EPISODE.2「チュートリアルだ」
裂け目から突然現れた一つ目の巨人は、死を予感させる圧迫感を持っていた。
巨人があたりを見渡し、校舎が視界に入った途端に、体をそちらに向ける。
『ありゃ正真正銘のバケモンだ。数分としない内に校舎を破壊し、生徒教師含め蹂躙するぜぇ?』
サンショウウオもどきの目玉が浩の眼前にのばされる。目を逸らすように、浩は窓の外に視線を向けた。
『知ってると思うが、こいつらには銃弾や武器は効かねぇ。この校内に対抗手段はねぇだろうな』
裂け目はまだ閉じない。巨人が出た後も、人間サイズの顔がないモンスターがワラワラと溢れ出る。
一体の巨人と、数多の顔無し人型の軍団が出来た。
『この強さにこの数だぁ。大規模な討伐チームが必要だろうな。半端な戦力じゃ無駄死にになる。討伐隊は無駄死にはしたくないだろうなぁ。大規模な討伐チームが組まれるには時間がかかるだろうよ』
生徒達はパニックになっているのか、男女の悲鳴が入り混じって聞こえてくる。実験室に居た助手は、いつのまにか既に逃げてしまったようだ。
先程から放送が聞こえているが、放送を担当している教師の言葉はもはや支離滅裂である。
この様子だと、避難は順調ではないであろうことが予測された。教室の出口か、階段付近で生徒達の統率がとれず、詰まっているのが目に浮かぶ。
『それまでに生き残っている生徒は、一体何人になるだろうなぁ?』
声色が、何かを面白がっているような印象であった。
浩は話しかけてくるサンショウウオのようなモンスターの目玉を睨みつけた。
「生徒を人質にとるつもりか?」
『人聞きが悪いぜぇ? 別にあの一つ目巨人とオイラは関係ねえよ』
「全く信用ならないな」
浩にはどう考えても、このサンショウウオもどきと一つ目巨人が現れたのが、偶然には思えなかった。状況を鑑みるに、『生徒を殺されたくなければ契約しろ』と生徒を人質に脅しているような物である。
『とにかくよぉ、お前が契約すれば、少なくとも対抗手段が出来るわけだぜ? それによぉ、信用できるできないの問題じゃねぇよ』
「は?」
『時間の問題だ。外見てみな』
浩は言われるがままに校庭を向いた。
一つ目の巨人が、その巨大な拳を握り締めて、天高く振り上げているのが見えた。
その瞳は、明らかに校舎を狙っていた。
「…………おい……おいおい、待て待て待て──」
一瞬の静寂。
轟音。
その振動は、少し離れた実験室にも伝わっていた。
まるで爆弾が爆発でもしたかのような破壊音が、窓越しに実験室に鳴り響く。
元校舎の粉塵が空気中に舞い上がるのが確認できた。
振り下ろされた巨人の腕によって、呆気なく破壊された鉄筋コンクリート製の校舎の壁は、積み上げられたダンボール箱のように崩れていく。
ガラスの細かい破片が空中で太陽を反射し、チラチラと光った。
数多の瓦礫が雪崩のように転がっていく。
数拍を置いて、生徒達が一際大きな悲鳴を上げたのが聞こえた。
「っ!」
浩は思わず顔をしかめた。
眼鏡の位置を右手で修正し、窓を開け、体を乗り出す。砂塵の臭いが鼻につくが、気にしない。校舎の様子を確認しようとしたが、全体像は詳しく把握できなかった。
どうやら被害は主に体育館のようだった。
浩はすぐさま全クラスの時間割を脳裏に並べ、今日の一限に体育館を使うクラスが居ないかを確認した。
今日の一限に体育を行うクラスは一つ。しかも校庭の予定なので、体育館で被害を受けた生徒はほとんど居ないと推測できる。
浩は僅かに安堵したが、全く安心できる状況ではない。
巨人の腕に僅かに血が確認できる。何人かは犠牲になっただろう。
それに、前述のように数人の生徒が校庭に出ていたのだ。すぐさま逃げ出していたようだが、顔無しのモンスターに追いかけ回されている者も見えた。瓦礫の下敷きになった生徒も居たかも知れない。
『さあ時間はないぜぇ?』
まるで悪魔の囁きだ。浩は声を荒げる。
「契約内容を説明されてない状態で、契約なんかできるか!」
『んじゃ長々と説明してやろうか?』
「時間が無いんだろうが」
浩は一つ舌打ちする。
人を救うには、契約しなければならないことは分かる。
しかし、契約のリスクも分からないで契約できるわけがない。
浩の眼下の校庭で、一人の女子生徒が顔無しに捕まえられるのが見えた。
彼女ば何かを喚きながら暴れるが、複数の顔無しに囲まれ、無惨にも引きちぎられる。
肉片と鮮血が飛び散り、校庭の砂にばらまかれた。
時間が無いことが眼前に突きつけられたような心地であった。
即断即決。優柔不断など、自身の性ではないと浩は自嘲する。
ギアを上げた。
「仮契約だ」
『仮?』
「この騒動に終止符を打つまで限定で、契約してやる」
契約、と言っている以上、浩の了承が要るのは確かだ。
そうである以上、浩にある程度の権利が発生している。
ならば、浩から契約に条件を付け足すことも可能なはずだった。
『慎重なこったなぁ』
「大分勇敢なつもりだ」
『そうだなあ……まあいいぜ、分かった』
目玉のついた触手が、頷くように縦に動く。
器用なことだな、と浩は場違いにも思った。
『んじゃ、そうだな、腕を出せ』
「腕に寄生するのか?」
『そうだぜ。さっさと白衣捲んな』
浩は言われたとおりに左腕の白衣の袖を捲った。
サンショウウオもどきは、尻尾を動かして先端の口のような部分を、浩の手に向けた。
『行くぜぇ』
その声とともに、円形に並んだ歯が浩の手のひらに食らいついた。僅かな痛覚が、浩の神経を走る。
ブリュブリュと音を立てながら、茶色い肉が浩の手に入り込んでいく。食道の蠕動運動のような動きで、徐々に潜り込んでいった。
浩はその気持ち悪さに、鳥肌が収まらなかった。顔をしかめながら、歯を食いしばって嫌悪感に耐える。
一体その質量が腕のどこに収まるのかと言うほど、サンショウウオもどきの体は浩の左腕に寄生した。
『終了だ』
浩は伸ばしていた腕を曲げてみる。さらに手を開きは閉じと繰り返す。どうも違和感は無いようであった。
見た目も特に変化はない。
手のひらを覗き込むと、真ん中に目玉があるのが確認できた。
「……まだましだな」
最悪左腕がサンショウウオのようなビジュアルになることを覚悟していた浩は、少しだけ安心した。
『失礼な奴だなぁ』
どうやらこの状態でも会話は可能なようである。
どこに発声器官があるのか、浩には見当もつかない。
「……いや、それより。時間が無い」
浩は窓の外を睨みつける。
巨人は、崩壊した体育館を覗き込むように屈んでいた。
『ギャハハッ』
何がおかしいのだろうか。
浩は手のひらにある目玉を睨みつける。
すると、目玉は浩の顔を覗き込みながら言った。
『さあ救世主のチュートリアルだ。まずは全校900余人を救ってみようぜ?』
「チュートリアルにしてはハード過ぎるだろ」
『ハードな鬼畜ゲーは嫌いか?』
目玉が挑戦的な声色で浩に聞いてくる。
「ハッ! 上等だ」
浩は巨人を見据えながら眼鏡を右手で押し上げて、口元を釣り上げた。