Dカップの憂鬱
翌朝――茹だるような暑さにも関わらず熟睡出来たのは、きっと昨日疲れ果ていたんだなんて自己分析をしながら、汗だくの身体を何とかしようとお風呂へと向かう途中――
「さやか、ちょっと来なさい!」
リビングから母の焦った声。何だろ、昨日の事まだ怒ってるのかな……
「おはよう。何?」
「ちょっとあんた、何で昨日この事言わなかったのよ。大変な事になってるじゃないの!」
「何が……」
母はこっちも見ずにテレビに釘付けのまま。
画面には、見慣れた風景が映っていた。
校門前でリポーターのおじさんが、一所懸命に何かを喋っている。
「――あ、うちの学校。え? テレビ来てるの?」
「この子行方不明ですって? やぁねぇ、昨日の集まりはこれだったんでしょ?」
リン先輩の失踪……何でテレビに……
どう考えても昨日、マスコミにリークした人間がいるとしか考えられなかった。こんな田舎の小さな事件、取り上げるなんて……
画面にはリン先輩の綺麗な顔立ちの写真が映り、コメンテーターがしきりに事件性がどうのこうのと騒ぎ立てていた。
私には、先輩の容姿の良さが更にそれを助長しているように思えた。
先輩、これで有名度、全国区ね。
「――あんた、この子と知り合いなの?」
「まさか。顔知ってるくらいよ。この先輩有名人だもの」
一週間の失踪なんて、都会なら当たり前の家出みたいな感覚で誰も気にも止めないんだろうけど……
「綺麗な子ねぇ。これがあんただったら、こんなには騒がれないんだろうねぇ」
言うねぇ母親のくせに。意外に冷静な判断してるんじゃない。
「そうねぇ。絶体騒がないでよね、私がいなくなっても」
「うふふ、馬鹿ね冗談よぉ」
知ってるわよ。死ぬほど取り乱すんだから。
母の愛情を感じながら、私はシャワーを浴びに向かった。
――裸のままサッパリして部屋に戻ると、スマホの着信履歴とメールの数が異常に多いことに気付いた。
恐らくアリサね。
案の定、彼女のメールがびっしり。
折り返してみると、やたらテンションの高い高いアリサの声。
「ちゃやか、テレビ見た? ア◯さんが校門前にいるよ! マジ見てぇし」
予想通りの内容に、私はため息混じりに答えた。
「テレビはさっき見たよ」
「あ……ちゃやか、まだ具合悪いん?」
「いや、もう大丈夫……はっ」
失敗した。この子に大丈夫なんて言ったらいけなかった。
「キャハー! あのね聞いてよ昨日あの後ね」
お決まりのパターン。どうせ昨日の男子の誰かとくっついたとかそんな話なんでしょ……
片手じゃ服も着れないや。
私はそのままベットに横になりながら、アリサの自慢話を聞いていた。
案の定、年下の彼氏が出来たって話を。
「――でねでね、これから彼の先輩も交えてドライブに行くんだ」
「へぇ。良かったじゃん。行ってらっしゃい」
「違うの。今、ちゃやかの家の前にいるの」
え。今何て言った?
「はあ?」
どこかで聞いた怪談話かと思った。
二階の窓から慌ててカーテンを開けてみると、今時の若い人が格好付けて乗るような派手な白い車が路肩に停まっていた。
車の外で、男の子が三人とアリサが、こっちを見ながら唖然とした顔をしていた。
アリサはスマホを耳に当てながら、顔がリンゴみたいに真っ赤だ。
「ちょっ、ちゃやか!」
「ちょっとぉ、何で来てるのよぉ」
「そんな事よりあんた、それ」
「何、え?」
男の子達はポカンと口を開けたまま。
あ――裸だった事、忘れてた。
「――うっぎゃあぁぁっ!」
カーテンを閉めたけど、時すでに遅し。
完全に見られた。
ああ、もうお嫁に行けない……
――「ちゃやか、ごめんねー?」
玄関前で謝るアリサに、私は言葉を選んでいた。
「いいよ、もう……あんたは、返事待ってから、行動出来なかったのだろうか」
「ごめんて。あたし、ちゃやかが裸族なんて知らなかったもん」
「違うから!」
――私も、何で返事待ってから行動出来なかったのだろう――
……後悔先に立たず。
車まで行くと、男の子が二人――あれ?
二人?
「紹介するね! 昨日会ったマー君と、シゲル先輩。先輩は大学一年生なんだよ!」
相変わらず簡略な紹介するわね。まぁどうせすぐ忘れるけど。
「始めまして。シゲルでいいよ」
ふーん、結構イケメンさんね。フワッとした茶髪に白いメガネがよく似合ってる。ちょっとチャラそう。
「始めまして。さやかです。あの、シゲルさんさぁ」
「何だい?」
「見たよね」
「な、何をだい?」
シゲル先輩はメガネをチョコチョコと動かした。
先輩は大人ですね。
でも瞳孔が開いてますよ。
コーフンしてるのね。
――マー君を睨むと……
「お、俺、視力悪いから見えなかったっす!
