第三話
サーブ、レシーブ、ボレーにスマッシュ。全てが綺麗に鋭く相手のコートに決まり、ラリーは続いても確実に1ポイントずつ勝ち取っていく。ボールは力強くて一打一打気合がみなぎっているように見える。
私はサンバイザーの女の人に釘付けになっている。輝いていて眩しいんだけど、それでも見ていたい。私は今ならサングラスをしてテニスを見ている人の気持ちがわかる。レンズの色が邪魔して試合が見にくいじゃないって思ってたけど、選手が眩しいのなら仕方のないことだ。
「樋口桜のこと見てるの?」
突然後ろから声が聞こえた。驚いて私は振り向く。するとそこには髪が短い男の人がいた。
活発そうな雰囲気に人なつっこい目、制服を着ていて、手には紙袋を持っている。身長も結構高くて少し見上げないと目を見て話せない。
初めて見る人なんだけど、フレンドリーな話し方に自分の記憶力を疑ってしまう。
誰なんだろう、会ったことあったっけなぁ。でも覚えないし……でも絶対会ってないなんて断言も出来ないしね。聞いてみようかな、でも聞いて機嫌を悪くさせてしまったらどうしよう……でもこのままじゃ何も言えなくて、無視してるようになってしまうよね。取り合えず、聞いてみようかな。
「あ、え……と、誰?」
今までに会ったことがありませんように、怒られませんように。そう心の中で強く願っている。でも誰に祈るべきかも迷う。
やっぱり神様? でも仏様でも……あ、「でも」なんて言ってしまったら失礼だよね、どうしよう、と、取り合えず謝ろう。仏様、気分を害してごめんなさい!
あれ? いつの間にか祈るんじゃなくて謝ってしまってるね。
「知らないの? あの人だよ。ショートカットにサンバイザーつけてて……あ、今サーブ入った人」
あの、あなたに言ったんだけど。
気を悪くされたくないからそんなこと言えるわけもないけど、心の中でそっと呟く。
男の人が指し示す方を見る。真ん中のコートの向こう側、サンバイザーにショートカット……間違いなくさっきまで私が見ていた人だった。
「うん、あの人見てたの。カッコいいよね、思わず見とれてしまったの。樋口桜っていうんだ」
これは本心で言っても当たり障りないと思ったから正直に答えた。実際見とれてたしね。
「本当に知らなかったんだな。アイツ、全国ベスト8なんだぜ」
「え、そうなの?」
そんなにすごい人だったんだ、ますます憧れてしまいそうだよ。
「こんなことで嘘つかないって」
笑いながら答える男の人。とても爽やかだ。そういえば、アイツって呼んでたけど親しいのかな。
「でも、高校では俺が抜いてやるけどね」
えと、テニスの試合のこと、だよね。でも納得できないことがある。
「女子と男子じゃ違うんじゃないの?」
ああ、しまった、こんなこと聞いて失礼になってしまったらどうしよう。でも、もう聞いてしまったしどうしようもないよね、でもどうしよう。ああ、今ようやく覆水盆に還らずの意味がわかったよ。
「違うけどさ、実力で抜こうって話だよ。だってさ、全国ベスト8の奴がそこらの奴に負けるわけないだろ? 実際勝ったことないしさ」
よかった、何も気にしてないみたいだ。本当によかったぁ。
「中学一緒だったの?」
あ、思わず聞いちゃったけど、よくよく考えるとこの人って何年生なの? あまりにもフレンドリーな話し方だから同い年って思っちゃったんだけど、上級生だったら失礼な話し方だよね、それに試合しててもおかしくないね。
「まあね。中学どころか小学校も幼稚園も一緒だよ。それに、俺の名前は樋口春樹。桜の弟なんだ」
ニコッとはにかんで答えてくれた樋口……さん? 結局何年生かわからなかったよ。
「あなたは――」
「あ、休憩入ったみたいだ。桜!」
私の声を遮って言う樋口さん。名前の部分で大声を出すからビックリした。
近くのベンチの方へ行こうとしていた樋口さんが、あ、女の人の樋口さんだよ、こっちに気づいて走ってくる。試合の後なのに元気な人だな。
ん? なにやら怖い形相で向かってくるんだけど、一体どうしたの?
