お姫様の独白
わたくしが輿入れした頃、クレイは確か七つか八つ。
彼は人懐っこい笑顔で義姉のわたくしを慕ってきた。
皇太子様に贈っていただいた豪華なドレスの美しさを誉め、持参した宝飾品の見事さを誉め、そして何より…まだ成人したばかりのわたくしの若さと美しさを讃えてくれた。
故国に残る弟を思い出させるクレイの無邪気さは、知らない国に一人きりで塞ぎそうになっていたわたくしの不安と寂しさを癒してくれた。
皇太子様はとても優しい方だったけれど、遠い故国の家族を思い出させてくれるクレイと過ごす時間が、わたくしにとって一番安らげる時間だった。
数年経ってワイルダー公国の皇太子妃としての生活にも慣れた頃、第二皇子も花嫁を迎えられて、わたくしはクレイに代わる良い話し相手を得た。
女二人でいる様子はとても姦しく感じたのだろう。クレイはわたくしと一緒に過ごすことが少なくなり、次第に野山に心奪われて活発でやんちゃな少年へと育っていった。
そして幼かったクレイは、思慮深さも備えた立派な青年に成長した。
クレイが成人すると、当然のように各国から縁談が舞い込んだ。
第三皇子という立場は、婿入りを望む国にとっては願ってもない地位だ。そうでない国にとっても、ワイルダー公国と婚姻による繋がりを持っていれば、あとあと損はない。クレイさえ望めば、どんな国も彼を喜んで受け入れただろう。
だけど彼は望まなかった。
どんなに美しい姫君も、権力を思うままに操れそうな国も、彼の心を動かさなかった。
それどころか、縁談を受け付けようとすらしなかった。
ついに痺れを切らした国王に問い質された彼は、結婚などはせず、国に残って国の為に尽くすと公言して国王を絶句させた。
それならば、と、国王は一縷の望みをエルマ皇女に託して、クレイをリブシャ王国へ派遣した。
エルマ皇女に会えばクレイの心も動くのでは、と国王は考えられたようだったけれど、それが功を奏さないであろうことは誰の目にも明らかだった。
だから、そのクレイが恋に落ちたと聞いて俄には信じられなかった。その上、その相手はエルマ皇女ではなく、平民の娘と聞いてわたくしはますます驚いた。
あのクレイを夢中にさせることができたなんて。
わたくしの皇太子妃としての慎みは、好奇心に完全に打ち負かされた。
侍女達にせっついてデラや騎士団の者達から聞き出した情報を集め、あれこれ想像し、逆に混乱してしまう。
美しくて、剣の腕が立って、身勝手な乙女ですって?
とにかくクレイを傷付けるような娘ならば、わたくしが黙っていない。
義理ではなく実の弟の相手を見定めるような気持ちで、わたくしは彼女の到着を待った。
はたしてクレイが連れて来た娘は、息を飲むほどに美しかった。
彼女より美しいと讃えられているエルマ皇女は、いったいどれほどの美姫なのか。
サラという名のその娘は、エルマ皇女の養い親である村長の娘とのことだった。エルマ皇女の騎士という立場から剣術を学んだらしい。
こんなに美しい女性が武器を持つなんて信じられないけれど、その姿を見てみたいような気もする。
だけど彼女の側から離れようとしないクレイの様子は、それ以上に見物だった。
終始幸せそうに、彼女を蕩けそうな表情で見つめている。
人が変わったようだとデラ達は言うけれど、わたくしはクレイのその表情に憶えがある。
義姉上は、本当にお綺麗です。
あれは年端も行かない少年だったクレイが、初めてわたくしを見て開口一番そう言った時の表情だ。
こんな表情を見せられてしまっては、反対など出来る筈がない。
「初恋、だったのかしら…」
「そうでしょうとも。今にも溶けてしまいそうですわ」
くすくすと扇で口許を隠して笑っている義妹の返事を聞いて、心の中だけで呟いていたつもりの言葉が、つい口を滑って出てしまったのだと気付く。
「そうね…」
「あんなに近くに寄っては、サラ様は歩き辛いでしょうに。クレイったら仕方のない子」
彼女を抱き寄せるようにして歩く様子は、微笑ましくもあり、滑稽でもある。
「是非、馴れ初めを聞きたいものですわね」
ワイルダー公国を初めて訪れた彼女を紹介する為に国王夫妻に挨拶する二人の姿を遠巻きに眺めながら、わたくしは一抹の寂しさを心の隅に追い遣って頷いた。
前回に続き、お茶会パート2にしようかと思っていたのですが、昔のクレイを良く知る母君との対話はいきなりハードル高過ぎる…! ということで、ワンクッション置くことにしました。
しかし本編で登場していない人物をいきなり出してしまって、大丈夫かしら…?