よろず屋の老人・3
斬られた。
まさにその表現がしっくりきた。
シゲル先輩は、鬼のような形相で叫び声を上げた後、膝をついて前のめりに倒れそうになった所を、お爺さんに抱き抱えられた。
あたしはシゲル先輩に駆け寄った。
「シゲル!」
「大丈夫かい、眼鏡の君」
お爺さんに揺さぶられ、シゲル先輩は我に帰った。
「え?……あれ?……ここは?」
「シゲル! 生きてる! 良かったぁ!」
あたしは、お爺さんを突き飛ばして、シゲル先輩を抱き締めてしまっていた。
「え?、ちょ、さ、さやかちゃん?」
「ホッホッホッホッ……青春だねぇ」
――よろず屋・冬の入口の木製扉には、closedの看板が掛けられた。
「落ち着いたかい?」
商品が散乱した店内の中央に置かれた丸テーブルを囲んだあたし達は、お爺さんの言葉に頷いた。
飲み物が用意されたけれど、今は誰も口にする者は居なかった。
「――さて、とんだ目に遇ったな。取り敢えず、自己紹介しよう。
私の名は、と……いや、謎の老人、冬爺とでも呼んでおくれ」
もう誰もお爺さん、いや、冬爺の言葉に笑う者は居なかった。
あたし達が其々の名を名乗ると、冬爺はうんうん、と頷いた。何だか懐かしそうな目をして笑っているのが不思議。
いや……前からこの人は……もっと前から私達の事を知っている。
冬爺のその目を見ていたら、その疑惑が確信に変わった。
「アリサちゃん、マー君にシゲル君。そして、さやかちゃん。
改めて、よく来てくれたね」
「いや、あのね冬爺。あたし達……たまたま此処に来ただけで」
冬爺は掌を向けて首を振った。
否定の仕草だ。
でも、何が偶然じゃないっていうの?
「たまたま来た。そう思うのも無理はない。
まあ否定はせんよ、ただ……これから君達に話す事は、年寄りの作り話だと思って聞かれては困る話だ。
さやかちゃんの木刀の件、シゲル君に起きた現象の件、リンの失踪の件……真実をちゃんと知りたくはないかい?」
あたし達は、黙り込んでしまった。
冬爺は、試してる。真剣な眼差しだ。
聞いてしまえば、もう後戻りは出来ない。
そう直感した。
こんな恐ろしい目に遭うなんて予想もしていなかったし、それに、リン先輩の事なんて、考えてみたら、あたし達には関係の無い事。
一体、何が正解なのか、解らなかった。
「無理に聞く必要はない。
この頭のおかしなジジイの戯言だと思うのも自由、先の話に進むのも、君達の自由だ。
何故ならワシは、諦めん。
また何百年掛かろうとも、候補者を探し続けるからだ」
「候補者? 何百年って……冬爺、歳いくつなの? 頭大丈夫?」
そう言ってアリサは軽く笑った。
軽蔑の目だ。普通はこうなるよね。
「聞いたって信じるものかね。
一つ、面白い事を教えてあげよう。
ワシは、君の事は昔から知ってる」
「えー? いつから? ストーカー? きもーい」
「そう。きもーいの。ずぅっと前から。
いっつもいっつも君は、かの大魔導師の友人として、金魚のフンみてえに輪廻転生を繰り返していたんだが、今回はちと違うようだ。どこかの世界の歴史が変わったんだろう」
「は? だいまどーし? 世界の歴史? キャハーッ、何それ。てか、金魚のフンて!」
「な? 言ったって信じねえんだよ、こうやってな。でも、君が此処に皆を連れてきた。違うか? 周りを引っ掻き回すのが君の使命だからだ」
冬爺も侮蔑の目をしてみせた。
口悪い、大人げないジジイだな。
でも確かに、アリサが此処に来たいって言ったのは事実だ。
引っ掻き回すのも、事実。
「ぶぅ~、何それ~! そんな訳わかんない事、信じられるわけないじゃんかぁ」
「冬爺! 俺は? なあ、俺は?」
爛々とした目をしたマー君。
多分残るとしたら、この人だけだろうな。
「君は……知らん。いや、君の弟の方ならよく知っとるが」
「弟? そんなのいねえし! 俺一人っ子だし!」
「だろうな。″此処″じゃ、そうなんだろ」
「何だよそれ! あんたはデタラメだよ!」
マー君はテーブルを叩いて悔しがった。
本当に聞きたかったんだろうな。
冬爺の意地悪。
「さあ、引き返すなら今のうちだよ。
目の前の美味しいジュースを飲めば、自宅のベッドですっきりと目覚める。保証する。
今日の事はすっかり忘れて、普段の暮らしが待っている。
楽しい楽しい夏休み。そして楽しい学生生活。青春はええのう」
「ねぇ、ちゃやか……帰ろ?」
