EPISODE.12「顔は関係ないだろう。顔は」
『結局、現時点で足りないものってのは、情報だったってことかぁ?』
「そうだ。闇雲にモンスターを探したって、見つからんだろう」
イーターの質問に、浩は答える。
それを聞いたイーターは、少し拗ねた声色で浩に言う。
『オイラにモンスター感知能力があるとは思わなかったのかぁ?』
「無いだろ?」
『ねぇけどよ』
なら言うな、と浩は吐き捨てる。
『一回くらい質問してくれてもよかったんじゃねぇか?』
「変身しても、モンスター感知能力なんて無かっただろ?」
イーターに感知能力が備わっているならば、変身した際の能力の一つであっても可笑しくないが、そんな能力は無かった。それならば本体にも無いだろうと、浩は考えていたのだ。
『思い込みは良くないぜぇ』
「へいへい」
イーターの苦言を受け流しながら、浩は中を見回した。
飯田組との取引について、一通りの話が終わった後、浩はまた駅前の通りを歩いていた。
もともとそれほど長居するつもりは無かったのだが、努が遅れたこと、予想以上に修行に熱が入ってしまったこともあり、予定は大きく遅れていた。
簡単に言ってしまえば、浩は腹が減っていたのだ。
三時半。明らかに昼食をとるには遅すぎる時間である。浩は道場に向かう前に、念のため一枚だけ食パンを腹に収めていた。だが浩はその体格もあり、燃費が悪い。
家に帰ってから自炊するのも面倒であり、駅前の適当な店で飯を食うことにしたのだ。
後々の事を考えれば、食費は節約した方がいい。だが、駅前の地上にあるような店は大抵リーズナブルなので問題は無かった。
値段の高いレストランなどは、モンスターを警戒して地下に店を構えているのだ。
各々の店の安っぽい入り口から漏れる、微かな匂いを嗅ぎながら、どの店が良いか散策していると、浩の目に一つの赤い看板が移った。
「ラーメン、か」
その店のランチの時間は四時までであるようで、今入店しても食うことは出来るだろう。一度浩はそのラーメン屋で食ったことがあり、試しにと選んだ豚骨ラーメンを待つ間、隣の客が食べていた醤油ラーメンがやけに旨そうであったことを良く覚えていた。
豚骨も旨かったのだが、次に食べるときは醤油を選ぼうと考えていたのだ。
「良い機会だな」
『ん? ラーメンかぁ?』
イーターが手袋越しに浩に聞いてきた。
『良いなぁ、食えないのが残念だぜぇ』
「……食ったことがあるのか?」
『あるように見えるかぁ?』
浩は、サンショウウオの様な姿をしたイーターの本体が、ラーメン屋のカウンターに座っている画を想像した。
「見えないな」
『だろぉ?』
じゃあなぜ味を知っているような言い方をしたのか、浩は疑問に思ったが、どうせまたサブカル知識であり、企業秘密であると言うだろうと思い直す。
イーターがなぜ少々昔に偏った豊富なサブカル知識を持っているのか、謎である。
『入らねぇのかぁ?』
「入る。流石に空腹が限界だ」
少し色の落ちた赤色の布に、店の名前が白でかかれた暖簾をくぐり、浩は店内の様子を覗く。
カウンター席と、四人用のテーブルが幾つか並んでいる。意外と内装は綺麗であった。
そしてカウンター席があることに、浩は少々驚く。カウンター席というのは、近年では廃れてきた様式であるのだ。そこには地下に調理場を設けるという前提が根付いた事もある。モンスターの襲撃時、客席にいる客は避難口からも逃げられるが、調理場にある設備は逃げられない。調理場が破壊されては手当があれど再び店を構えるのは困難であり、せめて調理場だけでも地下に、という考えが一般的であった。
なかなか人気の店であるのか、この時間でも数人の客が見えた。
自身が座る席を探していると、偶然にも浩は、顔を知っている人物を見つけた。
カウンターの奥から二番目の席に座っている男に近づき、浩は
「隣、いいか?」
と聞いた。
