アスカ、共時性(シンクロニシティー)
二十歳になり、少年院を出たアスカは、親分から事務所を任されることになった、「ワカ」というリンカーン・コンチネンタルを乗り回す、博多からきた同じ歳の男と、たった二人でだ。
事務所を任される、といっても、親分は繁華街のど真ん中の、ビルの八階の一室に部屋を借りてくれただけで、家具も冷蔵庫も洗濯機もなんにもないし、肝心な、しのぎ、もない。
ただ親分の言うことは「代紋」で食べて行けと言うことだった。代紋とは、つまり、組織の名前だ、この名前一つですべてを賄えというのだ!
私の親分は典型的な「昭和の博徒」だった、親分はどんと構えているだけでよし、あとはすべて若い者がやるべしという仕来たりで、
親分の生活から遊興費、事務所の維持に義理事も、すべて私たち二人が賄わなければならない。
だからなんでもやった、しかし極道だから一本筋を通さなければならない。
最初は近所の客引きたちから情報を仕入れ、トラブルの仲裁やら、自分の部屋で知人に遊びに来てもらい、賭博をして博打の寺銭で上がりを上げたり、とにかく色んなことをやった。
博打というのは、長く続けば続くほど胴元がもうける仕組みになっている、カジノと同じだ、
ただアスカは自由気ままに街をさ迷うのが好きだった、そのころアスカは気の向くままに直観で行動しながら、「宇宙のリズム」というものがあり、
自分はそれに同調していることに気づいた、アスカは自己流に、宇宙のリズムなどと言ってたが。
それは、心理学者のカール・ユングの提唱していた「共時性」つまり、シンクロニシティのことだった、