「だ、か、ら! お姉ちゃんって呼びなさいっていつも言ってるでしょ!」
来て早々アクセントを効かせながら言う女の樋口さん。とっても活発だと思う。
「なんだよ、たかが約一年早く生まれただけなのに、なんでお姉ちゃん、なんて呼ばねえとなんねーんだよ。桜で十分だ」
不機嫌そうな顔で言う男の樋口さん。お姉ちゃん、の部分だけ声を高くして両手を握り締めて、可愛い子ぶっていた。正直笑いそうなんだけど、気を悪くさせては駄目なので我慢する。
「なによ、私の同級生には先輩って媚びへつらってるくせに」
「うるせーよ。そんなこと言っていいの? 折角昼飯持ってきたのになぁ」
不機嫌そうに言う女の樋口さんの目の前に、持っていた紙袋を見せて言う男の樋口さん。
あぁもう、女の樋口さんとか男の樋口さんとか呼び辛い! もうこうなったら何て呼んだら言いかきいてみよう!
「あの――」
「そんなの、どうせ嘘でしょ。私は朝ちゃんとお昼ご飯持ってきたんだからね」
「はっ、そう言うなら別に持って帰ってもいいんだけど? でもあとで泣く桜が予想できるから優し〜い俺はお前が鞄の中を確認するのを待っててやるよ。ほら、行ってこい」
シッシッと手を振って女の樋口さんに鞄を確認しに行かせる。女の樋口さんはぶつぶつ言いながら荷物を見に行った。
活発だし運動できるし、それにどう見ても有りのままの自分で行動してるよね。試合を見てるだけのさっきよりもさらに憧れてしまうな。
さっきは私のセリフは二人の会話に割り込めなかったけど、今なら女の樋口さんはいない。
今こそ呼び方を聞こう、そう決意して話しかける。
「あの、男の樋口さん、なんて呼――」
「はぁ? なんて、今なんて言ったの? ってか呼んだの?」
すごく驚かれてる。区別つけるために男の樋口さんって呼んでたんだけど、そんなに変だったかな?
「男の樋口さんって呼んだんですけど、嫌でしたか? 二人とも樋口さんだったので区別をつけようと思いまして……」
「いや、なんか変だろ、どう考えても。それになんでいきなり敬語なの、同級生だよね?」
あ、いつの間にか敬語になってたみたい。だって頭の中でだけど、さん付けで呼んでたら自然と敬語になってしまうんだもん。
気を取り直してもう一度きいてみよう。
「だから、何て呼んだらって、え! 同級生だったの?」
呼び名きこうと思ったけど、その途中で驚くべき男の樋口さん、もとい同級生なので樋口君の同級生発言を思い出して、思わず叫んでしまった。
「あれ、知らなかったの? な〜んだ、ちょっと残念だな」
少しふてくされている。ってことは会ったことがあるのかな。全然覚えないから初対面かなって思ってたんだけど、どうしよう。取り合えず謝ろう。
「ごめんなさい、どこかで会ったことある?」
「ははっ、謝らなくていいよ。会ったことって言うより見たことがあるんだ。ま、俺だけが知ってたっていうのが残念だけど、話したことないんだからしょうがないよ」
笑って赦してくれた樋口君。もう君とさんで言い分けられるから呼び方聞かなくてもいいよね。
それからしばらく、樋口さんが戻ってくるまで高校が楽しみだねという話をした。
それにしても流石姉弟、二人とも元気いっぱいで飾らない性格みたいで、周りばかり気にしてる私からしたら眩しくなってくる。
来輝高校にはこんな風に眩しい人がいっぱいいるのかな。それならサングラス買わないとダメだね。