EPISODE.13「綺麗だな」
「それは……その、すみません」
「いや、いい。過去の話だ。いつまでも引きずっている訳じゃねぇ」
気まずい様子を見せる江鷺に、店主は手を振って答える。
「ただ、あいつの葬式上げてるときに、奴らから逃げたくないと思った。……仇討ちとは違うが、俺なりの抵抗って奴だ」
カウンターに、店主は手を置いた。
薄い金属板が貼り付けられたカウンター台は、縦横無尽に細い筋のような傷がついており、調理室の古びた蛍光灯の、無機質な白い光を同心円上に反射していた。
コンロに油汚れが紋様を描き、鍋のヘリから水のカルキが白い蔦を垂らしている。
浩は後ろを振り向く。
床とテーブルの色は微妙に不調和であり、壁の四隅には埃が黒く染みついている。テーブルにはコップの水垢がうっすらと付着していた。
使い古されたメニューを包むビニルは手垢で薄汚れ、蛍光灯の両端の塗装が剥がれ、鉄錆が僅かに姿を見せていた。
「綺麗だな」
浩は、端的にそう思った。
「……悪いな、飯がまずくなる話しちまった。早く食ってくれ。麺が伸びちまう」
「あ、えっと……はい」
席を立ちながらそう言った店主に、江鷺は一瞬返答を迷った後に首肯した。
「……そういえば助山さん、さっき何か言いました?」
「気のせいじゃないか?」
適当にはぐらかして、浩は麺を啜る。
ラーメンは旨かった。
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「では、また機会があれば」
「ああ」
帰る家の方向も違うため、浩と江鷺はラーメン屋の暖簾をくぐったところで左右に分かれることとなった。
適当な挨拶をすませ、浩は帰路に就いた。
『熱かったんだぜぇ……』
「しょうがないだろう。表に見せる訳にも行かないのだから」
流石に食事中にも手袋をつけているのは、不自然であるし行儀が悪い。浩は先ほどの食事中、常に左手の平をラーメンの丼ぶりを持って隠していたのだ。
結果、あつあつのスープの伝導熱が、イーターの目玉を攻撃していたらしい。
「疲れ目がとれて良かったじゃないか」
『アイケアのレベルじゃ無かったんだがなぁ』
とどうでも良いことを話しながら、アスファルトの上を歩いていると、ズボンのポケットの中から、振動が浩の足に伝わってきた。
浩はポケットの中に仕舞っていた黒一色のスマホを取り出し、ディスプレイを確認する。
「……努?」
着信画面に表示されている番号は、努のものであった。
通行者の邪魔にならぬよう、浩は壁際に寄り、すぐに受話器のアイコンをタッチした。
「どうした」
『浩。早速です』
「……そうか」
電話越しの相手が言わんとしていることは明白である。
『モンスターが現れました。お願いできますか?』
つまりそう言うことである。取引してすぐにこれとは、浩が想定している以上にモンスターの出現頻度が高いのか、はたまた偶然か。浩には判別つかなかった。
「問題ない。急行する。位置を教えろ」
浩はスマホを左手に持ち替えて、そう答えた。
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秋葉原──通称、聖地。
モンスターが現れて以降、あらゆる趣味趣向をもった者達は抑圧される事となる。
一昔前の電気機械、改造用パーツ、ポスター、フィギュア、人数限定のレア物、大昔の機械、エトセトラエトセトラ。
コレクター、それに類する者達は、モンスター出現以前とは比較にならないほど不自由な生活を送る。
地上にあれば、コレクションはモンスターに容易に破壊されるかもしれない、かといって、地下に場所を設けるには金がいる。
マニアックな商品を取り扱う店は、地上から徐々に消えていく。資金がある店は地下に。無い店は営業を諦め。
コレクターとなるには、膨大な金が必要となった。あらゆるマニア、オタクも然り。数多くの同士が夢半ばに膝を折り、また多くの同士が金欲しさに身を落とし、ブラックな企業の毒牙にかかり、社畜となって社会の歯車として消耗している者も多い。
かつての輝きは失われた。
そして、彼等には不平不満が累積していた。
抑圧された感情は、一所に吹き出し爆発する。
聖地秋葉原、またの名を『吹っ切れた街』
秋葉原は、何故かここだけかつての輝きを五割り増しにしていた。
