蒼き狼の伝説
鬱蒼と茂る林の中を、ジェイクはどんどん進んでいった。
曲刃をブンブンと振り回し、獣道を新たに作成しているようにも見える。
恐れ知らずとはこの事だ。地霊神だか地母神だか知らないが、俺がもしそいつなら迷わずこいつを呪うであろう振る舞いに見えて仕方ない。
自然はありのままだから自然なのだよ、ジェイク君。
それに、こんな無茶な進行は危険過ぎる。
急な坂や谷、獣の穴蔵や狩人が仕掛けて忘れられた罠……
少なくとも俺はトモから森の危険性を散々語られてきた。
これじゃミイラ取りがミイラになっちまう事も考えられる。
「なあ、ジェ、ゴホン! 隊長殿、質問が」
「何だ」
コイツのペースを落とすには質問が一番だな。
みろ、この感謝の眼差しな二人を。
どうやらこいつらも、ジェイクも、俺が焦っていると思って辛いのを我慢していたんだろう。
ちょっと、気分を変えてやろう。
「この帰らずの森だが……何でそんな名前が付いたんだろうか」
これは冗談ではなく、前から思っていた事。
こんな何処にでもある様な森に何でそんな恐ろしげな名が付けられたのか。
そういえばトモも似たような事を言っていたな。
「んー、それはだな……」
知らねぇか。
するとカミラが得意気に答えた。
「伝説よ、マサト」
「伝説?」
「そう。その昔、この地に妖魔が住み着いて、人々に悪さをしたの。蒼い狼と白い牝鹿が、妖魔を退治したっていうお話」
「へぇ、詳しいな」
「私は神様のお力を御借りしてるのに、神様を知らないのは失礼よ」
「確かに。勉強したんだなぁ」
「当たり前でしょ」
そこにウォレスが割って入ってきた。
「二千年以上前の文献にはこうある。東方の国より蒼き狼と白き牝鹿来たれり……王国周辺に伝わる神話だ」
「へぇ、そうなんだ。その二匹は何者だ?」
「神の化身よ。使いとも言われているけど。この狼と牝鹿は夫婦なんだって」
「あらやだ」
「蒼き狼は、この地に住む妖魔を根絶やしにするんだけど……
一匹の妖魔が命乞いを――」
「子供は諦めたのか?いや、神様だからなぁ…ちゃんと育つのかしら」
「異種交配には魔法を使ったのでは?」
「まじかよウォレス」
「ちょっとマサト、隊長も笑ってないで! ウォレスも真面目に聞いてよ! バカ! 男って本当バカ!」
カミラはちょっと涙目だ。ちょっと罪悪感。しかし、ウォレスがボケに突っ込んでくれて助かった。俺一人で馬鹿扱いされる所だったからな。
「悪ぃ悪ぃ。で、命乞いした妖魔はどうしたのさ」
「妖魔はこの森で、蒼き狼に誓いを立てたのよ。心を入れ直して、この地を守るってね」
虫酸が走る……
「はっ、信じられないね」
「え?」
カミラが驚いた顔をした。こんなところで否定してきた奴なんて会ったことが無かったのだろう。
「命乞いする奴は決まって都合の良い事を言う」
「ハハッ! お前らしいよ」
そう言ってジェイクは口角を上げて苦笑した。
「ひねくれてやがる」
「何とでも言えウォレス。俺は難民だったからな。軍の配給品だけじゃ足りなくてさ……
街を歩く金持ちを騙すのに必死だったよ。
わざと怪我して、ぶつかって泣いてみせたり、集団で物乞いみたいな真似してなぁ……」
「ぅ……すまない」
「あ、いや、ウォレスごめん、こんな辛気くさい話はやめよう」
「自分で言ったんじゃん!」
カミラのツッコミにジェイクは笑った。ウォレスだけが真顔だった。
「ハッハッハッ……ん? あれを見ろ! あったぞ」
「獣道ね」
「待て! 止まれジェイク!」
俺は叫んだ。――案の定、狩人が仕掛けてそのまま忘れ去られたであろう、錆び付いた罠を発見した――三人は口を開けていた。
「怪我しなくて良かったな隊長。こういう場所が一番危ねえのさ」
「おお、すまんマサト! 助かった」
「マサト凄い! たまには役に立つのね」
カミラが驚嘆している。あのペースを維持されていたら見つけるのは不可能だったろう。
カミラ、俺が立つのは役だけじゃねえんだせ、しかもたまにじゃねえ、と言おうとしたがやめた。ふざけすぎは良くないよな。
ようやく獣道に到達した俺達は、森の奥へと続くルートを移動して、そいつの分岐点に赤い布を木の枝に結び付け、帰りのルートを見つけながら拠点へと向かった。
日が暮れてからでは、面倒な事になる。でも本当は、夜通しで捜索してやりたい気持ちだがな。こいつらを巻き込む訳にはいかない。
「――ただいま! コレル、異常はないか?」
「皆さん、お帰りなさい!」
拠点へ着くと、コレルが飯を用意していた。
金髪の長髪が童顔にとても似合っていてチャーミングだ。
皆一様に、可憐な少女と見間違えているのではなかろうか。
「おー! 旨そうな匂いだ! 早速食事としよう!」
「了解。本当、とても良い匂いね。コレルはすぐにお嫁に行けるわね!」
俺は口に含んだ水筒の水を盛大に吹き出した。
「カミラ! 僕は男だっ!」
「可愛いよコレル、結婚しよう」
「ぶっ殺すぞウォレスてめぇ!」
そんなやり取りを眺めながら、装備品を外した。
皆、楽しそうだ。キャンプ気分だな。
いや、いけねぇ。こいつらなりの、気遣いなんだよな。
俺を落ち込ませないための……
「マサトさん! 何とか言ってやって下さいよこの人達! もうやだぉ……」
「ハハッ、泣くなよコレル」
「お前の涙は見たく――」
「うるっせぇ! お前は黙れウォレス!」
だが俺は、トモの姿をこの眼にするまでは、気が晴れる事は無いだろう。
悪いな、皆。ありがとう。
山岳のエキスパートである弟が、どういったルートを辿るのかを予測しながら、地図を片手に非常食を食った。
ほう、奥に沼地があるのか……獣共の格好の水飲み場、か……
鹿とかいたりしてな。
「マサトさん、冷めないうちにこっちで早く食べましょうよ」
「いや、俺はいい。食うと眠くなるからな」
コレルの眼が、一瞬光ったように見えて怖かったが、無視して空を見た。
……日が落ちていく。焦燥感だけを残して。