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学校の赤い階段

 赤。

 いつもの学校。

 鮮血に染まるの廊下。血糊がついた窓。

 空の色は赤い。雲の色は黒い。町も、真っ黒なシルエットでしかない。地球が死んでしまったと言われても納得しそうな「死」の色で彩られた空は、とても不気味だった。


 ツンとした臭いが鼻を突く。そのわずかな痛みは吐き気を誘う。

 気分の悪さにたじろぐ。すると、足元がぬちゃりと生ぬるい音を立てた。血だまりが靴と床の間に敷かれている。

 きっと血の鏡面の赤い世界から、何かが僕を見下ろしている。


 頭がクラクラする。立ちくらみの時のように、果てしない虚無感と倦怠感が体を支配している。


 とにかく、ここから出ないと。

 家に帰ろう。今日の夕飯は外食なんだ。僕が遅れるようなら、両親は姉だけ連れてさっさと行ってしまう。早く。


 歩を進める。足を踏み出すたびに、床の血に波紋が生まれ、靴裏の溝に入っては抜ける。足を床から剥がすたびに、逃すまいと血がへばりついてくる。


 僕が歩くたびに生まれる生々しい音。腕の毛は逆立ち、背骨は金属に作り変えられたかのように硬く、冷気を放っている。


 吐きそうだ。


 食道から這い上がってくるものに蓋をするように、口に手を当てて歩く。よろよろとした身体を支えるために、壁に手をついた。


 ぬるり。


 生ぬるさの向こうの、流線的な起伏に触れていた。


 壁のような、無機質で排他的な感触はない。

 柔らかい。しかし、いくつか少し硬い箇所もある。


 それはまるで。


「うわあああっ!」


 赤で濡れた人の顔。胸元まで壁から出ている。

 僕はそれに触れていた。


 例えるなら、ゲームのバグのような光景。


 僕がつかんだ顔面についたふたつの瞳が、僕を見る。

 聞き取れない小さな声で囁いて、メトロノームのごとく大きく身体を揺らし始めた。壁から抜け出そうとしているように見える。


 逃げなきゃ。


 恐怖に染まった頭がひねり出した答えに従い、駆け出す。


 怖い怖い怖い怖い。とにかく怖い。死ぬ。殺される。


 飛び散る血など意に介さず走る。


「うわあっ」


 足首を掴まれた。体は止まらずに、僕が溜めてきたスピードをそのままに赤い床に突っ込む。とっさに突き出した手で怪我は免れた。その代わり、体の前面は血の池に浸かってしまった。


 早く早く。逃げろ。


 まだ足に掴まれたような感覚が残っている。それに恐れを抱きながら、体を起こした。


 そして目に飛び込んできたのは、赤い血の向こうにある、無数の顔。

 顔。顔。顔。

 僕の顔を数から引いても、30個はくだらない顔が、赤の鏡面越しに、虚ろな瞳で僕を見ている。


 全身が粟立つ。寒さや暑さをいっしょくたにした不思議な温度が、体の内でうねる。


「うっ…………ひぅっ…………」


 悲鳴を忘れ、跳ね回る心臓に打たれた血の流れを感じながら、ふたたび走り出す。


 先に、階段があった。曲がって階段を下りていく。


 階段も赤で埋まっている。床の下の色が見える部分を瞬時に見つけて足を置き、また次の足を置く場所を探す。そうしながら必死に、階を下る。


 不意に、狭くなった視野に窓が映った。そして、窓の外の景色も見えた。


「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」


 息が荒くなる。これまでよりもっと、息苦しくなった。


 だって、僕は階段を下ったはずなのに、窓から見える町並みは前に見た景色よりも俯瞰気味になっていた。

 どんどん高い階に、出口から遠い場所に向かっている。


 それなら、上に登るしかない。


 振り返り、引き返そうとした。

 階段の踊り場に、白い柱が立っていた。


 いや、白い服を着た、柱のように細く長い女だ。

 頭は天井よりも高いのか、首をかしげるようにしてどうにか直立する形をとっている。


 女の口角が鋭く吊り上がる。雲や町のように黒い口腔と、空のように赤い舌が覗いた。


「っ!」


 階段を駆け下りて、廊下に出る。何度か滑りそうになりながらも、必死に足を回し、適当な教室に飛び込んだ。

 鍵を閉めて、目を閉じ扉に背を預ける。


「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」


 呼吸を落ち着かせ、しばらく経ってから目を開いた。そこには、どの教室も存在しなかった。

 ここは、学校内ではない。


「ひっ!」


 たくさんの子供が、目の前に列をなしていた。20名ほどだろうか。今風の服を着ている。僕は彼らの列の最後尾に立っていた。


 ここは、古びた大きな家の縁側だろうか。右手には穴だらけの木の壁。左手にはいくらか小さな瓦礫の山が見られる、雑草だらけの庭。その向こうには、赤い空に、黒い雲と町のシルエットが構えている。