当の聞かれた男は食べる手を止めて、浩を振り返り、少々驚いた様子を見せ、
「あ、ああ、良いですよ」
と答えた。
「久し振りだな」
浩は席に座りながら、話しかける。
「ええ。ご無事で何よりです」
「こっちの台詞だ」
男は、浩が高校で化学教師をしていた頃、助手を務めていた青年であった。名を──
「なあ聖者」
「ゲホッ! ……ゴホッ…………あの、いい加減、僕を名前で弄るのやめて貰えます?」
名を江鷺 聖者という。
ラーメンのスープで咽せたのか、少々せき込んだ後、江鷺は軽く浩を睨む。
「悪い悪い」
浩は手をヒラヒラと振りながら、さして反省もしていない様子で謝る。
名前というのは時にデリケートな問題となりうるが、そうであれば浩もからかったりはしない。
数年前のネーミングブーム──キラキラネームと言われたそれは、バブルが崩壊するように一気に冷めた。結果として世代の犠牲者は、自身の名前を恥じ、改名を求め役所に殺到したという。
その際、改名制度が非常に簡略化されたのだ。今では、改名というのはさして手間も係らない、一般的な物となっている。
このご時世、未だに下の名前を変えていないという事は、少なからず江鷺本人がその名前を気に入っているということに他なら無いのだ。
「まあ心配したってのは本当だ」
店主に醤油ラーメンの注文をした後、浩は江鷺に言う。
「気絶していた所を救助されたそうじゃないか。トラウマにでもなってないかと思ったが……一見して精神的にも問題なさそうだな」
「……ちょっとしたトラウマにはなってますよ」
江鷺は眉をしかめてため息をついた。
助手である彼はさっさと校内から逃げ出した、と浩は思っていたのだが、後に体育館付近で気絶していたのが見つかったという話を聞いたのだ。
本人の話では、突然のモンスターに錯乱し、体育館に逃げ込んだ所でモンスターが体育館を破壊。その時に気を失ったという。
逃げ込んだ先が、唯一の大規模な被害現場とも言える体育館とは、この話を聞いたとき、よっぽど不運だなと浩は思ったものであった。
「助山さんこそどうなんです? ……主に社会的に」
「あー……教師を続けるのは難しそうだな。何とか食い扶持を探してるところだ」
店主が麺の湯切りを始めた。店内にチャッチャッ、という心地よい水音が響く。
不運な話ではあるが、助手である江鷺は教師ではないため、生徒を避難させる義務は負っていない。そもそも彼はかの学校での雇用期間を満了していないはずであった。
これからの事を考えれば、浩の方がよほど真っ暗である。
もちろん、飯田組との取引が無ければ、の話であるが。
「気絶した僕が言うのもなんですが、助山さん、顔に似合わず臆病ですよね」
「顔は関係ないだろう。顔は」
先程の浩の名前いじりを根に持っているのか、江鷺は少々棘のある事を言う。
「それを言うなら、お前も繊細だよな。名前に似合わず」
「名前は関係ないでしょ」
「何五十歩百歩な事言ってやがる……あいお待ち」
少々醜い言い争いをしているところに、店主が浩の注文したラーメンを持ってきた。浩の目の前に、少々荒っぽく器とレンゲ、お絞りを置く。
「茶はセルフな」
「はいはい」
茶を入れる器械は丁度浩の席の近くにあったため、すぐに入れて自分の前に置く。
「親父さんは図太そうですよねぇ。顔だけの助山さんとは違って」
「おい」
江鷺は相変わらず失礼な事を言う。だが、浩もその意見には同意するところがあった。
「まあ確かに、ドンとカウンターを構えているのは、度胸がありますね?」
「ん、まぁ……な」
店主は顎の無精ひげをさすりながら、少し遠くを見るような目をカウンターに向けた。
「ウチは代々このスタイルでな。腐れモンスターなぞに破られて溜まるかって話だ」
「……モンスターになんか恨みでもあるんですか」
口が悪い店主に、江鷺は疑問を呈するが、少々迂闊であったと彼は後に後悔することとなる。
「……二年前、妻がな」