濃刃山の麓
――タクシーは、繁華街を抜け、北へ向かった。
「ねぇ、アリサ。本当にそこに行くの?」
「勿論。肝試しみたいでワクワクするねぇ、トモ君」
「ワクワクはしないけども、ちょっと緊張しますね」
向かう先は、ここからおよそ三十キロ程北にある小さな山、濃刃山。
その山の麓にある神社の鳥居付近で、近所の住人がリンさんらしき人を目撃したという。
あんな目立つ女性は中々居ないから、恐らくリンさんに間違いないのかもしれない。
長い黒髪に美貌を携えた女子高生が、濃刃神社の鳥居の前にひっそりと佇む姿を想像したら、少しゾッとする。
無駄に似合いすぎる。ホラー映画も真っ青だ。
目撃した住人の心中や如何に、といった所だろうか。
「――この地域には″神隠し″の伝説や逸話がかなりあって、昔からこの山の神様が人を拐うと言い伝えられているのよねぇ」
「そうそう、アリサお姉ちゃん。
この世界の神様ってさ、やってる事が全然神様らしくないんだけど、それは何故なの?」
確かに。神様が悪さをするって何なの。
「その前に予備知識が必要だね。
この世界には昔、八百万の神々がいたとされているんだけど、神々の争いが起きた後は……現実には二百万いるかどうかともいわれているの」
「殺しあったのか……
でも、一つの世界に……二百万? それでも多い気が」
トモ君は眉間に手をやり、頭を振った。
「この世界は、いや、住んでる人々が面白くてね。
他所では決して神様扱いされないような、例えば低級霊の類いも神様として祀っちゃうようなフランクな人々の集まりなのよ」
「マジか! フランクって言うか、アバウトって言うか……凄いなぁ」
「凄いよね。さっきも言ったけど、この世界じゃ、一人の神様を拝んでるつもりが、いつの間にか沢山の神様を拝んでる事になるように仕組まれてるのよ。
神様の名前が、一人で沢山の名前を持っていたりするの」
「別名ですか。面白いね」
「そう。神様の名前を沢山書いた紙に、祈りを捧げたりしてね。
只でさえマナの少ない物理世界だから、神様も祈りの力を奪い合う訳にはいかないのよ。
要するにここの神々は、共存共栄の道を選んだの」
タクシーはどんどん北上し、畑と田んぼしか無いような地域をひた走る。
「――なるほどね。面白い世界だ。
他所に行けば腐るほどマナがある世界なんて、沢山あるのにね。なんでそうしないのかな……」
「わかんない。でも、上手くやってたんだよ、きっとね。
神と呼ばれて調子に乗った低級霊が悪戯レベルの悪さをしているだけで、この世界が何となく幸せだったのも、アルファが現れるまで。
あいつがこの世界の神々をたぶらかして、世の中はめちゃくちゃになったんだよ」
アリサは車窓を半分開け、深呼吸をした。
「アリサお姉ちゃん……」
「だから、あたしは戦うの。
一人でも多くの人を覚醒させて、アルファを倒すその日まで、徹底抗戦してやるんだって決めたの」
そう言いながら、アリサがあたしを見た。
何か、ニヤニヤしてる。
「な、何よ……」
「さっき、あたし、気付いちゃったんだぁ……フフフ」
悪戯な目で笑うアリサに、トモ君は訊ねた。
「何がです?」
「今回のループ。
リンさんが覚醒した後にループが起きたんだよねぇ」
「はい。アルファが間に合わなかったと考えるのが自然かと思うけど……違うの?」
アリサのニヤつきは治まらない。
「あたしもそう思った。そうかも知れない。
いつもより短い周期だったから、間に合わなかったのかなって。
そうだとしたら、今回の作戦は成功したって思って間違いないけど、あたしはそうは思わない」
「何が、言いたいのかよく解らないですが……」
話を勿体振るアリサ。何が失敗だと言うのだろう。
リンさんが覚醒したんなら、成功じゃ……
あ、まさか……あたし?