 後ろを振り返った。そこにはまだ扉があった。

 もう一度子供達を見てみると、列が進んでいた。


 僕は抗いようのない強い力に促され、その列に意識的に並ぶ。

 列の先頭の子供を見る。庭側に置かれた小さな木の箱の上にある何かに触れて庭に出て行った。

 その子供の行く先には、まだまだたくさんの子供が並んでいた。どこかに向かっている。


 列はゆっくりとだが進んでいく。

 箱の上に置かれた何かに触れてはブツブツと何かを呟き、庭に降りる。また、次の子供も同じようにブツブツと何か言っては、庭に降りる。


 背後に気配を感じたので見てみると、俺の後ろに子供の列ができていた。心臓が跳ねる。

 視線を上げると、さっきまでいた場所には入ってきた扉がある。少しだけ安心した。


 そして俺の前に並んでいる子供は3人となった。彼らが触れているものが何かはっきり見える。

 市松人形だ。等身が低めでふくよか。赤地に金の刺繍が入った着物を着ている。そして黒いおかっぱ頭。最近のフィギュアのような可愛さは一切ない。


 それを見て、なぜだか恐怖と競り合うように好奇心が疼き出した。


「…………」


 前の子供が何かいた松人形に触れながら何かをブツブツ言って、行ってしまった。


 次は僕の番だ。


 人形にふれる。


「サカサマサカサマサカサマサカサマ」


 その不気味な謎の言葉は、俺の声だった。僕の口が勝手にそのように喋っていた。

 反射的に手を退かせる。


 なんだ今のは。


 市松人形を見るが、無機質な表情で天井を眺めているだけだった。


 僕もあの子達についていこう。


 寒気を押さえつけながら彼らの後を追う。


 しばらく雑草の茂る庭を進むと、正面に扉があった。学校の扉だ。


 子供達はこの扉には興味を示さず、どこかに歩んでいく。


 僕は扉の前に立つ。そして開いた。


 廊下。生臭い臭いが充満している。そういえばさっきまで僕はこの悪臭の中にいたんだ。

 扉をくぐり、非常階段へ向かう。


 またさっきの階段を使ってあの女と鉢合わせてしまってはたまらない。


 絡みつく数多の視線を無視して、廊下の端までやってきた。非常階段へ続く扉を開く。

 気持ちの悪い空気が全身を包む。血の臭いはもっとひどくなった。


 鉄製の階段に立ち、手すりから身を乗り出して上を見上ける。校舎の壁は数メートルで途切れ、その先は真っ赤な空があった。上の階は屋上なのだ。


 階段を上る。折り返して扉の前に来た。手すりから身を乗り出して上を見る。屋上が遠ざかっていた。

 やはり、階段を下りれば階は上がり、上れば階は下がるようだ。


 この学校から解放される。


 その一心で、狂ったように階段を駆け上がってく。すぐに脇腹が痛み出す。だが、止まれない。早く逃げ出したい。


 手すりを使いながらまだ上る。すると、校舎の壁に扉が見られなくなった。

 校舎側に扉がないのは1階と2階の間のみ。2階は過ぎた、ということだ。


 景色を確かめると、やはり、地面がとても近づいている。この建物から解放される時は近い。


 ここを下りて、すぐに走って校外へ出よう。


 そう心に決めながら階段の折り返し地点に来た。そして、さらにまだ階段が続いていることに気がついた。


 非常階段は地下から出ているわけじゃない。だから、上がって地上に出るというのは不可能ってことなんだろう。


 はやく。


 自分に急かされるまま、段を飛ばしながら階段を下りる。


 校舎の壁。接地していない階段。

 それが下りた先にあった。


 下りる。下りる。下りる。


 何階も下りた。


 でも、その度に僕を迎えるのは、校舎の壁と終わらない階段だった。


 次は上った。

 何階も上った。


 相変わらず僕の目の前に現れるのは、壁と階段。


 絶望した。


 僕は始まりも終わりもない空間に迷い込んでしまった。


 手すりを超えて飛び降りようか。

 だが、ここは普通の空間ではない。飛び降りた時僕に迫ってくるのは、地面ではなく赤い空かもしれない。

 僕は宇宙に投げ出されてパンクして、血肉を撒き散らし死ぬのか。

 いやだ。死にたくない。


 視界の隅に影がちらついた。そこに視線を向けると、階段からしばし離れた場所に人が立っていた。ボロボロの服を着て、伸びた髪で顔は見えない。

 また影がちらつく。

 そちらに視線をやると、地面に両手両足をついた髪の長い女がいた。


 気持ち悪い。なんだこいつらは。怖い。殺される。


 階段を上る。あれから距離を取るために、体が勝手に動いた。


