしているので主の娘を働かせるわけにはいかないと頑なだ。
魔法を使うことは進んでお願いしてくるくせにこういうところは律儀である。
今は、交渉に交渉を重ねた結果、自分の部屋をやるだけならと話がまとまりそうなところだった。
だから、今、お母様に知られてぶち壊されるのは非常に不味い。
黙っておくに限る。
「ええ、ですから心配なさらないでくださいませ」
とにかく、何か察される前に話を切り上げよう。
「いえ、貴女の体が弱いのは私の責任なのよ。心配くらいするわ……」
お母様はハンカチで涙を拭う。
俺は女の涙には弱い。
メリーナのときといい、どうしたらいいのか分からなくなる。
なんで、皆こんなに泣くんだよ。
「泣かないでくださいませ、お母様」
俺はオロオロとお母様の顔を伺った。
「ああ、ごめんなさい。こんな話ばかりするつもりじゃなかったの。いい知らせがあるの! 貴女の誕生パーティーについてなんだけど……」
お母様は手を叩いて笑顔を浮かべた。
熟女趣味なんてないのだけど、お母様の笑顔は本当に綺麗だった。
「誕生パーティーですか」
俺は考え込むよう下を向いた。
忘れていたが、レグルス王子の誕生日の一週間後にはアルキオーネの誕生日が来るんだ。
だから、最近、メリーナがドレスやアクセサリーについて何度も聞いてきたのか。
そうだよな。
一人で二回分のパーティーの衣装を考えるのは大変だよな。
メリーナにお仕置きは撤回。
ちょっとあとで労ってあげなくてはならないな。
そうだ。
この前庭師に貰った薬草入りのマッサージオイルをあげよう。
かなり不思議な匂いがするんだけど、疲れによく効くんだよな。
「そう、招待状のお返事がたくさん返ってきたのだけど、その中にね、貴女のお祖父様の名前があったのよ」
「お祖父様が!?」
俺は身を乗り出して驚いたように叫ぶ。
「貴女、会いたがっていたでしょう?」
「ええ!」
俺は嬉しさのあまり、お母様の手をとった。
お母様の父――母方のお祖父様は一風変わった人だった。
王国軍のお偉いさんを退職して、家督も息子に譲って、悠悠自適に生活していくのかと思いきや、剣の修行にでたり、貴族の息子の剣の先生をやったり、アクティブに動くスーパー爺ちゃんだった。
剣の腕は王国一と名高く、色んな貴族がこぞって息子の剣の先生になってほしいとお願いするほどの人だ。
勿論、レグルス王子もお祖父様に剣を習っていた時期があったという。
そんな素晴らしい人材が身内にいるなら是非とも剣術を習いたいと思っていたのだが、そんなことをお母様に知られては大変だ。
だから、俺はお母様にバレないようにお祖父様に直談判したいと考え、お母様にお祖父様に会いたいとずっと言い続けてきたのだ。
「お祖父様は貴女の誕生パーティーに出席されるそうよ。良かったわね!」
「お母様、教えてくださってありがとうございます!」
俺の胸は高鳴った。
漸く、俺の野望は果たされる!
よし、まずは目の前のレグルス王子の誕生パーティーで、レグルス王子に勝つ!
何が勝ちなのか分からないけど、とにかく、レグルス王子に情けないところは絶対に見せないぞ。
それから、アルキオーネの誕生日パーティーでお祖父様を説得できるようにうーんと作戦を練っておかないと。
俺はパーティーがすごく待ち遠しく感じた。