EPISODE.5「センスあるぜぇ」
「ぬお!?」
浩の視界は急転した。
今彼の目には、清々しい青空と眩しい太陽が映っている。
吹き飛ばされた──そう理解したとき、浩の体はコンクリートの床に叩きつけられた。
見た目は酷く痛いが、実際は衝撃が吸収されている。
『おー、ふっ飛ばされちまったなぁ?』
「くそ。間抜けやっちまった」
浩は苦い顔をしながら体を起こす。
「ここは……屋上か」
浩はこの高校の文化祭の時に、教師として用があり屋上の裏手まで来たことがあった。
その時の光景と合わせてみるに、浩が飛ばされたところは屋上であると推察できた。
「巨人は?」
『起きあがろうとしているなぁ』
浩は屋上の縁まで行き、緑色に塗装された鉄柵に手をかけて、身を乗り出す。
確かに濁声の通り、巨人が起き上がろうとしているところであった。
「振り出しか……いや、待て」
ふと気づき、浩は巨人が立ち上がるのを待つ。
のっそりと立ち上がった巨人は、再び校舎を見た。
結果として、浩と巨人の目が合う。
『ギャハハッこいつぁ傑作だ!』
「好都合だな」
浩のいる屋上の高さに、巨人の一つ目があったのである。
つまり、今現在浩の目の前に巨人の弱点があった。
巨人には浩の姿が見えていない。故に自分の身に迫る危機を感じ取ることができなかった。
「残りエネルギーは?」
『ぶっちゃけほとんどガス欠だぜぇ?』
「ここから助走をとって、奴の目玉に向けて跳躍する。それくらいなら行けるか?」
『大分きついなぁ』
唯一の懸念はエネルギー残量であった。
巨人の一つ目が目の前にあるといっても、巨人と校舎の屋上までの距離は十メートルは離れている。跳躍で距離を潰すなら、身体強化は必須であった。
「なら身体強化の主導権を渡せ」
『いいけどよぉ、出来るのかぁ?』
「出来る出来ないじゃない、やるんだ……と言えばカッコいいだろうが、ぶっちゃけ多分出来る」
行われた二回の身体強化で、浩は感覚的に大体のやり方を理解していた。
『そこまで言うならいいけどよぉ』
「ついでに硬化もだ」
『へいへーい』
自身に操作権が譲渡されたのを体感しつつ、浩は後ろに下がり、助走距離をとる。
「行くぞ」
浩はクラウチングスタートの姿勢をとると、ここから駆け出しに必要な筋肉を記憶上の人体構造から把握し、それのみを集中的に、瞬間的に強化する。
『おぉ!?』
浩は隆起した肉を躍動させ、今までで最速の加速を見せる。
人間が走っている間、収縮する筋肉は目まぐるしく入れ替わる。
浩はその全てを把握しつつ、適当なタイミングで適当な部分をピンポイントかつ瞬間的に強化した。
結果として、最小限のエネルギーで最大限の効果を得るに至ったのである。
『ギャハハッ! やっぱヒロはセンスあるなぁ! 最高にカッコいいぜぇ!』
響く濁声を無視し、浩は神業ともいえる操作を行う。
爪の先を硬化し、僅かに尖らせることによって、最大静止摩擦力を増やしながら、浩の体は屋上の縁にさしかかった。
軽く跳躍し、緑の鉄柵に着地。衝撃吸収を利用しつつ、運動量を減らすことなく再びの跳躍姿勢に移る。
目標である一つ目は丁度浩を向いていた。
「らぁぁっ!」
その巨大な白黒の的を目掛け、浩は比較的多いエネルギーを消費し、飛びかかる。
ミサイルが如く発射された浩の体を、一つ目の巨人は見ることが出来ない。完全に無防備になっている瞳に、浩は思わず口元を釣り上げた。
浩は空中で姿勢を変え、両足を揃えつつ最大に硬化。腕は妨げとならぬよう上に上げておく。
槍のような姿勢になった浩の体は、巨人の大きな眼球に突き刺さった。
「グギャァアァアアァアアアァァァ!!!!」
巨人は大地を震わすような絶叫を上げた。
その音に自身の体が僅かに震えるのを感じながら、浩は腹筋を強化して眼球の中にさらに潜り込む。
既にガラス体も水晶体も網膜もズタズタの状態であるが、浩は泳ぐようにして奥を目指した。
このまま視神経を食い破り、脳に進入すればいい。脳を破壊すれば、即死に満たなくとも大きなダメージを与えられるはずだと、浩は確信していた。
だが、辺り一帯は暗く、何も見えない。それでは視神経がどこにあるかもわからず、ただ眼球の中を暴れまわる結果となった。
「グラァァァァ!!?」
急所を蹂躙された激痛からか、巨人は頭を乱暴に振り回す。
地面に建物に、あちこちにぶつけるため、浩の体は瞼の裏から外に放り出される形となる。
「どわっ」
浩の体は大した受け身もとれず、地面を転がる結果となる。
ようやく静止し、浩は立ち上がって自分の姿を確認した。
「……真っ黒だな」
浩の体は、巨人の眼球の粘液によって黒紫色に染められていた。
これでは折角の透明化も、意味がない。
『んじゃちょっと綺麗にするぜぇ?』
濁声が聞こえた後、巨人の体液が浩の白い体表に染み込んでいくように消えていった。
「無駄に高性能なことで」
浩は呆れた後、未だに狂ったように頭を振る巨人を見てみた。
巨人は暴れ回っているが、目が見えないためと校庭の中心にあったため、それほど被害を出していなかった。