アリサが耳打ちしてきた。
「……うん」
冬爺は悲しそうな顔をしながらも、笑顔で言葉を続けた。
「君達は、疑問に思わないか。
どうして人は、個体差がありながら命は平等だと教えられ、自分らしくと言われながらも実際はそれを否定してくる難儀な世界にいるのかを。
そんな不条理が何故存在するのか。
どうして貧困が無くならないのか。
金持ちがいるのに何故飢えて死ぬ奴がいるのか。
何故戦争は無くならないのか。
どうして、それを考えてはいけないのか。
ハンバーガーかじりながら、楽しくお喋りしてる方が楽しいよな。
解るよ。だが、本当に知りたくはないか? この世の真実を」
「ちょっと、質問良いですか?」
シゲル先輩だった。
「なんで、冬爺はそれを勿体ぶって教えてくれないんですか?」
良い質問です。確かにそうだ。シゲル先輩の言う通りだ。
「そうだよ! 教えてくれたって良いじゃねえかよ!」
「それはな。自分で目覚めないといけないからだ」
「目覚める?」
シゲル先輩は眼鏡をちょいと動かした。
「そうだ。我々は、それを覚醒者と呼んでいる。
自分から目覚めようとする意志がないと、意味がない。
対応出来ないからだ」
「対応? 何にです?」
「それを知りたかったら、自分の心に従うんだな」
「そうですか……」
シゲル先輩は、少し考えた挙げ句、口を開いた。
「わかりました。僕は、これにて失礼します。必死で勉強して今の大学入ったんでね、こんな意味不明な事で人生壊すなんて馬鹿馬鹿しい」
「シゲル君……」
シゲル先輩は、ごめんね、と一言言ってジュースを飲み干した。
「シゲル!」
シゲル先輩の姿はみるみる透けていって、消えてしまった。
「嘘ぉ! シゲル君? シゲル君! 冬爺! シゲル君は?」
マー君は大慌てで辺りを見渡した。
「安心しなさい。元の世界に戻っただけだよ。この店内は特殊な空間でな。そいつを飲めば、目覚めた時には昨日の朝だ。
さあ、君達はどうする」
「んー、あたしも帰るわ。別にリン先輩の事は、あたしには関係ないし。マー君、帰ろ?」
「うーん……」
マー君は、悩んでいるようだ。
アリサはコップを手にして冬爺に訊ねた。
「あ! ねぇ、ちゃんと今日の事、昨日の朝から忘れてるんでしょうね?」
「ああ。すっきりと昨日からやり直せる」
「わかった。じゃあ、マー君との出会いも忘れちゃうんだね」
マー君は思い出したかのように驚いた顔をした。
「悲しいけどお別れだね。またモスドナルドで会えたら声掛けてね! ちゃやかも、明日学校でね! ばいばーい」
――マー君は、消えたアリサの椅子を見つめながら、動けずにいた。
「あっさりしてんなぁ。ホッホッホッ、これも青春やで」
「冬爺……あのさ」
マー君は真顔で言った。
豹変したシゲル先輩の攻撃から護ってくれた時の顔。
「うむ」
「もし此処に残ったら、母ちゃんとは、もう、会えないのか?」
冬爺は、真っ直ぐマー君を見ていた。
「どうかな……君は、目覚めたいんだな?」
「うん。でも俺、母ちゃんを独りには出来ない。
俺んち、母子家庭でさ。
貧乏暮らしで、俺、ずうっと母ちゃんに迷惑かけてきた」
「うむ。顔見りゃわかるで」
あたしも……家族と離れるのは嫌だ。
必死であたしを探す、母親の姿を想像してしまった。
そっか……解った。
リン先輩は、ここで覚醒を選んだんだね……やっと繋がった。
でもさっき、冬爺は、あたし達が、リン先輩を助けてくれる存在だと言った……どういう事?
「――うるせ! でも、知りたい。覚醒したら、この世界の、真実が解るんだろ? 俺、変われるかな」
「ああ、そうだな。覚醒って言っても、あんまり良いもんじゃねえがな」
マー君は、薄く笑った。
「そっか……俺ずっと、こんな下らねえ世の中なんて、ぶっ壊れちまえばいいと思ってた。
最低な人生……これが俺の人生かって。
冬爺……俺達は、何か訳の解らねぇ奴等に操られてる。
そう言いたいんだろ? 俺が覚醒したら、母ちゃんは幸せになれるかなぁ」
「君は、何気に頭良いんだな……
そういう事だ。母ちゃんを護るのも、君の行動次第だ。はっきり言ってやれんで、すまんな。
だが運命なんてもんは、一人が変われば世界が変わっちまうもんさ」
マー君は何度か小さく頷きながら、椅子に力無く座った。
「さて、さやかちゃんは、どうするね」
あたしは……あたしは……