あ、いや、マジっす!」
「……何が見えなかったのかなぁ」
見かけによらず正直者ね。
笑ってみたけど、目は笑えなかったわ。
「え、いや、その、すいません! 裸族だったなんて知らなくて!」
「違うって言ってるでしょ!」
茶髪の短髪で毛先がツンツンしてる。
田舎のヤンキーみたいだけど、素直でいい子そう。
末永く続くと良いわね、アリサ。
あ、そうだ……もう一人の子はどこよ。隠れてるの?
世が世なら頸を跳ねてやりたいんだけど。
「あと一人いたよね」
――アリサ達はポカンとしている。
「……え、うちらしか見てないよ?」
「えー、もう一人いたよ」
通行人だったのかしら……悔しい……あっ
――一瞬、昨日の出来事が頭を過って、ちょっと身震いした。
駄目よ、さやか! 忘れるの昨日の事は!
――嫌な事は忘れるの。そう決めたんだから――
「ま、まあ、立ち話も何ですし、どっか出掛けましょうよシゲさん」
マー君焦ってる。面白い。
「そ、そうだな。そうしよう」
「私、喉乾いたなぁ」
「買ってあるよ。どれがいい?」
意地悪な笑顔で言ってみたら、何とシゲル先輩は速攻で車の中からコンビニの袋に入った冷たいペットボトルを持ってきた。
意外に気が利く人なのね。
仕方ない。
おっぱい見たことはチャラにしてあげようかな。嘘だけど。
――その内、お腹も空くでしょうし。
Dカップはタダじゃありませんよ、お二人さん――
――車に乗り込んだ私達は、アリサがどうしてもリポーターのア◯さんを見たいって言うから、高校の校門前までドライブする事になった。
「――そんなに見たいの?」
そう言ったマー君は怪訝な面持ちだ。嫉妬してるのかな?
「だってア◯さんだよ? 格好いいじゃん。背も高いし。ねぇちゃやか」
「どこが良いの? オッサンじゃん」
「オッサンだから良いんじゃん! 味があるっていうか、ダンディーじゃん」
年下の彼氏の前で何を言ってるのこの子は――
――校門前には、近所の主婦層を中心に野次馬がごった返していた。
撮影は終わったのだろうか……
リポーターのア◯とかいうオッサンのサイン待ちの列が出来ていた。
「キャー! ア◯さーん!」
歓声を上げながら、一も二もなく行列に並ぶアリサに、ため息をついた。
「やっぱ、芸能人って人気あるなぁ」
シゲル先輩はそう言って苦笑した。
「あんなのどこが良いんすかね……」
マー君は不機嫌そうな顔をしたが、アリサが行列の中から大きな声でマー君を連呼するので、彼は仕方なさげにアリサのもとへ向かっていった。
取り残されたシゲル先輩と私は、顔を見合わせて笑った。
「ねえ、アリサちゃんて、いつもあんなに元気なの?」
「うん。今日は若干、あれでも押さえ気味かな」
「そうなんだ。マー坊と気が合いそうだ。あいつ、ああ見えて奥手だからさ」
「そうなんだ。意外。
あ、そうだ、シゲルとマー君はどんな関係なの?」
シゲル先輩は照れ臭そうに笑いながら、茶髪を掻き上げた。
「近所の幼なじみだよ」
「そっか。何か、見た感じデコボココンビだね」
「ハッキリ言うねぇ」
シゲル先輩は今度は大きな声で笑った。
……よく笑う人。まるで、あの人みたい……
シゲル先輩は色々と何かを一所懸命話してくれていたけど、私は何故か彼の笑顔の中に――中学校の頃を思い出していた。
――私は剣道部に所属してて、結構頑張ってた。
全国大会まで行った。
あれだけ頑張れたのも、あの人……梅原先輩がいたからだ。
決して剣道が強い先輩ではなかったけど、面倒見のいい、優しい先輩だった。
梅原先輩の事が大好きだった私は、毎日が幸せだった――
あの日までは――
「――ねえ、さやかちゃん聞いてる?」
「あっ、ごめん、何かボーッとしてた」
いけない。完全にスイッチ切ってた私。
「ごめんね、大学の話なんてつまらなかったかな」
「ううん、そんな事ない。
ごめんね、ちょっと色々考え事しちゃってて……」
シゲル先輩は、申し訳なさそうに項垂れている。
悪いのはこっちなのに……
――気まずい雰囲気のまま時間だけが過ぎていくような感覚。
私この空気苦手だなぁ……
――そこにアリサ達がやっと戻って来た。助かった気がした。
シゲル先輩も、気を取り直したのか笑顔が戻っていた。
良かった――
「ちゃやかごめーん! やっと手に入れたよ! ア◯氏のサイン!」
「良かったね」
「あとね、新情報も手に入れてきた! 何だと思う?」
「何よ。勿体ぶらない――」
「リン先輩の、最後の目撃情報でぇす!」
へぇ……目撃情報ねぇ……
――アリサに助けられた気がしたのは、この時だけで……
このアリサの一言が″全ての始まり″だったんだ――
その事に私はまだ気付けずにいた――