唯一の被害と言えば、放置されたままだった、今は無残にもひしゃげたサッカーゴールくらいのものであった。
「とどめを刺す、というのも難しい状況だな…………ん?」
浩はふと、ヘリのプロペラの音を聞いた。
空を見上げてみると、こちらに向かってくる数機のヘリコプターが見えた。
よく目を凝らせば、特徴的なロゴが見える。
「討伐隊か?」
『らしいなぁ。逃げた方がいいぜ』
濁声の発言に、浩は疑問を呈する。
「何故だ?」
『こっちの姿は見えないんだぜぇ? しかも知られてもいない。討伐隊のフレンドリーファイアとか、食らいたくねぇだろぉ?』
一理ある意見であった。
こちらの姿はおろか、声すらも聞こえない状態で、他人と連絡をとることは出来ようがない。
『それになぁ、初期の状態でこんな化け物のエネルギーを吸収しても、暴発するだけだぜぇ』
「どういうことだ?」
『……詳しくは後でなぁ』
後などと、仮契約の筈ではないか、と浩は思ったが、口には出さなかった。
「んじゃ顔無しを少しばかり殺ってから行くか」
そう言いつつ、浩はすぐ近くにいた顔無しの首をひねる。
『流れるようにぶっ殺していくなぁ』
「エネルギーを補填しておくんだよ」
そのまま三体ほど倒した後、浩は誰にも見られることなく逃げ去っていった。
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「全部隊、こちらクラウド! 目標を確認! 作戦を開始します!」
クラウドというコードネームを持つ張谷は、ヘリコプターから眼下の化け物を見ながら無線で報告する。
人型B級モンスターは、見たことがないほど暴れ回っていた。
(被害がそれほど無いのは吉ですかね……)
モンスターが暴れているのは幸いにも校庭であり、その校舎以外に被害は出ていないようであった。
「狙撃班はポイントにつき、人Bへの射撃を開始してください。遊撃班近接班は人Dを掃討してください」
『クラウド、こちらシルフ。クラウドから確認できる人Dの数は?』
「シルフ、こちらクラウド。……17体です。数匹校庭外にいる可能性があります。遊撃班は周辺の市街地を捜索して下さい」
『クラウド、こちらシルフ。了解』
作戦開始以前に確認できたのは25体であった。
モンスターは死んだ直後に黒紫の粒子──怪気となるため、死体が残らない。消えた人型D級が死んだのか、あるいは校庭外に姿をくらませたのかは、判別がつかなかった。
(狙撃が効いていない……?)
狙撃班が人型B級の注意を引き、その間に近接班、遊撃班が人型D級を殲滅する。その後人型B級を全員で連携し対処する流れであった。
しかし、張谷が見る限り、人型B級は狙撃を気にした様子は無く、未だに暴れ回っている。そのため近接班や遊撃班が、人型D級の殲滅のために校庭に近づくことが出来ていなかった。
その時、無線から報告が聞こえた。
『クラウド、こちらアクス! 人Bに傷痕を確認! 目を負傷している模様!』
モンスターは血が流れない。負傷の確認は困難である。
早々に負傷を確認出来たのは僥倖であった。
「アクス、こちらクラウド。了解」
(先程から暴れているのはそれが理由ですか……)
張谷は納得した。人型B級モンスターは、痛がって暴れているだけだったのだ。それならば狙撃班に注意は向かない。
「全部隊、こちらクラウド。作戦を変更します。狙撃班は人Bを全力で攻撃して下さい。巨人の注意を確認する必要はありません。近接班、遊撃班は、射線に入らないようにしつつ、人Dの処理をお願いします」
人型B級の注意が狙撃に向かないならば、気にせずに狙撃で人型B級をしとめてしまえばよかった。
『クラウド、こちらアクス。了解』
『クラウド、こちらシルフ。了解』
『クラウド、こちらアーチャー。了解した』
十数分後、強力な狙撃が巨人に当てられ、弾幕に身をさらした巨人は呻きながら絶命する。
巨人の死体は全て怪気となり、その場にいた面々に吸収される。
『クラウド、こちらソード。怪気解放します』『こちらタイガー。怪気解放します』『こちらランス。怪気解放します』
「こちらクラウド。了解。シルフはタイガー、アクスはソードとランスの回収をお願いします」
『クラウド、こちらシルフ。了解』『クラウド、こちらアクス。了解した』
ふぅ、と張谷は一息ついた。
多少イレギュラーがあったものの、討伐隊は犠牲者ゼロで討伐を完了させることが出来たのである。
その後全部隊で周辺を探索したが、顔無しは見つからなかったため、全てのモンスターが死亡したと判断された。
人型B級の謎の負傷は、自身が誤ってつけたものとされ(瓦礫などでは傷つかないため)、人型D級の数が当初より少なかったのは、人型B級が暴れた際に巻き込まれたとされた。
生徒、教師などの被害者からの情報は錯綜しており、混乱によるものとされることとなる。
透明人間がいた、という証言は、記録上は残った物の全く扱われなかった。
これをもって、事件は表向きには収束したのである。