「──かなり早く着けたな」
『途中で車を追い越して来たからなぁ』
浩とイーターは、その街の入り口にいた。
既に浩は変身していた。身体強化した状態でここまで来たのである。前回の一つ目との戦闘で、引き際についでとばかりに殺した顔無しの分の、余剰エネルギーを使っていた。
充分にエネルギーはあったが、それでも安心するには程遠い。もう一度またあの一つ目のようなデカいモンスターと戦えと言われても、難しいだろう。
身体強化は、短距離を全力で走るような物である。例えば別の街であれば、浩も電車などの交通機関を使って現場に向かっていただろうが、幸いにも秋葉原は近かった。距離にして、駅一つ分だ。実際、かつてJRが地上を走っていた際も、隣駅であった。
地下鉄が主流となった現在、地上の線路跡は自動車用の大通りに姿を変えていた。送電線やレールが破壊されれば走行不可能となり、ダイヤが大幅に乱れる電車と違い、ある程度自由が利く自動車は、まだ地上の道路を走ることも多かった。
かつて線路だった神田川沿いの大通りの中央分離帯を、浩は一直線に走ってきたのである。その程度なら身体強化して走っても、まだ充分余裕はある。
「take off」
浩は一度変身を解除し、ポケットからスマホを取り出す。
変身に巻き込まれていた筈だが、スマホは多少蒸れているだけで、罅などは見受けられなかった。
無論、浩の眼鏡も無事である。
「……次からは眼鏡は外していくか?」
だが、やはり浩は壊れないか少々心配であった。
『外してまともに見えるのかぁ?』
「伊達だ」
『えぇ……』
イーターが閉口している間に、浩の左耳に当てられたスマホのコール音が途絶え、努の声が聞こえてくる。
『浩』
「アキバについた。モンスターの位置は変わってないのか?」
『いえ。動きが素早く、既に位置を変えています。申し訳ありませんが、こちらの手の物がつい先ほど、対象を見失いました』
「……わかった。最後に見失った地点を教えてくれ。後はこちらで捜索する」
浩は努から詳しい地点を聞き出し、通話を終了した。
「put on」
ポケットにスマホを仕舞うと、再び変身を行う。
ごっそりと何かが吸い取られ、浩の全身に倦怠感が広がる。
「……やはり、連続での変身はキツいな」
だが、それをしなくてはならない理由がある。
変身中は、浩の声や、姿を反射する光は全てシャットアウトされる。それはつまり、変身の皮膜の内側から発信された電波が、外側に届かないことを意味する。
現在のスマホなどの通話装置は、電波の往復を前提とした設計を為されている。浩のスマホは外からの電波を受け取ることが出来ても、発信することは出来ないのだ。
スマホを変身後に別途で持つことも可能であるが、その場合も浩の声はあちら側に届かないし、なによりスマホがひとりでに空中に浮いているというけったいな光景を生み出すこととなってしまう。
変身中の通話は不可能、という結論に至ってしまった訳である。
通話をする際には、一々変身を解かなければならないし、努からの緊急連絡があったとしても浩には届かない。早急な対策を必要としていた。
例えば昔のラジオや無線機ならば、少なくとも変身中の情報伝達は可能であるが、所詮十年昔の産物。半端な中古品しか存在しない。
『で、どうやって探すんだ?』
「地道に行くか。まあ、見やすい所から眺めるしかないだろう」
そう言いながら、路地裏から通りに出た浩は、隣にあるビルを見上げた。その壁面から、多数の看板、昼間でもお構いなしに光る電光掲示板がせり出し、華やかというよりは、雑多な印象を受けさせる。掃除がされていないのか、うすら汚れているのがそれを助長していた。
浩は足の筋肉にエネルギーを通し、一階の専門店の看板に飛び乗り、すぐに足蹴にして二階の看板に飛び移る。
時として窓のヘリに手をかけ、スルスルとクライミングを行った。
ビルの壁面が面する通りは並程度の人通りがあったが、透明である浩の存在には誰一人として気づかない。
数秒間の後に、浩はビルの屋上に到着した。
『上からかぁ』
「ああ。このまま屋上を飛び石にして、目的地に向かう」
浩の頭には秋葉原の地図が入っている。例え見慣れぬ屋上からでも、位置は正確に把握できていた。
目指す方向へ向け、浩は足を強化して屋上のヘリから空中へ飛び出した。