 階段を上り、地面を見た。

 腕がおかしな方向に曲がった者。

 下半身だけの者。

 内臓が体外へ流れ出ている者。

 黒焦げの者。


「うわああああああああああああ!」


 増えていた。


 階段を上る。怖い。今すぐこの場から遠のきたい。


 5階上ると、あることに気がついた。階段が、数多の化け物に囲まれていた。手を伸ばせば、僕の足をつかめるだろう距離にまで近づいていた。

 階段に振り向いた時、壁に影が見えた。変な凹凸。よく見ると人の顔面がせり出ていた。


 階段を上った。


 化け物たちは手を伸ばして僕の足を捕まえようとしてきた。

 壁から人の頭が出ていた。


 階段を上った。


 足を掴まれたので踏み潰した。何体も腕を追ってやった。

 壁から、人の、肩から頭が飛び出している。


 階段を上った。


 化け物たちの中に、白い柱が見える。いや、あの時の女だ。

 階段に群がっていた化け物たちが、階段を形作る鉄の棒に登り始めた。

 壁にいくつも影が増えていた。その影のひとつは、頭から腰まで出てきていた。


 階段を上った。


 何体かの化け物が、手すりを超えて階段に到達した。

 細長い女が手すりに手を置いて、俺を覗き込んでいる。

 壁からたくさんの顔が出てきた。壁から飛び出た人影が、うねうねと体を大きぬ揺らし始める。


 階段を上った。


 全身から(うじ)のわいた男に掴まれた。振りほどこうともがくとその腕は崩れてちぎれ、肉の中から数百の蛆を撒き散らす。僕には何十という蛆がついた。

 細く白い女が、悠々と足を上げて手すりを超えた。

 壁から、人が出てきた。さっきまで出てきていた幾つかの顔は、いつの間にか腰ほどまで出てきていて、それぞれが体を大きく揺らしている。


 階段を上ろうとした。

 階段の隙間から足を掴まれ倒れた。次々と手が出てきて、僕を階段に押し付けて動けなくなる。白い柱の女が、僕の元にやってきた。

 壁から次々のと人が生まれ落ちて僕の方へ這い寄る。


 いやだ。


 たくさんの化け物が僕に群がりはじめる。


 いやだ。


 いやだ。


「いやだ! 死にたくない!」


 いやだ! いやだ!

 死にたくない! 死にたくない!


「誰かああ! 助けて! 誰か!」


 いやだいやだいやだ。


 死にたくない死にたくない。死にたくない。


 暖かく生臭い液体が僕の全身に浴びせられた。

 それは僕の顔を覆う。粘り気があるせいで目を開けても膜になって視界が真っ赤に染まるだけだった。


 たくさんの手につかまれる。舐められる。千切られる。噛まれる。刺される。焼かれる。捻られる。折られる。


「あああああああ! やめろおおおお! 痛い! 誰か! 誰か! たす、けて! 助けて!」


 痛くて、怖くて、死にたくなくて。


 そして、赤かった。





 ◇





「これは! 大成功ですよ!」


「ああ……なんて誇らしいんだ」


「いや〜、しかし。こんな世紀の実験に関われるなんて、なんて光栄なんだろう」


「素晴らしいです! まさか、人工知能に生存本能をプログラミングできるなんて、我ら、歴史に名が刻まれます!」


「しかし、途中で記録が途切れたのだけれど、なんだったのかしら」


「不具合かね」


「私を含めた5人で10回もチェックをしたのだ。それはない」


「それならあれはなんだったのでしょうね」


「それを確かめるために、まだ実験を重ねないといけないな。発表には、完全な結果を出さなくては」


「そうですね!」


「君は完璧を求めすぎだ」


「そうですかね。まぁ、成功してよかった。次の実験はどうしましょうか。同じシチュエーションでやるのか、全くべつの状況でやるのか」


「べつのものがいいな。そうだ、成人ぐらいまで精神を育て、教養も与え、50億年ほど精神だけを取り出して放っておくというのはどうだね」


「高性能のコンピュータをどんだけつなげても、中での三十億年は、こっちで30年はかかるでしょう?」


「一億年の経過なら、頑張れば半年で済ませられます」


「それで行こう」


「さっそく次の実験の準備だ」


「今回の記録まとめとけよお前ら」


「はい!」


「わかりました!」


 #43は、多大なストレスによりプログラムが破壊され、その活動は終了した。同時に、人工的につくられた自我も、恐怖の信号を発したまま消滅した。

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