39
SMILE
ある雨の日。
由乃はリビングでゆっくり紅茶を飲んでいた。すると、小学校に入ったばかりの八重がやって来た。
「お母さん」
「ん?どした?」
「お父さんの事を教えてほしいの」
「かす...お父さんの事?どうして?」
「学校の宿題。自分のお父さんお母さんについての事が出たから」
八重は由乃に一枚の紙を渡した。
そこには両親の特徴、好きなもの、嫌いなもの、仕事などを書く枠があった。
「なるほどね、お母さんのところは書けたの?」
「うん」
「見ていい?」
「ん」
八重が許可してくれたので、由乃は自分のところを見た。
職業はちゃんとかけていたのだが、特徴や、好きなものが目についた。
「八重、特徴これ...」
「綺麗」
「うん嬉しいわ。でもちょっとお母さん恥ずかしいかも...」
「どして?」
「どうしてもかなぁ。あと好きなものなんだけど...」
「お父さん」
「確かに好きよ大好きだわ。でもこれ...んー」
「お父さんの事嫌いなの?」
「いや好きだけど...」
紙を見てみると、両親の色々を『書いてみよう』と書いてあるので、『聞いてみよう』ではないのである。
つまり、子供からの目線で、親に直接アンケートされるわけでは無いのだ。
「まぁいっか...間違いじゃないし」
「........?」
八重は頭の上にはてなマークを浮かべていたが、由乃はその頭を優しく撫でたので、とても気持ち良さそうだった。
そんな話をしていると、部屋から微が出て来た。
「お父さん」
「ん」
トテトテと八重は小走りで駆け寄り、微にギュッと抱きついた。
そして由乃に話した事と同じことを話した。
「お父さんの事知りたい」
「何の話だ?」
「これ」
「何だそれ」
「両親についての宿題何だって、好きなものとか」
「へぇ、お母さんに教えてもらえ」
「んー分かった」
八重は由乃の座っていたソファの隣に座り、由乃に微について教えて貰うことにした。
「お父さんの特徴...『笑わない』って書いてあるけど?」
「お父さんが笑ってるところ見たことない」
「あー確かに。お母さんもあまり見たことないわ」
「うるさいな」
台所の方でコーヒーを淹れていた微が、会話を聞いていたのかツッコミを入れた。
淹れ終わったコーヒーを持って微はまた部屋に戻った。今日は雨なので、ゆっくりと自分の部屋で雨空を見たいのだろう。
「余計な事喋るなよ」
「はいはい」
そう言って微は自室へ戻った。
由乃はニヤリと笑い、八重の方を向いて小声で耳打ちした。
「今から喋る事、お父さんには内緒よ」
「うん」
八重も小声になりながら答えた。
「お父さんね、確かに全然笑わないのよ。お母さんとお父さんが、まだ結婚してなくて、八重が生まれてない時も」
「そうなの?」
「うん、正直お母さんも一回しか見たことないな」
「一回だけ!?お父さんそんなに八重とお母さんといるのつまらないのかなぁ...」
「ふふふ、そんな事ないわよ」
「どうして?だってお母さんも一回しか見た事ないんでしょう?」
「これはね、八重が生まれた日の話なんだけど...」
それから、由乃の話は八重が生まれた八年前へと遡る。
分娩室の前にある椅子に微は座っていた。
すると、缶コーヒーを持った流が歩いて来た。
「はい」
「悪い」
「まだ産まれてないか」
「ああ...」
「不安か?」
「別に...」
微は缶コーヒーを開けて、流の質問に動じずにそれを飲んだ。
だが、流には微の心の中は見透かされていた。
「外の空気を吸って来い。陣痛が始まってからずっとここに座りっぱなしじゃないか。もう二時間はここにいる」
「........」
微が持っている缶は、少しだけ震えていた。
平気なふりをしているが、やはり怖いのだ。
「大丈夫、赤ちゃんも元気に産まれて、由乃もきっと笑顔でお前を待っている」
「だが...」
「信じてやれ」
「...ああ」
分娩室へ入ってから数時間、由乃の叫び声が聞こえた。
「........!」
微は体をビクッとさせて、分娩室の方を見た。
スチール製の缶が潰れるくらい強く握りしめ、目を閉じて祈った。
(頼む...!頼む...!)
程無くして叫び声が止み、赤ちゃんの産声が聞こえて来た。
「...っ!産まれた...!」
「...っし!」
分娩室のドアが開き、看護師がもう入って大丈夫だと承諾すると、微は早足で由乃の元へ向かった。
「由乃...!」
「微...!」
分娩室のベッドの上には疲れ果てて横たわる由乃と、その横に助産師に抱かれる小さな赤ちゃんがいた。
「元気な女の子ですよ」
「そうですか...良かった...」
一気に体の力が抜けて、微は棒立ちしていた。
助産師が赤ちゃんを持って微に近付き、抱っこさせてあげようとした。
「抱っこしてあげて下さい」
「...あ、ああ...。すみません、ちょっとまだ持ってて下さい」
「え...?」
そう言って微は赤ちゃんの横を素通りし、由乃の方へと歩き出し、由乃の頰を撫でた。
「無事か?」
「ええ、元気」
「...大変...だったな」
「ええ」
「よく頑張った」
「...うん...!」
由乃の目に涙が溜まり、微は由乃を抱きしめた。
微は産まれて来た赤ちゃんより先に、一番頑張った由乃を労いたかったのだ。
そしてようやく微は赤ちゃんを抱き上げた。
「軽い...」
「ふふふ、でしょう?」
由乃も一度抱いたので、微の気持ちがよく分かった。
微はずっと赤ちゃんの顔を見つめた。微は基本的に目を合わせないので、由乃はその光景が少し面白かった。
しばらくずっと微を見ていると、衝撃の光景が由乃を襲った。
「ふっ、俺の娘か...」
「........!」
微が、初めて由乃の前で笑ったのだ。
付き合っても、結婚しても、一緒に生活していても、一度も笑顔を見せなかった微が、今産まれた自分の子供を見て笑ったのだ。
その時側にいた流も驚いた顔をしていた。
「微今...笑った...?」
「...?ああ、久し振りに笑ったかもな」
「久し振りって...私にとっては初めてよ!」
「そうか?そうだったか...」
「私も久し振りに見たな。小学校...いや、保育園以来か?」
「今その話は良いだろ...」
その時の微の笑顔はとても優しく、暖かい笑顔だったという。
「これが、私が初めてお父さんが笑った顔を見た時ね」
「それだけ?」
「そう、それ以降からはもう笑ってくれてないわ」
「八重も見たい」
「いつか見られるわ。でも、無理やり見ようとしたらお父さん嫌がるからダメよ?」
「うん分かった」
「えらいえらい」
そうして由乃は少しだけ昔の事を思い出しながら、お昼ごはんの準備を始めた。
『全く笑わない微が初めて笑顔を見せる』という話を書きたくて、つい書いてしまいました。
皆様のイメージが崩れるかもと思いながらも、やはり自身の欲求には抗えぬものです...。
楽しんで頂けたら幸いでございます。