「今までこの数百年、一度も失敗してないの。少なくともこの百年は、アルファに失敗は無かった。
となると、アルファの目的はリンさんじゃなくて、別の所にあったとも仮定出来ない?」
トモ君も、あたしを見た。
「まさか、さやかお姉ちゃんが……本命なら……」
「ちゃやかが本命なら色々と説明が付くよね。覚醒しない事に何か理由があるかも知れない」
「ループ前に、僕が″見えた″のも、さやかお姉ちゃんだけだった……」
二人は、とても嬉しそうな顔をあたしに向けていた。
「待って、待ってよ、あたしなんかそんな、そんな特別なもんじゃないってば」
「解んないじゃんそんなの。
リンさんは、このあたしに託したのよ? あなたの事を。
この意味を考えたら、あなたはきっと特別なのよ! キャハー!」
「何だか僕もそう思えてきました! アリサお姉ちゃんが、この世界の鍵を握っているのかも!」
この子も何を言っているのか……
「馬鹿な事言わないでよ、どこにでもいる普通の高校生に、何が」
「さあ、そろそろ着くわよぉ。
気合い入れていこー!」
おーっ! ってなるのはあんた達だけでしょ。
――山道に街灯が一つ、ぽつんと点いているその先に、古びた鳥居が見えた。
此処が、濃刃山か……不気味。
真夏だというのに、何だか肌寒い。
あたしの心は既に、拒絶が始まっていた。
「やっと着いたね。で、アリサお姉ちゃん。
運転手さん、どうするの?」
そうだ、タクシーの運転手さん、魔法の命令で此処まで運転させてきたんだっけ。
「多分、暫くは大丈夫だと思うけど……マナが尽きたら我に返って、きっとパニックになると思うの。
だから、これで帰しちゃおうと思う」
「え、待ってよ、帰りどうすんの?」
アリサは、何を聞かれているのか解らない表情をしていた。
「帰ってどうすんの? もう、あたし達の居場所は此処には無いよ」
「いやいやいや、だから、帰り足は」
「あー、そーゆー事かぁ。ウフッ、任せなさいな」
嫌な予感が抑えきれない。
「アリサ、もしかして、このまま他の世界に行こうとか……言わないよね?」
「う……」
アリサの無言が、全てを物語っていた。
「やだよ! あたし、この世界の人間なんですけど! アルファとか、妖魔とか、あたしには関係ない!」
「アリサ……」
トモ君は、無言で地面を見つめていた。
「トモ君! 君からも、ちゃやかに何か言ってあげてよ」
「俺は……」
「あたしは! この世界の人間なの!」
そう言った時、鳥居の奥から声がして、あたしは咄嗟に身構えてしまった。
「違ぇな。君は、この世界の人間じゃねえよ」
アリサはその声に反応した。
「と、冬弥さん!?」
金髪の髪をかき上げながら、古びたジーンズに、白いTシャツの上から薄汚れた赤と黒のチェックのネルシャツを羽織った男が現れた。
この人が、冬弥さん……鋭い目付きに、どことなく悲しそうな表情……
「よお。アリーシャ、いや、此処じゃアリサか」
「若返ってる!? ジジイじゃない! さてはまたリンさんの魔法で若返ったな? このジジイめ」
「口の悪い魔女だな。冬爺は死んだよ」
何の話かわからない。
アリサはあたし達よりも驚いた顔をしていた。
「冬爺が、死んだ? じゃあ、あなたは……」
「あいつは俺の分身だ。
俺が、覚醒者救出の為に敢えて泳がせておいたんだが……今朝方、あいつの店に妖魔の集団が現れて、奴は殺された。
と……まあ、これが、お前の、この世界での記憶だよな。アリサよ」
アリサが固まっている。
記憶? アリサの記憶? 何を言われているのか、あたしもだけど、彼女も理解出来ていない様子だ。
「苦労を掛けたな、トモ」
「いえ……」
トモ君は、地面を見つめながら、冬弥さんの言葉に頷いた。
「え、何々ぃ、二人して、何を隠しているのかなぁ? アリサ馬鹿だからわかんな」
「わかってる! そうだよな、アリサ」
アリサの表情が強張る。何、何が言いたいの、冬弥さん……
「もう良いだろ、アリサ。この鳥居をくぐった先に、何があって、何が起きるのか、本当は、お前は知っている」
「冬弥さん、やめて」
「ただ、トモや俺が現れた事で、お前は更に勘違いをしてしまったようた。
期待させてすまなかった、アリサ。
お前は、もう、死んだんだ、アリサ。
もういい加減、さやかを解放してくれや」
アリサが……死んだ?
「や……いや……やめてぇーっっっっっ!」
濃刃山の麓に、アリサの絶叫が、こだました。




